8時間もの長きに渡って繰り広げられる苛酷な戦いの中では、誰も予想しえなかったことがいくつも発生する。そして、それらの艱難(かんなん)を乗り越えてなお、ゴールへ向かって進んで行く選手やチームスタッフの姿を目の当たりにしたとき、人はこのレースの虜(とりこ)になるのだろう。

 37回目の夏を迎えた2014年鈴鹿8時間耐久ロードレースは、例年のレースなら考えられないようなことが次から次へと発生した。木曜に始まったレースウィークは、金曜の公式予選から土曜の予選上位10チームによるタイムアタック「トップテントライアル」まで、『真夏の祭典』の名に相応しく、照りつける強い陽射しの中で行なわれた。決勝日(日曜)の天候も、当然のようにこのうだるような暑さが続くかと思われたが、案に相違して当日の気象予報では正午前後に雨の可能性が報告されていた。決勝レースは11時30分に始まり、日没後の19時半に終了する。決勝スタート時刻の11時30分が近づくにつれ、雲行きは次第にあやしくなり、ライダーたちがル・マン式スタート(※)のグリッドについたときには、激しい雨が降り始めた。

※ル・マン式スタート=エンジンを切ったマシンをコース端に予選順に並べ、スタートの合図で反対側の道路脇に待機していたライダーが駆け寄り、エンジンをスタートさせて走って行く方式。

 いわゆるゲリラ豪雨のような状態で、競技の安全性に対する配慮からスタート進行は遅延することになり、レース開始は12時35分へと改められた。終了時刻はルール上、19時30分から動かすことができないため、今年の「8耐」は8時間ではなく、6時間55分で争われることになった。ちなみに、このような事情でレースのスタートが遅延するのは、37年の歴史でも今回が初めてのことだ。

 雨の勢いは衰えたものの、水浸しの路面状態でスタートした決勝レースは、F.C.C.TSRホンダの第1ライダー、秋吉耕佑がホンダのマシンとコースを知り尽くした強みを発揮し、開始早々から圧倒的な速さを見せつけて大きなリードを築いた。これを、ヨシムラスズキ・シェルアドバンスチームの津田拓也や、レジェンドオブヨシムラスズキ・シェルアドバンスチームの青木宣篤が、後輪から猛烈な水しぶきをあげながら追う展開。

 青木は6周目のコース後半セクション130Rで津田を捉え、抜き去った直後にオーバーラン。コントロールを失って転倒し、マシンは大破した。「レジェンド」として大きな注目を集めたチームだったが、ピットで青木の走行を見守っていたケビン・シュワンツ(アメリカ)は、このアクシデントにより結局、決勝レースは1周も走行しないまま終えることになった。転倒した青木は、あまりの出来事に放心し、自責の念に駆られてしばらく立ち上がることもできないでいた。

 コース上では、秋吉が周回ごとに後続との差を開き続け、25周回を走行してチームメイトのジョナサン・レイ(イギリス)にマシンを託した。今年のSBK(スーパーバイク世界選手権)でランキング3位のレイは、雨が上がって路面が乾いていく難しいコンディションをものともせず、秋吉の作ったマージンをさらに確かなものにしていった。レイの走行が終わるころにはまたも雨脚が強くなり、マシンは再び秋吉へ。時間の経過とともにF.C.C.TSRホンダの最強コンビは優位性を際立たせてゆき、秋吉が再度レイにマシンを託す15時半ころには、彼らはすべてのチームを周回遅れにしていた。16時半をまわり、103周目を終えたレイがピットへ戻って秋吉がコースイン。ところが、その5周目に秋吉が130Rでフロントを切れこませて転倒。108周目で圧倒的優位から突然の奈落へと転がり落ちる、あまりに激しいクラッシュにリタイアは確実にも見えた。

 しかし、いったんは担架に乗せられた秋吉は再び立ち上がってマシンにまたがり、10分後にピットへ戻ってきた。「17時半を目処にマシンを修復する」とチーム監督は宣言し、その言葉どおり修復が完了。脚を負傷した秋吉に替えて第3ライダーがコースインしていったものの、彼らの順位はすでに50位へと沈んでいた。その第3ライダーからマシンを託されたレイは、ヘッドライトを灯(とも)したマシンで日没後のコースを走行。ほぼ確実視された優勝は、一瞬のうちにあっさりとその手から滑り落ちていったが、最後まであきらめることなく走り切ったレイは、19時30分に40位でチェッカーフラッグを受けた。

 優勝はMuSASHi RTハルク・プロ(高橋巧/レオン・ハスラム/マイケル・ファン・デル・マーク)。下馬評の高かった昨年の優勝チームが、今年も同一メンバーで2連覇を達成した。

 難しいウェットコンディションを何セッションも走行した高橋は、「雨は得意ではないので、無事に走れてよかった。3回目の走行も、本当は自分の番じゃなかったけど、雨の走行経験があるということで自分の番になった。雨はもうたくさんです。今度はドライで走りたい」と、はにかんだような表情で語った。

 これが2回目の8耐となる21歳のチームメイト、ファン・デル・マークも、ほほを上気させながら落ち着いた表情でレースを振り返った。

「本当は3セッション目が僕の担当だったんだけど、チームの判断で走行経験のある(高橋)巧に任せることにしたんだ。その次のセッションを走行したんだけど、安定したペースでどんどん速く走ることができた。最後の担当セッションでもいいペースでリラックスして走れた。2年連続で勝つことができるなんて、夢のようだよ」

 チームのひとりひとりが、あくなき闘争心と仲間への全幅の信頼を抱き、そして自らの責任に対する覚悟を背負ってそれぞれの職分をまっとうしてゆく姿が剥き出しになるのが、鈴鹿8耐だ。おそらく来年の8耐でも、誰にも予測できないようなことがいくつも発生するだろう。そして、そのたびにそれらを乗り越えてゆく姿は、人々の心をさらに強く揺り動かすだろう。

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira