聖カタリナ学園高等学校(愛媛)「『衝撃』のデビューにつなげた『経験と許容』」【前編】

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 2016年、愛媛の高校野球は松山市の聖カタリナ学園に始まり聖カタリナ学園に終わったと言っても過言ではない。4月、男女共学化に伴い新設された野球部は、夏の愛媛大会でいきなりベスト8に躍進。中予地区新人戦では松山商、秋は県大会1回戦(ベスト16)で優勝した宇和島東に敗れたが、1年生大会では中予地区を制し、11月23日の「愛媛県野球フェスティバル」では四国地区大学野球連盟の愛媛県高校出身1〜3年生が集った「愛媛県大学選抜」を5対2で下す快挙を演じた。

 では、衝撃のデビューを飾った彼らは今、2年目へ向けてどんな取り組みをしているのか?前編では指導者を中心に夏の愛媛大会ベスト8につなげた「経験と許容」を振り返る。

知識・経験持った指揮官「越智 良平」

越智 良平監督(聖カタリナ学園高等学校)

 愛媛県松山市北部・北条地区にある「聖カタリナ学園セミナーハウス」。ここに隣接する長方形のグラウンドが聖カタリナ学園野球部の練習場である。取材日の練習はまずボール回し。ただ、選手は1年生33人のみにもかかわらず彼らの意識は非常に高い。「1・2・3!」とリズムを叫びながら常にステップを正しく踏み、正確なボールを投げようとしている。

「うまい、下手はともかく、こういった二拍子・三拍子の使い分けが大事。これとハンドリングを使ったボール回しは大学時代に決まるまで半日やらされて、神宮球場では『金が取れる』と言われるようになりました。どうせやるならそこまでやろうと思っています」

 このように狙いと到達点を明確に説明するのは今年3月まで石川県立小松高等学校で野球部監督。同校を2011・2012年夏の石川大会ベスト4、昨秋には県大会準優勝で65年ぶり秋季北信越大会出場に導いた実績をひっさげ、故郷の愛媛県へ戻ってきた35歳・越智 良平監督である。

 宇和島東では「理不尽だと当時は思っていたが、大学に入って野村 徹監督に一時、捕手の教えを受けた際、強いチームに必要な決め事を教えていることに気付いた」故・上甲 正典監督の下で2年春夏・3年夏と遊撃手として甲子園出場。早稲田大では高校時代に続いて最高学年で主将を務め、春秋連続東京六大学リーグ戦優勝。特に早大4年時にはグラウンド上の立場は控え選手ながら、「翌年キャプテンになった比嘉 寿光(沖縄尚学出身・現:広島東洋カープ編成部)などの3年生にも『どんどん前に出ていけ』と話をして、影響力のある下級生が主体的に動くようにした」結果、同級生の和田 毅(浜田出身・現:福岡ソフトバンクホークス<関連記事>)1学年下の鳥谷 敬(聖望学園出身・現:阪神タイガース<関連記事>)、青木 宣親(日向出身・現:MLBヒューストン・アストロズ)。2学年下の田中 浩康(尽誠学園出身・現:横浜DeNAベイスターズ<関連記事>)、などの個性派たちをけん引してきた。

 早稲田大卒業後は保健体育科取得のため、同大人間科学部で科目履修生として2年間。その間、智辯和歌山の高嶋 仁監督の下で自家用車泊まり込みで1週間学ぶなど野球指導の基礎を学んだ。結果「これまで学んでいた『絶対こうでないといかん』という考えもなくなった」という。2005年4月からは金沢市工の1年間外部コーチを皮切りに、石川県教員採用試験に合格した小松商で商業科教諭を務めながら部長2年間。そして小松で保健体育科教諭・野球部監督を8年間務めたことが、故郷からの監督就任要請につながった。

荒々しさを保ちつつ「緻密さ」を組み込む許容

明るく元気なベンチ(聖カタリナ学園高等学校)

「小松の子供たちもいたし、異動ではなく自分の意思で行くことにも本当に迷ったが、ゆくゆくは私学でオファーをもらえるような指導者になりたいとは思っていたし、『男子の1年生スポーツコースも含めた教育者として立ち上げからやってほしい』という芳野 敬三校長の熱い言葉が最後に自分の背中を押しました」

 こうして11年間過ごした石川県の地を離れてやってきた聖カタリナ学園。まず指揮官が試みたのは一糸乱れぬ統率に絶対的強みを持つ反面、とっさの対応力に課題がある愛媛野球からの脱却であった。

「立ち上げ当初は選手の角は取らず、あえて大味なゲームメイクを意識していました。せっかく1年生から出ているのだから、スケールを大きく持っていきたい。だから学校からグラウンドまでのバスの移動中の行動も、僕らの時代は『静かにしろ』だったものを『もっと会話をしろ』と変えています。ゲームだけでは絶対に会話はできない。学校到着後に部室内で長く時間を過ごしていても、僕は怒るのではなく『何をしゃべっているの?言えよ』です。しゃべる空気を作って、私学ならではの勢いを作りたい。これを僕は味わってきているので……」

 星稜・遊学館・金沢。北信越では長野県の佐久長聖、松商学園。新潟の日本文理、福井工大福井(福井)。そして2015年春・北信越地区で初の私学甲子園制覇を成し遂げた敦賀気比(福井)。「俺が勝負してやるという勢いが出ていた」私学勢に当初はなかなか勝ちきれず、「相手が採る策を考えて、その先を行って」チームの特性を活かした戦いを採り入れるようになった後は結果が残っていった経験を糧に、チーム作りは始まった。

 とはいえ、大きな土台を作りつつ、中学までとは異なる高校野球のマナーを教えるには時間と労力が必要だった。「頭ごなしに怒るのではなく、教えるようにしていくのは大変でした。先輩がいない1年生だからこそ、教えなくてはいけないことがあることも解りました。ですから、ウチは携帯電話は学生の権利として禁止していませんが、人付き合い、学生野球の部分でSNSの線引きは選手たちと話し合って決めました」

 そしてチームスローガンは「投手を中心に守って勝つ」でもなく「打って勝つ」でもない。「バットで投手を援護する」。ここにも確かな意味がある。「この考え方だと、守備をしっかりしないと攻撃につながらないし、『強打』も印象付けられる」。そんな指揮官の考え方を選手たちが体現したのが「夏の愛媛大会ベスト8」である。

夏の愛媛大会ベスト8での「収穫と課題」

試合中もにこやかに語り掛ける聖カタリナ学園高等学校・越智 良平監督

「理想の攻撃は準々決勝・東温戦での1回裏です」と越智監督が挙げたのは、最終的には2対5で敗れた試合の冒頭である。

 先頭の竹田 蓮(1年・一塁手・右投右打・170センチ63キロ・松山中央ボーイズ出身)が初球を打って中前打、2番の玉井 陸翔(1年・中堅手・右投左打・174センチ63キロ・右投左打・愛媛松山ボーイズ出身)が右中間を破る三塁打と5球で1点。そして4番の加形 篤史((1年・左翼手・176センチ69キロ・右投左打・宇和島市立広見中出身)が中前にはじき返して2点目。

「あっという間に点を取ってしまう。これが僕が、この選手たちでやってみたいことでした」競り合いで勝つ準備はしながらも、鮮やかにスピード野球で点を取って優位に立つ上積みはしておく。加えてソツのない手法で勝つ確率を高める。

 愛媛大会初戦・小田戦で6対2で迎えた5回裏、大森 貴仁(1年・捕手・右投左打・162センチ58キロ・西予市立城川中出身)の三塁好進塁で得た一死一・三塁から8番の八束 紫苑(1年・右翼手・右投右打・173センチ63キロ・松前町立岡田中出身)のセーフティースクイズも練習を積んでいたからこそ出せたものである。

 このような収穫の一方で課題も見えた。小田戦翌日は練習を途中で急きょ切り上げるほど体力を消耗。継投策をとってきたにもかかわらず、準々決勝では投手陣がスタミナ切れを起こした。「大会前にミーティングでも言ったんですがみんな『辛いです』。中1日で準々決勝に入ったときは序盤からヘロヘロでした」。ここまでの練習中や試合中に見える集中力の浮き沈みなど、様々な現象が見えた愛媛大会であった。

 後編では選手たちの話も交え、2017年への意気込みを語ってもらいます!

(取材・文=寺下 友徳)

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