うつみ宮土理 自責の涙…傷心支えてくれた義妹が交通事故死
強い日差しが照りつけてくる東京都内の斎場で、うつむき加減に歩いていたのは、うつみ宮土理(72)だった。
本誌が彼女を目撃したのは8月4日。夫・愛川欽也さん(享年80)の密葬が4月17日に行われてからわずか3カ月半、うつみにとってまた“大切な人”との別れがあった。義妹であり、事務所「愛川企画室」のプロデューサーを務めていた内海寿美子さん(享年69)が交通事故で急逝したのだ――。
うつみの知人は言う。
「うつみさんの2歳年下の弟さんと、寿美子さんが結婚したのは’69年。それから6年後の’75年から、うつみさんと愛川さんは『シャボン玉こんにちは』で共演。その後、交際が始まりましたが、愛川さんには妻と2人の子供がいました。そんな“不倫”に悩み、自律神経失調症のため一時期は芸能活動を休止するほどだったうつみさんを支えていたのが、寿美子さんでした」
愛川さんとうつみが結婚したのが’78年。寿美子さんは40年も公私にわたり、愛川さん夫妻をサポートしてきた。
「4月15日に愛川さんが肺がんで亡くなった後、うつみさんは食事を摂ろうとせず、『愛川さんのあとを追うつもりでは……』と親族は心配していたのです。見かねた寿美子さんは、うつみさんの自宅に泊まり込んでいました」(前出・うつみの知人)
東京都内の納骨堂に、ようやく愛川さんの遺骨を納められたのは7月15日。そして再び悲劇が起こったのは1週間後、7月22日のことだった。
うつみの自宅は閑静な住宅街にある。事故が発生したのは、目と鼻の先の細い路地だ。この日、うつみは病院に行く予定だった。自宅に来ていた寿美子さんは、彼女のために電話でタクシーを呼ぼうとした。だが、生前の愛川さんと親しかった映画関係者は言う。
「いつも使っているタクシー会社が混み合っていて配車に時間がかかるとのことでしたので、寿美子さんが近所にタクシーを探しにいったのです。なかなか彼女が帰ってこないので、うつみさんも『どうしたのかしら』と心配していたそうですが……」
寿美子さんの事故を知り、うつみは呆然としていたという。寿美子さんは、病院に搬送されたが7日後の29日に亡くなった。
「8月4日に行われた告別式で、喪主である寿美子さんの夫が、事故の経緯を話したのですが、うつみさんはずっとうつむいていました。彼女にしても“自分のために彼女が……”と、考えるといたたまれなかったのではないでしょうか」
相次いだ悲劇に、うつみの傷心の涙は止まらない――。
本誌が彼女を目撃したのは8月4日。夫・愛川欽也さん(享年80)の密葬が4月17日に行われてからわずか3カ月半、うつみにとってまた“大切な人”との別れがあった。義妹であり、事務所「愛川企画室」のプロデューサーを務めていた内海寿美子さん(享年69)が交通事故で急逝したのだ――。
うつみの知人は言う。
愛川さんとうつみが結婚したのが’78年。寿美子さんは40年も公私にわたり、愛川さん夫妻をサポートしてきた。
「4月15日に愛川さんが肺がんで亡くなった後、うつみさんは食事を摂ろうとせず、『愛川さんのあとを追うつもりでは……』と親族は心配していたのです。見かねた寿美子さんは、うつみさんの自宅に泊まり込んでいました」(前出・うつみの知人)
東京都内の納骨堂に、ようやく愛川さんの遺骨を納められたのは7月15日。そして再び悲劇が起こったのは1週間後、7月22日のことだった。
うつみの自宅は閑静な住宅街にある。事故が発生したのは、目と鼻の先の細い路地だ。この日、うつみは病院に行く予定だった。自宅に来ていた寿美子さんは、彼女のために電話でタクシーを呼ぼうとした。だが、生前の愛川さんと親しかった映画関係者は言う。
「いつも使っているタクシー会社が混み合っていて配車に時間がかかるとのことでしたので、寿美子さんが近所にタクシーを探しにいったのです。なかなか彼女が帰ってこないので、うつみさんも『どうしたのかしら』と心配していたそうですが……」
寿美子さんの事故を知り、うつみは呆然としていたという。寿美子さんは、病院に搬送されたが7日後の29日に亡くなった。
「8月4日に行われた告別式で、喪主である寿美子さんの夫が、事故の経緯を話したのですが、うつみさんはずっとうつむいていました。彼女にしても“自分のために彼女が……”と、考えるといたたまれなかったのではないでしょうか」
相次いだ悲劇に、うつみの傷心の涙は止まらない――。