「反対の声が多いときほどチャンスはある」“革命児”のビジネス思考術とは?

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 スマホ一台で飲食店のサービスは変わる――そう断言するのは、アスカティースリー株式会社代表取締役の小林俊雄さんだ。ダイエーに入社後、新人で売上1位を記録、新規事業を担当した際にはローソンの「Loppi」の開発に携わり、チケット販売に革命をもたらした。
 そんな小林さんが現在普及に取り組んでいるのが、タッチパネル式オーダーシステムだ。飲食店で見かけたことがある人も多いのではないか。

 小林さんの著書『「超一流のおもてなし」は、スマホ一つでできる。』(自由国民社/刊)は“ブラック”色が強いといわれる飲食業界を変えるための方法や、「おもてなし」の意味などを説明した一冊だ。
 新刊JPは小林さんにお話をうかがうことができた。今回はその前編だ。
(新刊JP編集部)

■反対意見が多いビジネスほど成功のチャンスがある

――まずは小林さんの経歴についておうかがいします。小林さんは学生時代に伊勢丹で働き、その後ダイエーに就職され、バイヤーとしてご活躍されます。ダイエー時代には新人のときに売上全国一位を達成したり、地方に転勤になって挫折を味わったりもするわけですが、ダイエー時代のお仕事で最も印象的なエピソードを教えて下さい。

小林:おっしゃるように、私は伊勢丹で学生社員という形で働いていたことがあったので、商売の感覚をダイエーに入社する頃にはもう持っていたと思いますね。学校の授業が終わってから伊勢丹に出社して、3時間ほどバイヤーにノウハウを教えてもらうんですよ。
だから、ダイエー入社直後、赤羽店の家電販売のセクションに配属されたときも、利益の出し方を知っていたのですぐにトップになりました。

――新人でトップというのはすごいですね。

小林:でも一人では圧倒的な数字は作れないので、仲間づくりは意識してやっていました。例えば本社のバイヤーと仲良くなるとか。また、出勤する前に、購入見込みのある家にビラを配るというような他の店ではしていないことも率先してしましたね。当時はそういったことはあまりなかったので。

――なるほど。

小林:普通なら与えられた数字をいかに達成するかということを考えますが、私の場合は、いかに利益を作るかというゲーム感覚で仕事をしていました。与えられた目標の倍くらいには届かないと面白くない、と(笑)目指すところがすでに他の人たちとは違うので、出てくる結果も当然違ってきます。
そうやって際立った存在になると、いろんな人が寄ってきて「今度一緒に仕事しましょう」と声をかけられるようにもなりました。一方で私を嫌がる人も出てきましたが、それはあまり気にしませんでしたね。

――そういった仲間作りをするのは大変だったのではないかと思うのですが。

小林:もともと学生時代にそのような活動をしていたんです。例えば学生を集めてスキーツアーを開催したときがあって、まず講師役としてスキーが得意な人(スキー部部員)を探し、さらに旅館との契約をして…とやっていくと、どうしても一人ではできない。参加者の募集もかけられないですから。そういった中で、いろんな人を巻き込んで一緒に仕事をするためのノウハウを学んだのだと思いますね。

――仲間に誘う時の口説き文句はあるのですか?

小林:具体的なものはないですが(笑)どんなことでも、ゴールの先を示すことは大事ですね。ビジネスならば、トップを取ることを通過点と捉えて、その先を見せるといいましょうか。トップになることがゴールではなく、その先に何があるかということを語るのです。

――本書でも書かれていますが、山形県鶴岡市の新規開店の際に挫折を味わったというのは、その華々しい経歴からすると意外でした。

小林:それまでの成功体験があまり通用しなかったんです。マネージャーに昇格して、(山形県)鶴岡の新規店に赴任したのが23歳とか24歳頃だったのですが、普通であればマネージャーになるのは34、35歳くらいなんですね。

――それは異例の早さですね。

小林:そう。だから部下はほとんど自分よりも年上なんですよ(苦笑)マネージャーのメインの仕事は部下を育成したり、評価をしたり、あとは責任者ですよね。クレームを受ける仕事は多かったです。
東北の方々はすごく我慢強いので、クレームを入れてくるというのは、よほど怒っているときなんです。また、赴任してすぐなので方言も分からない。言われていることが理解できず、とても情けない状態でした。また、部下の人たちの多くは地元出身ですから、どうしてもよそ者扱いされてしまう。そんな日々が続きました。
ただ、1年半(鶴岡に)いたと思うのですが、最後はみんなすごく慕ってくれるようになりました。あのときの苦い経験は、その後にすごく活きています。

――小林さんのダイエー時代のお仕事の中でも特に目を引くのが、(当時ダイエーの子会社だった)ローソンの「Loppi」を企画開発されたことです。こちらはどういう経緯で携わることになったのですか?

小林:1990年代のはじめの頃ですね。当時、ダイエーの中で、情報通信部門の収益が伸び悩んでいたので、そのことを創業者でありCEOであった中内で(功)さんに進言しました。「じゃあ、君がやってみろ」と直接言われた訳ではありませんが、1ヵ月後に情報通信部門の責任者への異動辞令来てしまったのです。
まだコンピューターというものが一般的に普及していなくて、今のように一家に一台以上というような社会は想像もできない。一台70万円、80万円もするような時代ですよ。ただ、世の中のトップを走っている人たちは、やはりコンピューターがいずれ社会を変えるということが分かっていたようです。中内さんも「コンピューターは数年後には家庭に入ってくる」と予見されていました。

――トップを走っている人たちは先見の明がありますよね。

小林:そうなんですよね。また、インテルさんやマイクロソフトさんといった現在のメガ企業は、当時そこまで大きくなくて、トップクラスの方がすぐに会ってくれたりしていたんです。
彼らが語っていたことは非常に魅力的な未来で、私自身もその話を通して、コンピューターが流通を変えるだろうということに気づきました。彼らは私をヘッドハンティングしようとするんですよ(笑)でも、私が(ダイエーに)辞表を出しても会社は受け取ってくれない。そこで「君は何がやりたいんだ?」と聞かれて、やりたいことを話すと、そのための会社を作って頂いたんです。

――その中ではどのようなことをされたのですか?

小林:新規事業としてインターネットを活用しての販売事業などを行いました。実はロッピーの開発もその新規事業の一つです。チケットを予約する機械ですね。これはものすごくヒットしまして、3年間で450憶円ほどの取扱高になりました。
当時、チケットといったら「ぴあ」さんのプレイガイドという状況で、土曜日の朝になると人々が並んで買うというのが当たり前でした。今はインターネットや電話で購入することができますが、そのときはプレイガイドでの店頭販売が基本でした。コンビニでの取り扱いはほぼゼロでした。
そこで24時間、予約したチケットを何処のローソンでも受け取れるというシステムを導入しました。最初、ローソン本部からは大反対されましたが、少しずつ歩み寄っていって、なんとか開始に漕ぎ着けましたね。利用者のニーズがあることははっきり分かっていたので、始まれば上手くいくと思っていました。

――小林さんの中で、新しくビジネスを始める際に「やる」「やらない」の基準はどこに設けているのですか?

小林:一つはそのサービスを通してハッピーになるのは誰かということを考えます。また、反対意見が出てくるものもチャンスです。誰もやっていないけれど明らかなニーズがあるというビジネスは可能性があります。少しくらい失敗しても、その分成功したときは大きいですからね。

(後編に続く)