会社員、女優を経てドキュメンタリー監督へ。命や人をテーマに作品を手掛ける岩崎靖子監督インタビュー

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ドキュメンタリーは社会の拡大鏡だ。日々、私たちの暮らしでは様々なことが起きている。その中で、実際にあった出来事を記録として構成するドキュメンタリーは、多くの事柄に紛れ、見落としがちになりそうな大切な事象を、フィクションとはまた違う手法で直接的に私たちへ提供してくれる。そんなドキュメンタリーの良さとは何か? 「命」「人と人との関わりあい」をテーマに映画を撮る岩崎靖子監督に、ドキュメンタリー映画の見どころや制作方法などを聞いてみた。

――ドキュメンタリーは、フィクションで構成される映画と作り方が異なると思いますが、岩崎監督はどのように撮っていますか? 
ドキュメンタリーの撮り方は2種類あって、まず全体の構想を立ててから、それを軸に取材で肉付けしていく方法と、特に終わりを決めず自らの感覚に任せる方法とがあります。前者の手段を取る監督も多いのですが、私の場合は後者で、撮り初めた時に着地点を決めないため、いつもそれなりの覚悟をしながら撮り進めています。

――覚悟というのは? 
「撮る!」と決めた直観が、作品として完成して関わった人や鑑賞した人の未来につながっていると信じ抜く覚悟です。私の作品で『僕の後ろに道はできる』という脳幹出血で倒れ植物状態になった患者さんの回復への道のりを追った映画があります。一般的には治らないだろうと思われていた重い症状でしたが、治る可能性もあったのでカメラを回し始めました。結果、周囲の献身的な介護と本人の努力で、好転してきたんです。終わりや将来の予想がつかないドキュメンタリーは、ある意味賭けであり、その中で「いかに最初のインスピレーションを信じ続けられるか」ということが肝心です。今回の作品は4年かけて取材しましたが、長い監督になると10年かかるという人もいます。

――取材対象はどのように決めますか? 
じつは、あまり考えていないんです(笑)。自分の中にうれしいざわめきが起きた時にカメラを回します。今、撮っている作品が『大地の花咲き』という北海道で有機栽培を行う農家の話。過去には前述の闘病生活をつづった『僕の後ろに道はできる』特別養護学校の先生を取り上げた『宇宙(そら)の約束』などタイトルだけ並べるとテーマに一貫性がありませんよね(笑)。ただランダムに思えても、それらには共通して「命」「人と人の関わりあい」ということが主題として流れていて、私はこういうものに惹かれているんだということが分かりました。

――なぜドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか? 
きっかけの1つは、私が根暗だったということが理由です。当時の私は人付き合いがとても苦手で、些細なことですぐ傷つき、殻に閉じこもってばかりいました。そのような中で、どうすれば前向きになれるのかと考えていた時期に、ドキュメンタリー映画を見て元気づけられました。人は面白いもので、ずっと自分の中にこもっていると、今度は自分を表現したいという欲求が出てきます。最初は女優をしたのですが、これは向いておらず、その後撮る方から撮られる方に情熱が向き、現在に至っています。

――どの分野もそうですが、いざ始めようと思っても、軌道に乗るまでが大変ですよね。
そうなんです。自主制作で撮るため、以前は仲間で各自月1万円ずつ積み立てをして、それを交通費とかテープ代の資金として作品を作っていました。当時の私は本当にお金がなくて、その1万円が払えない時期もありました。今は作品に共感しスポンサーになってくれる方々が増えたため、以前のようなことはなくなりましたが、以前は本当に大変でした。自主制作だと資金繰りは大変なものの、制約は少なく、自分が純粋に表現したいものを表現できます。そして今では、日本各地やパリなど海外でも上映会をできるようになり、大変ありがたく感じています。

――今年4月にパリで『僕の後ろに道はできる』の上映会がありましたが、日本と海外で映画に対する観客の捉え方に違いは感じましたか? 
上演後に観客の方々からお話をうかがうと、フランスは作品内で提示された問題について「どう解決していくか」について、自らの感想を述べる方が多いように感じました。一方で日本の場合は、映画に自身の人生を重ね、自分の生き方を振り返りながらご覧になる方が多いように思いました。いずれにせよ観客の方々の思いに、この映画を撮って良かったと、私の心が深く動かされたことに違いはありません。

――ドキュメンタリー撮影を通じて何を強く思いますか? 
「命というものは関わりの中でこそ輝く」ということを強く感じています。人生は辛いですし、他人がよく見えたり「なぜ自分はこんな風なんだろう?」と塞ぎこむことが誰しもあると思います。しかし私は、ドキュメンタリー制作を通じ、人々や世界に触れていくうちに、「自分が自分である」ということが素敵で自然なことなんだと思い始めました。ドキュメンタリーは娯楽要素が強くありません。フィクションを描いた映画と比べても、一般的な関心は薄いと思います。ですがドキュメンタリーは、様々な世界に触れられる扉の1つです。ゆえに、まだ深く味わったことがない人も、ぜひ一度ドキュメンタリーに触れてほしいです。

ドキュメンタリーは、私たちが暮らしている社会の一部に、監督の感性でマーカーを引いた本のようなものだ。同じ事実でも監督によって印象はガラリと変わる。岩崎監督は「とにかく人が好き」だそうで「その人が持つ存在感の肌触りみたいなものに触れた時に、すごくわくわくする」という。岩崎監督は今日もカメラで自分なりのマーカーを引きながら、気持ちをドキュメンタリーとして表現し続けている。
(加藤亨延)