裕太氏の謝罪では済まない「高畑家」の危機管理/増沢 隆太
・異様な謝罪?
弁護士に付き添われてマスコミの前に現れた裕太氏は、絶叫するかのようなお詫びと30秒を超える深いお辞儀、そして睥睨する目つきなどで異様な印象を残しました。筆者はこの時の映像を何度も見ましたが、やはりお詫びというにはあまりに異様な雰囲気に違和感しか感じません。
この件でテレビ局の取材を受け答えたのは「少なくとも謝罪としては成り立たない」というコメントです。常に申し上げているのはお詫びの言葉を並べることが謝罪ではなく、それを受け止める人、たとえばテレビを見ている視聴者やファンなどが「謝罪をしている」と感じて、受容できるようになることが謝罪なのです。
刑事事件として取り扱われた本件では、被害者の方もいました。本来であれば一番傷ついたのは被害者であり、それ以外の人など比べものにならないほどお詫びをする必要があります。しかしこうした暴行事件では、かえってそれがセカンドレイプのように被害者に不快を与える恐れもあり、少なくとも一方的な謝罪で済む問題ではありません。
「(謝罪)相手のことを考える」のは謝罪の基本中の基本ですが、謝罪を自分のために行ってしまうことは意外に多いのです。「自分のため」とは自分自身が罪の意識から解放されたいとか、スキャンダルから逃れたいなど、不都合な環境の改善を求める欲望です。
・危機は裕太氏ではない
刑事事件にまでなったトラブルですから、事件そのものが危機ではあるのですが、危機に陥った時、人間は当然うろたえ動揺し、冷静な判断力を失います。そんな時に周囲が支えることが何より重要で、今年相次いでいる謝罪騒動では芸能人などの場合、所属事務所がこの役割を負うべき主体になります。
当事者ではない事務所が、少しでも冷静な目で今起こっている危機を把握し、その危機から逃れる手を打つ必要があります。そのためには「何が危機なのか」をしっかり把握しなければなりません。この件ではもちろん裕太氏が張本人です。しかし世間が注目したのは決して高畑祐太氏という俳優ではないでしょう。大物女優である、母・高畑淳子さんがあっての裕太氏であり、大女優であるがゆえに子供を甘やかした、お金でかたをつけたなどのネガティブな声が蔓延することは目に見えています。
つまり裕太氏の扱いはもちろんですが、同時にその火は母・敦子氏にも類焼しています。実際淳子氏自身が記者会見で1時間を超える質疑応答に応じました。大物女優であるがゆえに子供としても注目され、それが仕事につながったのは事実でしょう。その子供が事件を起こした以上、当然母親にも目が向けられます。この事態の収拾は裕太氏単独では成り立ちません。高畑母子、高畑家の危機としてとらえなければならないなのです。
・ゴール設定
異様な謝罪会見のようなものを行った裕太氏ですが、不起訴となった以上、犯罪ではありません。弁護士からも話す内容については打ち合わせや指導があったことでしょうが、その後発表されたコメントでは、あたかも合意であったかも知れないなど、相当に踏み込んだ表現がありました。
この危機が裕太氏単独のものであれば、この方向は間違っていないと思います。しかしこれを高畑家の危機ととらえたらどうでしょう。不起訴であること自体がお金で解決した、口封じをしたなどと批判する人は当然出ます。またあの睨みつける目は全く反省していないなどの批判も当分残るでしょう。
法的には犯罪が起こっていないと認定されたものであっても、これを感情的に世間一般は受け入れるでしょうか。この事件に批判的な感情を持つ人にとって、法的結論以上に重要なのはイメージです。危機管理、事態収拾で欠かせないのは「何を目標とするか」というゴール設定です。
結果として示談、不起訴という流れは、印象上白か黒かの二者択一の結論ではない状況を作りました。どんな状況に持っていきたいかというゴール設定は危機において決定的に重要です。
・ペニオク事件
2012年ごろあったペニーオークション詐欺事件では、広告に出た芸能人が大きな批判を呼びました。そのことが原因でほぼ芸能界から消えたといわれる人もいます。一方で、広告に関与していながら事件後姿を現さなくなり、事件の記憶も薄れたころ、少しずつ露出を増やしてきた人もいます。毎日のように芸能ニュースがあふれる現代、1ヵ月前のことですら記憶からどんどん薄れていく中、3年も4年も前の事件のことなど、覚えている人の方が少数になっていきます。
成功した危機管理にはこのような「記憶から消える」というものもあります。食品材料で偽装があったと、端緒となったホテルチェーンの社長が自社の責任を回避するかのような説明をして炎上した事件がありました。しかしその後他にも食材偽装をしたと謝罪する専門店やレストランが雨後のタケノコの如くあふれかえました。今、それがどこの店だったか、ほとんど記憶に残っていません。
こうした時間をつかって印象を薄めることも危機の収拾においては選択肢の一つです。ただしこの方法は、人の記憶から消え去るほどの長い時間が必要です。数年間露出が無くなるという空白を経て、必ずその後復活できる保証はありません。むしろ流れの速い芸能界などは、悪い記憶だけでなく、本来の芸能における存在感をも消し去ってしまうリスクもあります。
・守るべきプライオリティ
今起きているのは芸能生命をも脅かしかねない危機です。それは新進俳優である裕太氏ではなく、おそらく高畑家を支える淳子氏の危機です。これを守ることが最優先であり、これが崩れれば一家を支えることが出来なくなる恐れがあります。
本来裕太氏が行動すべき基準はここです。ご自分の処遇への不満や、そもそも事件ではないという意識があるかも知れません。しかしそれを裁判に持ち込んで完全無罪を勝ち取れるかどうか、こればかりはどんな優秀な弁護士がついても確実とはいえません。裁判にまで及んだ場合、絶対的な無罪の証明をすることはきわめて難しいといえます。今回不起訴になったことで法的に事件ではなくなりましたが、イメージは何となくもやっとしたものが残ってしまいました。
このネガティブなイメージを消すには、あのような目立った言動はすべて逆効果です。いかに印象に残らないよう、何のイメージも付かないような言葉、外見、行動でおさめるべきでした。そしてそのままスタッフなどの裏方仕事に就き、5年10年という時間が過ぎれば、もしかすれば再び芸能の世界に戻るという可能性もあるのかも知れません。
今回の謝罪になっていない謝罪によって、こうした復帰は遠のいたといえると思います。