中間管理職の新需要 冷泉家三男、藤原惺窩(せいか、1561〜1619)は、戦国の時代にあって京都御所北の相国寺で風流三昧。1590年に秀吉の天下統一を祝う朝鮮通信使一行二百名を通じて朱子学を知り、93年には江戸で家康に招かれて『貞観政要』を説くも、その後は生まれ故郷の播磨へ。家康が二千石で取り立てようとしたが、1605年、弟子の林羅山(1583〜1657、22歳)を推挙し、自分は京都の北、市原の庵に引っ込んでしまった。 ど