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非常識なモノへの挑戦 G-SHOCK開発秘話

『落としても壊れない丈夫な時計』
企画書に書かれたこの一行が、すべての始まりだった。

1976年、カシオ計算機(株)に入社した伊部菊雄さんは、時計の設計部に配属された。
ある日、ふとしたことで腕時計が手から抜け落ちて床でバラバラになってしまった。高校の入学祝いに父親から貰った大切な腕時計だったが、不思議なことに壊してしまったことで心が痛む前に「腕時計ってこんなに簡単に壊れちゃうんだ」と妙に感心をして床に散らばった部品を眺めていたという。「人は常識だと思い込んでいたことを目の当たりにすると、逆に感動しちゃうんですね」

「当時は薄型の腕時計が全盛時代でしたので、会社からはとにかく薄くすることを求められていたんです」

しかし伊部さんの頭の中は、設計者として求められていたものとは違うベクトルへ向かい膨らんでいった。 本来であれば構造案や実験スケジューラーなどを書かなければならないのだが、あの時の感動をそのまま一文にした。それが前代未聞の企画書『落としても壊れない丈夫な時計』という一行だった。

「商品イメージやデザインは全く考えていませんでしたので、企画が通ってしまって初めてどうしようかと考えたんです」

企画書としての体を成していなかったものがまさかOKになるとは思ってもいなかった伊部さんですが、肝心な耐衝撃性については「メタルケースに4カ所位ゴムをつければ大丈夫だろうと簡単に考えていたんです」。しかし、ここから苦難の日々が始まった。

タケ小山が「“壊れない”というのは、どの程度のものをイメージされていたんですか?」と尋ねると、「腕時計なので、本来であれば人の高さから落として壊れなければ充分なはずです。でも私がこだわったのは、もっと高い所から落としても壊れない頑丈さだったんです。それが10mという高さでした」。

“丈夫な”という非常に曖昧な定義を具体化する。伊部さんがこだわったのは壊れない強度をどのレベルにもっていくかということで、それが10mの高さから落としても壊れないという異常にハードルの高い数値目標だった。

モジュールにウレタンを巻き付け、落下させる実証実験を重ねた。「3階のトイレの窓から300個近くの腕時計を落としました。階段で登り降りを繰り返したものですから、おかげで足腰が鍛えられましたよ」と笑うが、当時は肉体的にも精神的にも辛かったに違いない。 落としても壊れないようになった時は、巻き付けたウレタンがリンゴ大の大きさになっていた。もはや腕時計ではなかった。

試行錯誤を続け、5段階吸収構造のケースを考案した。これにより腕時計としてのサイズまでもっていくことができた。しかし、伊部さんがこだわり続けた10mの高さから落としても壊れない時計の完成まであと1歩届いていない。実験の度に必ず一か所どこかが壊れてしまうのだ。不思議なことにそこを修正するとまた別の個所が壊れる。

開発に充てられた2年が近づいてきた。

「もうダメだと思った時、自分が納得してあきらめるにはどうしたらいいかと考えたとき、1週間と期限を決めて、その1週間とにかく全ての時間を費やして考えてみようと思いました」

その1週間の最後の日、会社を辞めることを覚悟した伊部さんは、公園のベンチに腰掛けてプロジェクトの幕引きを考えていた。その時、アイデアの神様が降臨した。

「ボールで遊んでいた子どもをぼーっと眺めていたら、ボールの中に時計が浮いている絵が頭の中に浮かんだのです」

腕時計の心臓部であるモジュールをゴムパッキンの点で支えることで、ケース内で浮遊させる中空構造の発想が生まれた瞬間だ。

G-SHOCK ヒットの裏舞台

2年間の試行錯誤の末に完成させた初代G-SHOCK DW-5000C-1Aは、1983年に発売された。

「デザインはタフさを強調するため、あえてボリューム感を意識し、タイヤのようなイメージを醸し出しました」

コンセプトもデザインも、当時としてはセンセーショナルな腕時計だったG-SHOCKだが、日本ではほとんど売れなかったそうだ。意外にも伊部さんは「売れるとは思っていませんでした。大きな時代の変化がないと認めてもらえないと認識していたんです」 。ところが、アメリカで人気に火がついた。それはG-SHOCKをアイスホッケーのパック代わりにスティックで打つという乱暴とも言えるテレビコマーシャルの影響だった。

「実はそんなコマーシャルをするなんて私は知らなかったんですよ。事前に知っていたら絶対にNGを出していましたから」

誇大広告ではないかと疑われたアイスホッケーのコマーシャルで、G-SHOCKは全米での知名度がアップした。そして話題と人気を決定づけたのが、“誇大広告を検証する”内容の、アメリカの人気バラエティ番組だった。コマーシャルと同じようにアイスホッケーのパック代わりにハードヒットしても壊れなかったG-SHOCK。“最もタフな時計”、“世界最強の時計”と話題になり、消防士や警察官など外で働く人たちに支持された。そして、その斬新なデザインがアメリカ西海岸のスケートボーダーの間でファッションアイテムとして人気となった。

遅れること約10年。アメリカのスケートボーダー達から絶大な人気だと逆輸入されたG-SHOCKは、日本でもストリートファッションのアイテムとして人気に火がついた。1991年の湾岸戦争で米軍兵士がG-SHOCKをしていたことや、ミュージシャンのスティングがつけていた逸話なども広まり、さらには1994年に公開された映画『スピード』でキアヌ・リーブスがG-SHOCK DW-5600C-1Vを付けていたことなどから、日本でも空前のG-SHOCKブームとなった。90年代に定価の何倍もの価格で争奪戦が繰り広げられたG-SHOCKは、その名を時計史に刻んだ。


文化放送『The News Masters TOKYO』のタケ小山がインタビュアーとなり、社長・経営者・リーダー・マネージャー・監督など、いわゆる「リーダー」や「キーマン」を紹介するマスターズインタビュー。音声で聞くには podcastで。
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パーソナリティ:タケ小山 アシスタント:小尾渚沙(文化放送アナウンサー)
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【転載元】
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