「アッセンは、どうも勝てる気がしないんだよ」

 第8戦オランダGPのレースウィークを前に、HRC副社長の中本修平はそんなことを言った。たしかに、オランダGPの会場TTサーキット・アッセンでは、ヤマハが強さを発揮するという印象が強い。

 昨年の優勝はバレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)。2012年はケーシー・ストーナー(ホンダ)が優勝しているが、「ホルヘ(・ロレンソ/ヤマハ)が転倒に巻き込まれて1周目で早々に消えてしまったから勝てたようなもので、もしも彼が普通に走っていればケーシーが勝ったかどうかはわからなかった」と中本は見ている。

 実際、この10年ほど毎年のようにヤマハが勝ち続けているこのサーキットでホンダの優勝記録を見つけようと思うと、ストーナーの前は2006年のニッキー・ヘイデンまで遡(さかのぼ)らなければならない。

「ヤマハさんとウチはそれぞれいいところと悪いところがあって、簡単に言うとヤマハさんのマシンはコーナリングマシンでホンダは加速力のマシンだから、ストレートが短くて中速高速コーナーや切り返しが続く、動力性能を活かしにくいアッセンのようなコースは、ウチは苦手なんですよ。しかもここは天候がいつも不安定で、ドライコンディションでも路面温度が低いからね」

 そんな中本の憂慮を、マルク・マルケス(レプソル・ホンダ)はあっさりと吹き飛ばしてしまった。圧倒的なレース内容で今回もまた当然のように優勝を飾り、開幕以来の8連勝。

 優勝選手は25ポイントを獲得するため、マルケスはここまで無傷の200ポイントを積み上げている。今のマルケスの無敵ぶりは、よっぽどの悪運に見舞われて自滅でもしないかぎり、もはや誰にも止めることができない印象すらある。

 それはおそらく、21歳という若さにもかかわらず、天性の速さに加え、バトルの強さや勝負どころを見極めるしたたかさなど、勝つための全方位的な要素をすべて備えているからだろう。また、ライダーを支え、その能力を最大限に発揮させるチームの戦略も万全で、打つ手がすべていい方向に転がり、それがさらに巧みな妙手の呼び水になっている感もある。

 たとえば、オランダGPでは、〈ダッチウェザー〉と言われるめまぐるしい天候の変化に悩まされることが多い。今回も、決勝直前ににわか雨が降ってスタートが遅れ、ウェット状態でレースが始まった。周回を重ねるごとに路面は少しずつ乾いてゆき、決勝中にピットインしてドライ用のスリックタイヤ(溝のないタイヤ)を装着したマシンへ乗り換える〈フラッグ・トゥ・フラッグ〉の展開になった。

 そんな難しい状況のレースで、2番グリッドからスタートしたマルケスは序盤にあっさりと後続集団を引き離し、中盤周回以降は独走状態を築きあげてトップでチェッカーフラッグを受けた。

「今日のレースは、かなり落ち着いて走ることができた。フルドライならいいペースで行けることもわかっていたし、チャンピオンシップの脅威になる相手は背後を走っていたから(無理をしてペースを上げることはしなかった)。もしも前にいるのが直近のライバルなら、もっとプッシュして攻めていただろうね」

 このマルケスの言葉からは、年齢以上のしたたかさと冷静さ、そして並々ならぬ自信がうかがえる。

 そんなふうに落ち着いて決勝レースを戦うことができた理由を考えていくと、その要因のひとつは、金曜午後の予選でフロントロウを確保していたことにある。

 予選もまた、ダッチウェザーに翻弄されたセッションで、開始直前から雨がぱらつく微妙なコンディションになった。路面が完全に濡れてしまう前にタイムアタックできるかどうかで、明暗は大きく分かれる。そのチャンスは、予選開始直後の1周目しかなかった。

 コースインしたタイミングが重なったために、多くの選手がクリアラップをとれない状態で、マルケスもその中に埋もれていたが、一瞬の判断で周囲の選手を一気にオーバーテイクして集団から早々に脱け出し、単独アタックの環境を作って自己ベストタイムを記録。このわずかなタイミングを逃した選手たちは、時宜を逸して思うようなタイムアタックができなかった。フリー走行で速さを発揮していたロッシも、このチャンスをうまく捉えられず、4列目12番グリッドに沈んでしまった。

 ロッシは、土曜午後の決勝レース直前に、乾いてゆく路面を見ながらドライ用のスリックタイヤでコースインする賭けに出た。だが、そこから雨が降ってきたため、ピットへ戻ってウェットタイヤのマシンに交換することを余儀なくされた。ルール上、スターティンググリッドではなくピットレーンからスタートしなければならず、最後尾からの追い上げになった(結果は5位)。

 レース直前のタイヤ選択の賭けが裏目にさえ出なければ、おそらくロッシはマルケスと優勝争いのバトルを展開していただろう。さらにいえば、予選でタイムアタックのタイミングを逃さず、無事に上位グリッドを獲得できていれば、決勝直前にわざわざリスクの高い賭けに出る必要などなかっただろう。そう考えていくと、今回のリザルトはほんのわずかの運や機微の差というよりもむしろ、戦略の微妙な齟齬(そご)や判断ミスが積み重なった結果、ともいえるだろう。

 ロッシは、現在のマルケスが破竹の快進撃を続ける理由について、こんなふうに分析している。

「マルクはリスクを取ることを厭わない。若いし、思い切りがいいよ。でも、毎戦勝つことができる最大の理由は、いまのマルケスとホンダの組み合わせが誰よりも速い、というそのことに尽きる。クレバーで集中力も高いし、判断も的確。ひょっとしたら、シーズン全勝を目指しているのかもしれないね。だから僕の目標は、少なくとも今季どこかで一勝して、一矢報いてやることさ(笑)」

 冗談めかしてそんなふうに語るものの、はたして2014年中にそのタイミングは訪れるのだろうか。ちなみに、シーズン全戦全勝は1968年にジャコモ・アゴスチーニが達成して以来、誰ひとり実現していない。ただし、この年は年間全10戦であった。もしもマルケスが次戦のドイツGPでも勝てば、このアゴスチーニの記録に事実上あと一歩のところまで近づくことになる。

西村章●取材・文 text by Nishimura Akira