後半からピッチに立った25節のキエーボ戦、本田は可能性を感じさせた。 (C) Getty Images

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 いよいよ根性で頑張らなければならない局面にまで来てしまった。強い意志とプロフェッショナリズム。これが今シーズンのミランに残された最後の武器だ。もうそれしかないだろう。
 
 はっきりしているのは、もはやフィリッポ・インザーギ監督の手には負えないということだ。選手一人ひとりが奮起し、復活のきっかけを作るしかない。ただし時間はもうあまりない。
 
 スコアレスドローに終わったキエーボ戦(25節)の内容は惨憺たるものだった。逆境に立ち向かう反発力のなさを、ミランはまたしても露呈したのだ。
 
 チームが困難な状況に陥った際、選手は大きく2つのタイプに分かれる。
 
 ひとつは、やる気を失い、まあどうにかシーズン終了まで無難にやり過ごそうとするタイプ。彼らはインザーギにも見切りをつけている。
 
 もう一方は、それでもチームを愛し、チームメイトと、サポーターと、そして自分自身のためにも、誇りとスポーツマンシップを持って最後まで諦めずに頑張るタイプだ。本田圭佑は間違いなくこちらにカテゴライズされる。
 
 本田は多くを語らない。それでも口を開けば、高いプロ精神と強い気持ちが感じられる。だからこそ、今のミランの歩みを変えうる貴重な存在なのだ。シーズン終了まであと13試合。チームを完全に復活させるのは難しいだろうが、ある程度の修正を図ることができれば、ヨーロッパ行きの最終電車にはまだどうにか間に合うはずだ。
 
 キエーボ戦でもインザーギは本田をベンチに座らせたまま試合を始めた。2-0で勝った前節チェゼーナ戦の戦い方を持続したかったからだろう。しかし結果は散々だった。見るべきプレーはなく、敵のゴールを脅かすシュートもなし。チームとしての方向性が見えなければ、誰も走らない、動かない。とにかく、なにもなかった。
 
 そのなかで、微かに希望の火を灯したのは、後半から入った本田だった。ダッシュやダイレクトパスを駆使してプレーのスピードを上げようと試み、得意の左足で強烈なミドルシュートを放った。キエーボの守備をかいくぐって攻めようとし、ファウルを誘おうともした。すべてが前半のミランには見られなかったものだ。
 
 渾身のミドルは残念ながらクロスバーに嫌われ、勝負を決する違いを作り出すことはできなかったが、本田はチームに欠けていた「やる気」をピッチにもたらした。
 4-2-3-1から4-3-1-2へのシステム変更で、右アウトサイドを任されていた本田はポジションを失った格好だ。とはいえ、トップ下は言うまでもなく本田の本来の居場所であり、再びそこでプレーする機会が与えられそうだ。リッカルド・モントリーボとナイジェル・デヨングの故障離脱で手薄になった中盤に、トップ下のジャコモ・ボナベントゥーラを回す必要性が生じたからだ。
 
 ヴェローナ戦(3月7日)でインザーギは引き続き4-3-1-2を採用するのか、あるいは4-2-3-1に戻すのか、それはまだはっきりしない。しかしいずれにしても、本田に主役の座が回ってくることはほぼ間違いないだろう。
 
 アジアカップからの帰還後は疲労もあってか精彩を欠き、スタメンから外れた試合が続いたが、これからが本田の出番となりそうだ。キエーボ戦での闘志と頑張りを見れば、インザーギは本田をベンチに座らせてはおけないだろう。なにより、彼はこれまでインザーギが最も信頼する選手のひとりだったのだ。
 
 ここで冒頭の話に戻る。ミランがその再起を、個々の意地と誇りに賭けるしかないのなら、本田ほどそれに適した存在はない。他の選手が力を出し惜しみしているとは言わないが、本田はいついかなる時も全身全霊を捧げてプレーする。
 
 チームメイトに与える影響は大きいだろう。本田がやるんなら、俺たちだってやってやる――。チームがそんな空気になれば大成功だ。
 
 本田はミランを混乱から救いうる足と頭を持っている。いわばミランの未来を開く鍵、泥沼から脱出するためのリーダーだ。試合中ずっと吠えつづけたジェンナーロ・ガットゥーゾのようなリーダーではないが、行動で集団を導くリーダー。それこそが、いまチームにとって必要なものだろう。
 
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト
協力・翻訳:利根川晶子
 
Marco PASOTTO/Gazzetta dello Sport
マルコ・パソット
1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。