純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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ガーター騎士団とロンドン復興

「それにしても、ずいぶん貴族っぽいお集まりだな」「いや、だってメイソンは騎士ですから」「そうなの? メイソンなのに石工職人じゃないの?」「……」「もともとフリーメイソンは、独立自営の石工の親方なんだから、みな同格。そのそれぞれの親方のところの徒弟たちが、準会員。でも、ルネッサンスのころ、工房が大きくなると、もはや親方の徒弟ではないものの、独立自営の工房を興せるほどではない中堅職人たちが出てきた。それで、メイソンの位階は、親方、同輩、徒弟の三階層になった」「それ、ブルーロッジでしょ。私たちは、その上のレッドロッジなんです!」

「でも、自由・平等・友愛をうたう水平主義のメイソンなのに、そんな高層の垂直身分制って、おかしくないか? そもそも、いかなる世俗君主の支配からも解放された自由ギルドであることが誇りのフリーメイソンなのに、上位階層が、ロイヤル・アーチ・チャプター(王認首座参事会)って、何なんだよ? それをロイヤルと認めた王って誰だ?」「それは……」

「知らないのか? 話は遡って十四世紀だ。一三〇七年、イングランド王・アンジュー伯家のエドワード一世が亡くなると、カペー王家とカトリック教会は、聖堂騎士団を異端として逮捕処刑を始める。ところが、一三二八年にはカペー王家の方も断絶してヴァロワ伯が継ぎ、これにイングランド王アンジュー伯家エドワード三世が異議と唱えて、一三三七年から百年戦争。そのエドワード三世が、四八年、自分を含め、ウインザー城に集まった長男のエドワード黒太子以下、総勢二六名で結成したのが、ガーター騎士団」

「聖堂騎士団の主力残党は、東北ドイツやイベリア半島に逃げて、チュートン騎士団やキリスト騎士団になったんですよね。二六名だけのガーター騎士団って、なんの意味があったんでしょうね?」「さぁ。聖堂騎士団を引き継ぐ気だったのは確かだけれど、いまじゃ、ナポレオンが捏ち上げた、救院騎士団の角が一つ多いフランスのレジオン・ドヌール(名誉軍団)勲章と同じように、他国君主への外交上のバラマキネタだからねぇ」「おやおや、先生、なんか知ってるんでしょ。もったいぶらずに教えてくださいよ」「もともとは、百年戦争のための出資ファンドだったんじゃないのかな」「つまり、百年戦争で現状のフランス西半だけでなく、ヴェロア伯の抑えている東半も取ったら、それをやる、ただし、そのための戦費をまず出資をしろ、ということかな」「ああ、多ければ多いほどいいはずの騎士団なのに、人数を制限しているのは、後での分け前を前提としているからですね」

「一五五五年のアウグスブルクの和議で、領邦単位の宗教選択ということになると、面の領邦国家にとって、その中に点在している中世的な商人貴族の自治都市の存在がじゃまになった。で、領主たちは、傭兵と建築と演劇で、これを解体していく」「ほう、おもしろい見方ですね」「薔薇十字友愛団の到来を告げ知らせるパンフレットが出回ったのが、一六一四年。書いたのは、テュービンゲンの神学者アンドレーエ。まだ二八歳。ところが、イングランド、ロンドン市には、医師、じつはパラケルスス派のホンモノの錬金術の大家ロバート・フラッド四〇歳がいて、すぐその翻訳解説を出した。翌一五年には、イニゴー・ジョーンズ四二歳も、イタリアからパッラーディオ様式を学んで戻り、王室建設局測量設計師長に任命されている」

「それで、彼らが薔薇十字友愛団を創った?」「そう簡単ではないよ。一八年、頑迷なカトリックのフェルディナント二世がボヘミア王になり、プロテスタントのプラハ市の商人貴族たちが、これと対抗するために、新旧両教領主連合の盟主と目されていた冬王プファルツ(宮廷)伯フリードリッヒ五世を担ぎ上げたせいで、ねじれを生じた」「三十年戦争ですね」「フリードリッヒ五世はイングランド王の娘婿。難しい立場に立たされ、一六二〇年には、領主連合計画に失敗した大法官フランシス・ベーコンが五九歳で失脚。政界から引退して、密かに『新アトランティス』で科学の理想郷を描き出す。一方、四八歳のイニゴー・ジョーンズは、三一年、国教会創設で廃止された修道院の跡地にローマ風の商業モール、コヴェンドガーデンを創っている」「市内の古い商人貴族たちの既得権を打破するために、ロンドン市の西郊外に新興商人たちのための新しい市場を開いたんでしょうね」

「ただ、三七年にホンモノの錬金術師ロバート・フラッドが六三歳で亡くなってしまった」「おや、また薔薇十字友愛団が遠のいてしまった」「でも、四四年、二八歳の博学者ジョン・ウィルキンズが、二七歳のカールルイスの専属牧師となっている」「カールルイス?」「冬王プファルツ伯フリードリッヒ五世の息子、つまり、国王ジェームズ一世の孫。ドイツだと、カールルートヴィッヒ。戦争を避け、イングランドに亡命していたんだ。で、そのジョン・ウィルキンズが、グランドツアーでガリレオ・ガリレイに学んだアイルランド貴族ロバート・ボイル十七歳ら、好事家たちを集めて、ロンドンの酒場で、ほんとうに薔薇十字友愛団のようなものを結成したんだ」「あ、「見えない大学」か」

「四八年の三十年戦争終結で、カールルイスはプファルツ伯位を取り戻し、マンハイムに戻ってハイデルベルク大学を振興。一方、王室建設局測量設計師長の老イニゴー・ジョーンズ七六歳は、四九年の清教徒革命で失脚。ジョン・ウィルキンズ三五歳らの見えない大学も、ロンドン西北の大学町オックスフォードに避難。数学生クリストファー・レン十七歳らとも合流」「で、国際的な科学交流ですか」「一般には、このグループは純粋に科学的な集まりのように見られているけれど、もともと政治的な匂いもする。だいいちレンは、ただの数学者じゃない。彼の父親は、一六三五年から五八年まで、ロンドンの西、ウインザー城司祭長」「え? つまり、ガーター騎士団事務総長?」「そういうこと。清教徒革命のさなかに、ばりばりの王党派だ」「その息子が数学者? 百年戦争はダメだったけれど、なにかまだ資金運用してたんですかね」

「だろうね。同じころ、東のケンブリッジ大学に、気鋭の数学者アイザック・バロー二五歳がいて、教授候補に挙がったが、王党派としてクロムウェル革命共和国への忠誠を拒否。五五年から五九年まで、パリ、フィレンツェ、ローマ、イスタンブール、ヴェネツィアと、大陸にグランドツアー」「そんなに金持ちだったんですか?」「いや、ふつうの商人の子」「じゃ、だれかがカネを出した?」「反革命の外交工作だろうね。西のオックスフォード大学の数学者レンも、財政逼迫でクロムウェル体制が傾き始めた一六五七年には、二五歳で、早くもロンドン大学に教員として潜り込んでいる」「となると、たしかに見えない大学というのは、学術団体というより、反革命知識人組織という印象ですね」

「六〇年の王政復古とともに、レンは、かつてイニゴー・ジョーンズがつとめていた王室建設局で測量設計師(サヴェイヤー)に就き、ジョン・ウィルキンズ四六歳は、好事家ボイル三三歳や、そのオックスフォード以来の実験助手フック二五歳とともに「ロイヤル・ソサエティ(王認協会)」を建て、その王認協会があったグレシャムカレッジに三二歳のアイザック・バローを教授に就けている」「クリストファー・レンが造ったリンカーンズイン広場の東のところですね」

「もとより「大学」の名も「科学」の名も無い、ただの「王認協会」だぜ。それも専門研究者だけでなく好事家や外国人もおおぜい入っている。それも、インドや新大陸を巡る英蘭戦争のさなか」「まさに第二ガーター騎士団ですね。ロンドン市はもちろんインドや新大陸の巨大利権の山分けが目標でしょうね。そう言えば、ネーデルラントが東岸中心のマンハッタン島に建設した「ニューアムステルダム」を奪取し、王弟ヨーク公ジェームズ二世にちなんで、「ニューヨーク」と改称したのって、六四年ですよね」

「その戦争捕虜から、イングランドでペストが大流行。おりしも、ロンドン市は六四年冬から六五年夏にかけての大寒波、大熱波。市内だけで七万人の疫病の死者を出した。くわえて、六六年秋にはロンドン大火で「シティ自治区」を焼失。グランドツアーに出でていたレンが戻ると、六九年、三七歳で王室建築局測量設計師長になって、オックスフォード以来の親友の実験家フックとともに、ロンドン大改造を始める。このとき、大火を理由に、一般家屋も木造を禁止。教会や城塞の建築の減少で仕事にあぶれていたブリテン中の自営メイソン(石工)がロンドン市に集まり、市民も、インドや新大陸の貿易で得た富を建設に注ぎ込んだ。こうして、現場作業の複数のフリーメイソンロッジに、王認協会というロイヤルサヴェイヤーロッジが乗っかったんだよ」「ほら、やっぱり、ガーター騎士団由来だから、ブルーロッジの連中は職人でも、レッドロッジのメンバーは騎士なんですよ」「はいはい。ま、そういうことかもね」


アヘン中毒のニュートン

「それにしても、疫病も、火事も、建設も、ぜんぶ仕組まれたみたいな話ですよねぇ」「当時から、そういうウワサが絶えなかったんだよ」「王認協会は疑われなかったんですか?」「怪しいと思われても、王政復古直後の王認協会だからね。それに、焼失した「シティ自治区」は民間に任せ、自分たちは西郊外、旧教修道院領のウェストミンスター地区の開発から手がけていった」「巧妙ですね」

「ただ、数学者のバローがね」「なにか問題が?」「グランドツアーで、彼は、イスタンブールから面倒な習慣を持ち帰ったんだ」「?」「チェーンスモーカー、と言っても、新大陸のタバコなんかじゃない、中東のアヘンだ」「それは、まずい」「その後ケンブリッジ大学に戻ったんだけど、六七年、弟子の二人が階段から落ち、もう一人も発狂。残ったのは、赤貧給仕学生上がりの二五歳のニュートンだけ」「呪われているみたいですねぇ」「いや、みんな、アヘン中毒だろ。バロー自身、六九年には、教授のポストを二七歳のニュートンに譲って事実上の引退。その後、四七歳で早死にしてしまう。一方、ニュートンは、七二年一月、三〇歳で王認協会の会員になった。その後、『プリンキピア』、いわゆるニュートン力学大系をまとめていくが、教授としてはオカルトマニアの支離滅裂。学生も寄りつきもしない」「オカルトというより統合失調が疑われていますね」「いや、やつもおそらく恩師譲りの重度アヘン中毒だ。パイプが手から離せず、姪の指を樹脂と間違えて刻もうとしたくらい、幻覚がひどかった」

「王認協会の方は?」「ニュートンの入会と入れ替わりに、中心となっていたジョン・ウィルキンズが、七二年十一月、五八歳で亡くなってしまった。とはいえ、王認協会は、実験家フック三七歳が事務長として手堅くまとめていたし、彼自身、グレシャム大学教授として幾何学や生物学など広範な研究成果を上げていた。一方、その親友のレンは、七三年、四〇歳でオックスフォード大学の教授職も辞して、ナイトの爵位を与えられ、王室建設局測量設計技師長に専念、いよいよ旧市街シティの中心、聖ポール大聖堂の再建に取りかかる」

「順調じゃないですか」「そうでもないよ。王弟ヨーク公ジェームズ二世が旧教カトリックに改宗していたことが発覚して、議会は態度を硬化させ、七三年の「審査律」で官僚官吏を国教徒に限定。七八年、イエズス会を追放されたタイタス・オーツという男が、清教徒革命からロンドン大火まで、すべて旧教イエズス会の隠謀だ、と言い出した。そんな話、最初はだれも信じなかったが、彼が訴えた治安判事が暗殺され、王弟妃がフランス宮廷と連絡を取り合っていたのが露見すると、市民たちが恐慌に陥って、旧教徒数十名を惨殺。王弟ジェームズ二世をはじめ、多くの旧教徒が、海外に亡命しなければならなかった」

「疫病や大火なんて、ほんとにイエズス会がやったんですかねぇ?」「疫病や大火はともかく、この時期にウラでいろいろうごめいていたのは事実だろうね。おまけに、この反カトリックヒステリーは、チャールズ二世の跡継ぎ問題に波及した」「ああ、正嗣がいないままだったんですよね」「それで、カトリックの王弟ジェームズ二世が継ぐ可能性が出てきて、清教徒らが反対して「ホィッグ(謀反人)党」と呼ばれ、国教徒らは「トーリイ(山賊)党」と呼ばれるようになった」「王認協会のメンバーは、みんな王党派だから、また面倒なことになりそうですね」「それだけじゃないよ。アヘン中毒のニュートンが、事務長のフックに絡んで、ぐっちゃぐちゃ。おまけに、王党派国教徒トーリイ党だらけの王認協会にあって、偏屈なニュートンはユニテリアンのホィッグ党寄り」「そりゃ面倒だ」

「国王チャールズ二世は、議会そのものを開くのを止めて、カトリックのフランス太陽王ルイ十四世に支援を仰ぎ、八五年に死去。問題のジェームズ二世が即位。八八年六月、長男ジェームズ三世が生まれ、この後もカトリック政権が続きそうだということになると、清教徒のホイッグ党と国教徒のトーリイ党がともに反発。十一月、娘婿のネーデルラント総督ウィリアム三世が二万の兵とともに上陸、強引に王位を移譲させた。これが名誉革命」「長年、争ってきたネーデルラントと事実上の和解と連合でもあったんでしょうね」

「でも、おもしろく思わなかった連中もいたよ」「フランスのルイ十四世ですか」「なにより追い出されたジェームズ二世だよ」「どこに行ったんですか?」「それこそフランスに亡命して、ルイ十四世の支援を受けて、王位奪還を図った」「革命直後じゃ無理でしょ」「そうでもないんだ。もともとジェームズ二世は、スコットランドのスチュワート王家。イングランドの王家が途絶えたから、同君連合になってやったのに、かってに王位を追い出したのを、スコットランドの人々はおもしろく思っていなかった。くわえて、前にも国王殺しの革命をやっている清教徒のホイッグ党の連中はともかく、国教会王党派のトーリイ党からすれば、カトリック王は好まないとはいえ、議会がかってに国王を取り替えるのもやりすぎだと思っていた」

「じゃあ、揺り戻しが起きた?」「いや、ホイッグ党の方が、上手だった。ただでさえフランスのルイ十四世は、総督が留守になったネーデルラントや、ちょうど伯が亡くなったプファルツ(宮廷)伯領で侵略戦争を起こしていた。それで、ホイッグ党は、革命に批判的な人々を、敵国フランスに味方する裏切り者として「ジャコバイト(ジェームズ派)」とレッテルを貼って、議会から追放していき、九四年には政権を執る」「えぐいですねぇ」

「このホイッグ党政権の恩恵をもっともうけたのが、じつはニュートンなんだ。ケンブリッジ大学での弟子、チャールズ・モンタギュー三五歳が、ホイッグ党政権で大蔵大臣になって、イングランド銀行を創設。九六年には、五三歳のニュートンを造幣局長に」「どうせ何にもしないんでしょ」「それが、そうでもないんだよ。ニュートンは、自分が錬金術にどっぷり染まっていたから、ニセ硬貨なんか、一発で見抜けたんだ。偽造団を一網打尽にして、処刑台に送り込んでる」「妙な才能ですね」「それだけじゃないよ。ただでさえ王党派が多い王認協会の中で、あいつはジャコバイトだ、って、攻撃し、しだいに自分の勢力を拡大」「恐怖政治ですね」「アヘン中毒のせいで、本気で疑心暗鬼の妄想だらけだから、かなり始末が悪い」


ジャコバイト問題と大ロッジ結成

「でも、時代からすれば、いろいろ連携は不可欠だったんじゃないでしょうかね。新大陸、新発明、とにかく情報を集めて乗っていかないと」「それで、新聞や雑誌、それらを置いてあって人が集まるコーヒーハウスが人気になった」「実際、そういう儲け話で一山当てた新興の小金持ちたちがいっぱいいて、次のネタを探していたんでしょ」「でも、ほんとうのいい話は、やっぱり口コミだろうね」「ああ、それでフリーメイソンか」「このころ、ロッジには、石工だけでなく、いろいろな工事関係者や事業実業家も参加するようになっていた」「大きなガラス窓が普及したのも、このころですよね」「石炭窯と鋳型圧延で一六六八年に板ガラスが作れるようなったから」

「ロンドンに、どんなロッジがあったんですか?」「イニゴー・ジョーンズが作ったコヴェントガーデン内のタヴァン「リンゴの木」、その東北、同じくイニゴー・ジョーンズが手がけたリンカーンズイン広場に連なるパーカー通りのエールハウス「王冠」、そして、ウェストミンスター運河筋、現サマセットハウスあたりにあったタヴァン「酒杯にブドウ」、そして、クリストファー・レンが手がけていた聖ポール大聖堂の前のエールハウス「ガチョウに焼き網」」「まさにジョーンズとレンのロンドン再開発の足跡のままですか」

「ただ、みんなが儲け話に浮かれていると、荒唐無稽な事業を名目に人々からカネを巻き上げて逃げるだけの「プロジェクター」と呼ばれる山師連中も湧き出てきた」「そりゃそうでしょう」「それで、ロッジは、しだいに厳格な会員制になって、信用のおける仲間しか入れないようになる」「会合の時間や場所も秘密というわけですね」「とくに、この時代、変なやつと関わって、ジャコバイトの一味だ、なんて言われたら、もう社会的に抹殺されてしまう」「結局のところ、ジャコバイトって、ほんとうにいたんですか?」「薔薇十字友愛団と同じような妄想かもね。それでも、ジェイムズ二世が亡くなった一七〇一年には「王位継承法」を立てて、その係累の王位継承権を正式に否定している」「議会の方も、よほど後ろめたかったんでしょうね」

「でも、「ジャコバイト」叩きでのしあがったホイッグ党の天下も、長くは続かない。ネーデルラントから呼んできたウィリアム三世が一七〇二年に亡くなり、妻の妹、つまりジェームズ二世の次女アンが継いだが、これが国教徒。それでトーリイ党が政権を奪還。しかし、あいかわらず議会ではホィッグ党も強く、ひどく不安定な政治に」「国王制と議会制と、まだ折り合いがよくわかっていない時期でしたからね。でも、トーリイ党政権になって、王認協会も安心でしょう」「ところが、創設以来、協会の中心となってきた事務長のロバート・フックも、〇三年に、六七歳で亡くなってしまったんだよね」「じゃぁ……」「そう、いよいよニュートン六一歳の独裁。みずから会長になり、ラィヴァルのグリニッジ天文台のフラムスティードも蹴落とし、百人そこそこの協会を、自分の子分たちと、一般の名望家たちで埋め尽くしていく」「やっぱり王認協会なんて、科学と関係なさそうだ」

「一七〇七年五月、イングランドが実質的にスコットランドを吸収して、大ブリテン王国となり、スコットランドに残るジャコバイトの芽を叩き潰した。このころ、大ブリテン王国は、フランスのルイ十四世と、スペイン継承戦争で争っていた。しかし、その年の夏、フランス南東岸のトゥーロン包囲戦に失敗、おまけにその帰途、霧の中、艦隊がブリテン島南西沿岸で座礁し、四隻、千五五十名も失う大惨事となってしまった。ここでまた出て来るのが、王認協会のニュートン六五歳。議会から経度委員会を任され、国家事業として海上での座標確認方法を探求し始める」「ニュートンって、そんなに愛国心があったんですかね?」「違うよ。経度委員会には、時計から測量器まで、とにかくありとあらゆる新発明のアイディアが独占的に集められたんだ。人よりそれを先に知っていれば、投資で大儲けできる」「かつて、王認協会事務長フックのところに世界中の最新情報が集まってきているのを、ニュートンはきっととってもうらやましく思っていたんでしょ。出来の悪い子分や、ぶらさがるだけ名望家ばかりになってしまった王認協会では、もうロクな話なんか集まらなかったでしょうから」

「ただ、ニュートンが頭がおかしくなってしまっていたからね。そもそもすでに九九年に超高給取りの造幣局長官になっていて、毎年、使い切れないほどのカネが入ってきていたから、〇一年には大学も辞めてしまっているし、〇三年に王認協会の会長になり、〇五年に念願の騎士に叙せられ、〇七年に経度委員会委員長。どのみち家族もいないのに、なんのためのカネ儲けなんだか」「でも、あって困ることはないでしょ」「いや、回りが困るんだよ。本人が一七一〇年にウェストミンスターのオレンジストリートに豪邸を新築して、部屋中を薔薇色のビロードで飾り立てた豪奢な生活をするだけならともかく、同じく一七一〇年には、王認協会も、グレシャムカレッジから引っ越して、その南のクレーンコートに独自の建物を新築。路地の奥の入口では、銀の紋章つきの儀仗を持つ衛兵まがいが出迎え、会員は長テイブルの両側の指定席に着き、その上座に会長ニュートンが神々しく現れるや、会場は静まり返り、彼の開会の宣言が厳粛に響きわたる、というようなありさま」

「クレーンコートの王認協会館は、一六八〇年に協会がサマセット館に移って壊されてしまいましたけど、ニュートンの豪邸の方は、よく知ってますよ。ナショナルポートレートギャラリーの裏で、今、図書館ですよね」「そうそう」「こう見えても、私も美術史家ですから」「あぁ、そうだった。すっかり忘れていたけど」「あの家、典型的な新古典主義のメイソン建築ですよね。正面の窓が三つ、そのそれぞれに三角破風のビームが飾りで乗っている」「たしかに」「ニュートンもメイソンだったんですかねぇ?」「微妙だね。ニュートンは、自分でソロモン神殿の設計図の復元なんかやっているけど、自分はメイソンみたいな労働者連中とは違う、あくまで騎士なのだ、と思っていたんじゃないかな」

「じゃあ、ニュートンは、フリーメイソンとは無関係だった?」「いや、ほら、女王アンも一四年に、跡継の無いまま亡くなってしまって、かといって、王位継承法でもうフランスに亡命中の、ジェームズ二世末子、ジェームズ三世二六歳が継承することはできず、曾祖父のジェームズ一世まで戻って、例の三十年戦争のきっかけになった冬王妃の孫のジョージ一世が即位」「孫ったって、娘が嫁いでいたのはブラウンシュヴァイク系ハノーファー公家で、ジョージ一世は、英語ができなかっただけでなく、ロンドン市にも居着かなかったっていう不在王でしょ。一方、ヘンデルは、ハノーファー公宮廷楽長だったのに、一二年からロンドン市に居着いてしまって、帰国命令も無視していたら、ジョージ一世の方がブリテン王としてロンドン市に来ることになって、あわてて『水上の音楽』を作って歓迎したとか、しないとか」

「なんにしても、ジョージ一世は、ブラウンシュヴァイク系だ」「つまり?」「ドイツのプロテスタントの中心。反カトリック反フランスで、スペイン継承戦争には、神聖ローマ帝国軍の元帥として最前線で戦っている。そんなのが、ブリテン王国の王になったものだから、ブリテンのカトリック連中は、フランスの支援を受けて、その引きずり落としを画策」「つまり、ジェームズ三世を王位に就けようとするジャコバイトがまたぞろ、うごめき始めたんですね」

「困ったのが、一般の国教徒。プロテスタントの清教徒ではないとはいえ、カトリックのジャコバイトのテロリストなんかと間違えられたくない」「あ、それでメイソンか」「一七一七年六月二四日、洗礼者ヨハネの日、聖ポール大聖堂広場のエールハウス「ガチョウに焼き網」に、他の三つのロッジのメンバーを併せて総計七〇〇名も集まり、「ロンドン大ロッジ」を発足させた」「自主的に?」「創設者は、レン卿、八五歳」「大火後のロンドン市の再建を主導したレン卿が言い出したとなれば、だれも異論はないでしょうね。でも、八五歳で?」「実際の中心は、デザギュリエ、三四歳。王認協会の事務長」「つまり、黒幕は、王認協会会長のニュートン?」「ほら、さっき話したように、ニュートン本人は、横並びに平等なメイソン親方の一人になんか、なりたくなかったんだよ。それに、彼はもともと国教徒ではなく、プロテスタントのユニテリアンだったから、わざわざ大ロッジに身分保証してもらわなくても、カトリックのジャコバイトと疑われる心配もなかった」

「いずれにしても、一七年にできたのは、しょせんロンドン市内四ロッジだけの合同ですよね」「いや、一九年には、デザギュリエ本人が大ロッジ総長(グランドマスター)に就任し、次々と地方ロッジも吸収していくんだ」「抵抗しなかったんですかね?」「嫌がったところもあっただろうけれど、加盟すれば、経度委員会の老ニュートンが持っている新技術新発明の情報のおこぼれにあずかれる。でも、加盟しなければ、テロリストの「ジャコバイト」が謀議している、なんて密告される」


ラムゼーのフレンチ・ジャコバイト

「いずれにせよ、一七二〇年に株式会社ブームのバブルが崩壊して、メイソンブームも下火になってしまったんでしょ? 巨万の富を怪しげな株式に投資していたニュートンも、そうとうに損を出してしまっていたみたいだし」「それが逆なんだよ。バブル崩壊で、いよいよ身元保証が必要になって、メイソンでもなければ融資も投資も受けられないようになったんだ。くわえて、老ニュートン七九歳とその番頭デザギュリエ三八歳は、二一年、教え子で大蔵大臣だったモンタギュー卿の息子三一歳をロンドン大ロッジ総長に迎え、いかにも、メイソンが重商主義の政府と密接な関係にあるかのように装い、また、牧師アンダーソン三七歳、他十四名に教義としての憲章を作らせ、メイソンリーの格式を高めた。こうして、メイソンは、わずか五年にして、「天地創造以来の悠久の伝統と神聖な格式を持つ驚異的な」社交クラブに」

「それで、さらに他の地方ロッジも吸収したんでしょうね」「いやいや、カトリックの方だって、巻き返しを図る。ちょうどスペイン継承戦争で、ジェノバ市国のコルシカ島、スペインのサルディニア島やシチリア島が奪い合いになり、南仏西部トリノ市に神聖ローマ帝国の子分のサヴォイア公国が活躍して、最終的に一七二〇年、サヴォイア公国がサルディニア王として地中海の覇権を握った。このサヴォイア・サルディニア王は、十字軍時代の救院騎士団系のラザロ騎士団を継承管轄していて、これがカトリック側の組織拠点になった」「そりゃ騎士団と言えば、カトリックの方が本家ですからね」

「スコットランドのパン屋の息子で、ジャコバイトでカトリックのアンドリュ−・ラムゼーという三七歳の神秘主義者が、二三年、このラザロ騎士団に入り、翌二四年、ローマで教皇の下で保護されていた「王太子」チャールズ三世の家庭教師になって、ジャコバイトとカトリックの連絡係になった。そして、まず熱狂的カトリック国のアイルランドで、二五年に別の「アイルランド大ロッジ」を立てる。当然、これはカトリックのメイソンロッジだ。この後、ラムゼーは、パリ市で、モンテーニュやエルヴェシウスらが集っていた中二階クラブに出入りし、人脈を固めていく」

「中二階クラブ(クラブ・ランターソル)って、このすぐ裏のヴァンドーム広場西角七番地の? 神秘主義者が啓蒙主義者たちと交流?」「中二階クラブは、株式会社バブル後も変わらない政府の素朴な重商主義を批判して、いわば工業主義を模索していたんだ」「ただ売り買いして差額を儲けるのではなく、技術で付加価値を付けるということ?」「当時からすれば、付加価値なんて神秘主義みたいに思われていたんだろうが、それこそまさにメイソンの思想だよ」「粉から作るパン屋の生まれだから、モノの付加価値って、実感があったでしょうね」

「この中二階クラブ時代の二七年に、ラムゼーは『キュロスの旅』という本を出して、これがベストセラーになっているよ」「古代クセノフォンの『キュロスの教育』を模したものですか。それにしても、古代ペルシアの初代の王キュロス二世が主人公とは」「どのみち寓話だよ。ただ、クセノフォンのが普遍的な帝王学の教育論であるのに対して、ラムゼーのは、あくまで当時のヨーロッパ情勢の批評と政治経済の理想で、それをキュロス二世に仮託して語らせている。だから、クセノフォンよりフランシス・ベーコンの『新アトランティス』に近いかな」「話を聞いていると、ニュートンなんかより、メイソンらしい人物ですねぇ」

「実際、株を転がすだけで儲けようとする老ニュートンが二七年に死ぬと、ラムゼーは、二九年、王認協会に向かい入れられ、三〇年にはオックスフォード大学から名誉法学博士の学位を授与された」「『キュロスの旅』に対する評価ですかね。でも、絶対王政の重商主義の時代に、政治学や経済学を論じるなんて、どうだったんでしょう?」「案の定、パリ市の中二階クラブは、国王ルイ十五世ににらまれて、危険思想として三一年に閉鎖させられている」「ほらね」「なのに、ラムゼーは、あえてそんなパリ市に戻って、ブイヨン公家の家庭教師に」「この対岸のシメイ館、今の国立美術大学校の北側のところですね」「それよりブイヨン公家だよ」「あ、十字軍時代の初代イェルサレム王、ゴトフロワ・ブイヨンの末裔!」「一七一九年にジェームズ三世の妃になったのが、カトリック国ポーランド王の孫のマリア・クレメンティーナ・ソビエスカ。その妹マリア・カロリーナ・ソビエスカが二四年にブイヨン公シャルルゴトフロワと結婚し、ラムゼーがその公子ゴトフロワ五歳を教えることになった」

「ポーランド王の孫姉妹で、ジャコバイトと旧聖堂騎士団が結びつき、その仲介役がラムゼーだったんですね」「ただ、ポーランドも奇妙なことになっていたんだ。二人の祖父ヤン三世が一六九六年に亡くなった後、当然、オーストリア・ハプスブルク皇家の支持も得ているソビエスキ王家の二人の父ヤクプが王に選ばれるはずだったんだが、これにバイエルンやフランスが介入して妨害し、結局、ザクセン公アウグストが王位に就いてしまった。そして、三三年、そのアウグストが死去したために、また各国が介入して、泥沼のポーランド継承戦争に」「つまり、国を追われたジェームズ三世と似た立場だったのですね」

「ジェームズ三世もジェームズ三世で、国も持っていないのに、存在しない領土と爵位をうさんくさいジャコバン連中に授けて、勢力を固めていく。ラムジーみたいなのも、三五年に準男爵(バロネット)に叙されて大喜び」「準男爵なんて、もともとジェームズ一世が軍資金集めに売り出した爵位で、貴族の数には入らないのに」

「こういう状況で、三六年には、むしろジェームズ三世をブリテン王国に迎え入れようとするジャコバイトの「スコットランド大ロッジ」もできる。そして、ラムジーは、三七年、騎士団大広報官ラムジー著『フリーメイソン入会式での講話』なんていうのを出版する」「清教徒の国王に反意の無いことを示す国教徒のロンドン大ロッジに対して、アイルランドやスコットランドでは、露骨にカトリックでジャコバイトの大ロッジとは」「ここからが引き抜き合戦だよ。ジャコバイトが支持するスチュワート家が贅沢好きで放漫財政なのは、昔から有名だった。そのうえ、背景には、イングランド・スコットランドを、アイルランドとともにカトリックに戻したい法皇が絶対担保保証の金主として付いている」「つまり、当てにならない政府財政に依存しているロンドン大ロッジなんかより、ジャコバイトのアイルランドやスコットランドの大ロッジに入った方が、手っ取り早く儲かるぜ、って話ですかね」

「ラムゼーは、聖堂騎士団って、フランスとスコットランド、ポーランドを繫ぐのに都合のいいネタだと思ったんだろうね。ところが、まぬけなことに、この講話が出版されると、スコットランド大ロッジの方が、ラムゼーの聖堂騎士団末裔説を、ウソっぱちだ、と、完全否定してしまった」「いや、だって、石工の団体なんだから」「スコットランド本国の大ロッジのメイソンは、ジャコバイトとはいえ、平民の中小企業のおやじみたいな連中だ。ラムゼーのことは、昔から知っている。パン屋の小せがれが、インチキ貴族に成り上がって、なにバカ言ってんだ、って。言って見れば、メイソンなんて、もともと飲み屋で建設会社のおやじたちが仲良く飲み食いしてただけなのに、その儲け話に一枚かもうと寄って来た部外者たちみたいなもの。最初のうちはエプロンだのハンマーだの、今風に言えばヘルメットに首タオル、ロングニッカに安全靴みたいな建設業者独特のかっこうをして、連中に溶け込み、仕切談合の儀式につきあっていたけれど、そのうちに、自分たちは現場労働者じゃない、騎士だ、貴族だ、なんて言い出して、組織を乗っ取ろうっていうんだから、そんなの、許せるわけがない」「そりゃ、みんな、怒るでしょうね」

「ところが、奇妙なことが起こるんだ。フランスで聖堂騎士団と言えば、それは、国王と教会の悪辣な陰謀によって壊滅させられた組織のこと。それがメイソンとして復活したのであれば、それこそが反国王・反教会の拠点にちがいない、って。それで、フランスの自由主義貴族や新興企業家、ユダヤ人やトルコ人、百科全書派のディドロのような啓蒙主義の無神論者など、反国王・反教会の連中がごちゃごちゃ集まって来て、三八年、一気に「フランス大ロッジ」ができてしまった」「フランスのメイソンたちを集めて、絶対王制主義のジャコバイトがカトリック教会と組むつもりだったのに、聖堂騎士団なんて言ったせいで、王制にも教会にも反対の連中が集まってしまったわけ?」「そういうことだな。自分がラムゼーにフランス大ロッジを作らせたくせに、ローマ法皇クレメンス十二世は、この予想外の結果に驚いて、すぐメイソン禁止令を出し、メイソンすべてを異端として破門にした」


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)