それは「流行語大賞」の呪いか、それとも「24時間マラソン」の悲劇か─。いずれも08年にWで“偉業”を達成したエド・はるみは、そこから転落一直線。その理由は「身から出たサビ」?

〈私がTVに出られなくなったこと、これは公に初めて言うことです〉

 こんな書き出しのブログをエド・はるみがつづったのは、昨年12月のこと。一時の大ブレイクがうそのように静まったことに、一部で「島田紳助の怒りを買ったため」とささやかれたが、その真相はマネジャーの怠慢にあったと指摘。

〈流行語大賞授賞式の時、「20時に会場に入って」と言われ、その通りに入ったら、式は17時から始まっていて「わざと遅刻した」とまで書かれた〉

 こうした例をいくつも並べていたのだ。ただし芸人仲間からは批判的な声ばかり。

「1人のマネジャーが100組から200組の若手芸人を見るんだから、連絡ミスなど当たり前。それよりもエドさんはプライドが高すぎるから、そちらのほうが問題」(吉本の若手ピン芸人)

 ブレイク直前の08年1月には、ほんこん(130R)が座長を務めた新喜劇に呼ばれたが、この場でも一触即発の事態が起きた。

「私、こういうキャラクターじゃないと思うんです」

「何やとォ!」

 大目玉を食らっても一歩も引かない姿勢は、吉本内部で“伝説”になったほど。

 さて冒頭のブログだが、当のマネジャーが退社していることを前提に書かれてはいても、結局は会社批判にほかならない。

「すぐに削除しろって会社命令が出たけど、エドは即座には応じなかった。そのため、ネット上でも内容が広がる事態になったため、強制的に削除の処置が取られた」(構成作家)

 ここ数年は中央の仕事量が減っていたエドだが、さらに吉本は厳しいペナルティを科す。

 「言うこと聞かないんやったら干すしかないやろって判断をされました」(吉本の若手芸人)

 ブログを見ても、ローカル局やラジオ番組の仕事がほとんど。小島よしおやダンディ坂野のような「一発屋」をウリにした企画にもまったく呼ばれない。

〈また一から努力して、這い上がっていくしかありません〉

 削除されたブログは、こう締めくくられているが、はたして“味方”はいるのだろうか‥‥。