小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第127号(2013年01月25日配信号)より抜粋※

――これまでの指導の中で、選手のメンタルを変えることができた好例はありますか?


宮内 去年ファジアーノ岡山に入った飯田涼という選手がいます。中学は横浜F・マリノスのジュニアユースでプレーしていました。うちは毎年夏頃までに、主要Jクラブのジュニアユースと1年生との練習試合をします。飯田のいたマリノスのU−15もうちに来てもらって1年生と試合をやって、成立学園の環境、雰囲気を味わってもらいました。一方で、われわれもマリノスの選手を見させてもらい、いい選手がいないかとチェックするわけです。


 そういう試合では終了後に、「この子は、ユースに上がるのですか?」と聞きます。興味を持った選手がユースに昇格するかどうか、ダメ元で聞くわけです。中には、高校サッカーを望む子もいるかもしれませんから。マリノスU−15の時は、「いや、みんなユースに上がります」と言われ、向こうから逆に「今からでる2本目、3本目の選手たちを見てもらえますか?」と言われました。その中に飯田ともう1人気になる選手がいて、2本目、3本目の試合後に「ぜひ、ほしい」と言ったんです。


 するとコーチの方から、「宮内さん、この2人に目をつけてくれて本当にありがとうございます」と言われました。「本来はこういう2人を何としてでもユースに上げたかった」と。どうしてもその時点で『早い』『でかい』『うまい』選手を選んでしまう傾向があって、他の高校から声がかかるのもそういう選手たちだと。
 
 だから、この2人はフリーだと言うので、「是非、成立に」ということで入ってくれました。それで3年間一生懸命やってくれました。飯田はお母さんがフィリピン人、お父さんが日本人のハーフで、独特のリズムがあるんです。身長は165センチ程度で小柄なのですが、どうにかこういう彼を上につなげたいと思って、いろいろなことを話しながら指導しました。
 
 彼自身も「僕の武器は何ですか?」と積極的に聞いてきて、サッカーのことに関してものすごく真摯に、一生懸命に考える姿勢を持っていました。


 サッカーに関しては本当に真面目で、言ってみれば大津みたいなタイプでした。「こいつは大学に行くよりも、どこかが認めてくれたら上につなげたいな」と考えていました。そうすると、高校2年生の頃にジュビロ磐田のスカウトが来て、「宮内さん、あの子何年生ですか?」と聞いてきました。「2年生です」と答えると「あの子面白い」と。ジュビロとして彼を追いかけるということだったので、「どうぞ見てやってくれ」となりました。
 
 そういう話もあったし、大学からも「あの子面白いね」と。まあ、誰が見ても面白かったですから。それで3年生になって、ジュビロのスカウトが「ぜひ練習参加してくれ」と言うことで、練習に連れて行きました。ジュビロ以外にも、甲府、横浜FC、岡山といくつかのJクラブに連れて行ったんですよ。
 
 そうしたら彼は、ずっと練習していたかのように、「もっとボールを出してください」と最初から要求するような姿勢を見せてプレーしていた。今までいろいろな選手を連れて行きましたが、彼みたいな選手は初めてです。小さいくせに、偉そうに「ボール出せ」とやっているわけですよ。ある意味、「大したものだな」と思いました。


 ただ、好きなことしかやらないというわけではないんですけど、もう少し大人になってもらいたいなという部分がいろいろな生活の中にもありました。Jの練習にシーズン中に連れて行ったことで、ますます自信を持って、チームに帰って来た時に、自分でやりすぎるというか、もっと周りをうまく使いながら自分の良いところを出してほしいなというようなところが出てきた。
 
 キャプテンをやっていたのですが、周りから「あいつは自分だけでやる」みたいに思われ始めたし、実際に一人でもできてしまうからそういう目で見られたり、言われたりと危ない時期もありました。サッカーはチームスポーツですから、周りにいろいろな目があって、「あいつとサッカーをやりたい」とならなきゃいけないわけです。最終的にはそういうふうになっていって、岡山入りが決まったんですけど。


 それで、選手権予選は準決勝で負けてしまって、プリンスリーグの試合が2試合残るような状況でした。3年生にとってはとても辛い、選手権で勝っての2試合だったらいい強化試合になったわけですけど、言ってみれば目標を失っている中での試合でした。けれど、その2試合をみんなで頑張りながら、重い荷物を下ろしてのびのびサッカーができたわけです。
 
 そして、最後のゲームは大宮アルディージャのユース相手にいいゲームをやったのですが、2−3で負けてしまった。試合後、最後だからみんなで写真撮りましょうとやっていた時に、飯田涼だけが一人悔しがって大泣きしていたんです。


 その写真では彼だけ下を向いて、ワーワー泣いている。今までみんなに迷惑をかけたということと、このゲームに勝てなかったということで。キャプテンとして、最後にみんなでやってきたのに勝てなかったと。私が感じるには、そういうところで彼は変わったのではないかと思います。
 
 それで岡山に行って、27、28歳の先輩たちの中で18歳のプロ選手としてやっているわけです。最初から声を出して、仕切ってやっていたし、一緒に食事をしてもすごく立派になっていて、身体のケアのことなどの話をしてくる。成長してやれているなと。よって、私はあの最後の大宮とのゲームが無事に終わって良かったと言っている中で、一人泣いて悔しがっていた姿というのは、上につながるメンタルなのかなと感じました。



(c)赤石珠央



――指導者として、選手に次のハードル、目標を与えていく作業というのは大切なのでは?


宮内 そうですね。みんながみんな、サッカーで上につながっていくわけではないですが、その子なりの目標をはっきりと見えるようにしてあげればいけないと思っています。また、一応日本には「引退」という言葉がありますから(苦笑)。高校3年生で何が引退だ、と思いますけど。そういう呼び方になっているので、選手権で負けてから残りの何カ月かをガンガン練習して、大学に行く準備をしなければいけないのではと思っています。


 高校サッカーでいうと、全国まで行けば1月に終わりますけど、それでも3月までの2カ月くらいを自動車の免許を取ったり、次のステップへの準備期間に充てるわけです。もちろん休むことは大事なんだけれども、ここの期間こそしっかりトレーニングしておかないといけないと思います。そういうところは、しっかり伝えたいと考えています。


――選手との付き合い方というのは、選手のパーソナリティに合わせて変えているのですか?


宮内 十人十色だから、変えていると思います。ただベースになるところ、「成立学園サッカー部のルールはこれだよ」というのはあります。そこは、最低限守らなければならない。ただA君、B君、C君はみな違うので、こういう伝え方をしてやった方がいいなというようなことは、Jリーガーの選手を相手にしても絶対にあることだとは思います。



小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第127号(2013年01月25日配信号)より抜粋※