増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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1.あらゆる「悪」から子供を遠ざける純粋培養は可能?
被害者に何の落ち度もない着付け会社の件では、一方的に損害を受けたのが被害者です。しかし悲しいかな、こうした悪質な行為を働いたり、犯罪を犯す者は絶えず存在します。これまでも、これからも、恐らく犯罪がこの世から消えることはないでしょう。誰であっても、いつ犯罪被害者になるかは予見できません。

自分にビタ一文責任がなくとも勝手に巻き込まれてしまうのが犯罪です。詐欺や泥棒や暴力行為など、生きているだけであらゆる「悪」の被害に会う可能性があります。そうした悪と戦い、人々を守る社会正義ですが、それすらも時として冤罪や誤審といった、無実の人を陥れる恐ろしい犯罪を犯します。

生きるということはこうした理不尽さが必ず付きまといます。完全正義が達成されることは恐らく未来ふくめて不可能でしょう。「悪」から子供はもちろん、大人であっても完全隔離することはできません。つまり子供であっても悪と出会うことなく育つ(育てる)ことは不可能といえます。

2.ムーミン地理B問題への批判
センター入試「地理B」の出題で、北欧3カ国の文化の共通性と言語の違いを問う問題が出されました。しかしその選択肢アニメ、ムーミンやビッケがあり、「アニメの知識が問われている」という誤報が独り歩きしました。

正確な問題は以下です。(大学入試センター試験2018年度地理B問題より)

ヨシエさんは、3カ国の街を散策して、言語の違いに気づいた。そして、3カ国の童話をモチーフにしたアニメーションが日本のテレビで放映されていたことを知り、3カ国の文化の共通性と言語の違いを調べた。次の図5中のタとチはノルウェーとフィンランドを舞台としたアニメーション、AとBはノルウェー語とフィンランド語を示したものである。フィンランドに関するアニメーションと言語の正しい組み合わせを、次の1〜4のうちからひとつ選べ。(解答番号28)

スウェーデンを舞台としたアニメーション
ニルスのふしぎな旅 スウェーデン語 Vad kostar det?(それいくら?)

大学入試センター試験(2018年度) 問題については毎日新聞が公開しています。
https://mainichi.jp/graphs/20180113/hrc/00m/040/002000g/23

決して「ムーミンはどこの国のアニメか?」を問うアニメ知識問題ではなく、言語の共通性やバイキングが存在した地形といった知識と思考を問う問題だと感じます。現在行われている大学入試改革、現行の知識の暗記・再生に偏りがちな試験を、思考力・判断力・表現力や、主体性を持って多様な人々と協働する態度など、真の「学力」を問うものに変えていこうという流れに沿ったものといえると思います。

ネットニュースのタイトルを見ただけの批判、「ムーミンの知識を問う」という誤解とは違い、仮に知識がなくとも消去法でも正解できることで、思考が必要な点が評価できます。ムーミンを熟知した学生だけが有利という批判は的外れです。問題の受け止め方によって不公平に感じたり、数式のような唯一無二の絶対正解のあるものではない点を批判するのは地理という学問の否定です。

今回の問題は、日本地理学会の提唱する、文理統合の複合的総合科学として地表空間の様々な自然現象や人間の諸活動、および自然と人間が織りなす地域現象を研究する方向とも合致しているといえるでしょう。

3.無菌培養ではなく回復可能な失敗経験が教育
子供がケガしてはいけないからという理由で公園から遊具を撤去し、ボール遊びは危ないという理由でサッカーも野球も禁止し、競争は差別だから順位付けを排除する。あらゆる不平等を人為的に排除していった結果、残るのは1984年の世界です。

社会主義革命の結果、巨大なる意思・全能の存在ビッグ・ブラザーが総てを監視し支配する世界がジョージ・オーウェルの1984年です。そこでは犯罪防止のため、言語も支配され思想的に好ましくない単語が抹殺されます。不良思想から人民を守るために、インターネットや外国の放送を遮断するどこぞの独裁国家のような世界。子供を無菌培養しようとするのは、正にそうした非現実的な世界を望むことだと感じます。

差別が悪いのは当然だし、犯罪は許されるものではありません。しかし存在するのも事実です。子供はもちろんわれわれすべての人間は、そうした社会の「悪」から完全に逃れられることはありません。だとすれば、好ましくないものを排除するのではなく、好ましくない「悪」の存在を教育し、自らもそうした危険に会うことを学ばせる方が重要です。

完全無菌社会のようなあり得ない理想論ではなく、差別も犯罪もある社会でも生き抜くため、理不尽な目に会ったこともこれからもっとひどい被害を受けないようになるための教訓として考えてはどうでしょう。大切な日を台なしにされ、金銭的にも大きな被害を負ってしまった傷は深いものと思います。被害に会われた方は心からお見舞いすると同時に、直接被害を受けなかった人たちは、詐欺的な犯罪行為への強い怒りを、さらに強く生きる教訓として学ぶ機会とする。

4.転んでもタダでは起きないタフさこそ
こうした事件を教訓に、前払いした業者が逃げたり、倒産したりするリスクがあることを学び、強引に契約を急がせたり、不自然に現金決済やおまけサービスをひけらかすセールストークに何かあるかもと考える、他山の石とする。自分に何の落ち度がなくとも犯罪的な被害に会うかもしれないことを学ぶ機会とすべきでしょう。

試験において一見奇妙な問題が出たとしても、中身もわからず批判したりせず、地理という学問の目的意識を新ためて学ぶ機会とすべきでしょう。マイナスをプラスに変えることができるのは知性。言語と文化と民族は連関性があるのだと理解が得られれば、それは学びとしてプラスに変わります。

失敗や犯罪の無い世界はありません。一見奇妙なもの、理解しづらいものもいくらでも存在します。「悪」があってもそれに負けない生きる力を身に着けさせる。自分の価値観と異なる存在であっても、それを排除するのではなく自ら考え、あわよくば理解してしまうことで、切り捨てていた新たな知見を得られる機会になります。転んでもタダでは起きないタフさを身に着けさせる教育の方が、生きる上ではずっと役立つはずです。