なぜ「掃除・片づけ」が人生に関わるのか-3-

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■TOPIC-3 整理・収納本が「夢」を語り出すまで

前回みてきたのは、掃除が修養に結びつく、掃除が社風の改善に寄与して成果につながるという考え方が、バブル崩壊以後に注目を集めるようになったということでした。しかしこれは、書き手も、事例に登場する人物も、おそらくは想定されている読み手も、すべて男性(特に経営者や管理職)を主とするものでした。しかし近年の掃除・片づけ本ブームが想定する読み手はより広範なものと考えられ、近藤麻理恵さんややましたひでこさんの著作の読者の多くは女性だと考えられます。つまり、女性向けの書籍のなかにも、掃除・片づけと自己啓発の結びつきのルーツを探っていく必要があります。

そこで今週は、女性向けの掃除・片づけに関する書籍の系譜をさかのぼってみたいと思います。これには掃除や片づけだけではなく、整理、収納に関する書籍も含まれます。つまり総体的に、家事全般に関する書籍が自己啓発化していくプロセスを押さえようというのが今週の目的です。

とはいえ、昔も今も、こうした書籍の基本的傾向は、「掃除は掃除」「片づけは片づけ」「収納は収納」「整理は整理」というものです。つまり掃除等は部屋や家をきれいにするためのものであり、それ以上何も求めるものはない、ということです。改めて言葉にしてみると、当たり前のことですね。しかし、こうした掃除等に、徐々に自己発見や自己啓発が結びついてくるようになります。その行き着いた先が、近藤さんややましたさんの著作だと考えられるのですが、その結びつきのプロセスを以下、見ていくことにしましょう。

■「人生」に踏み込まなかった頃

管見の限りでは、掃除等と人生を結びつけようとする言及は、1986年に刊行された、家事評論家・町田貞子さんの『続 暮し上手の家事ノート』で既にみることができます。同書の「はじめに」には次のようにあります。

「『整理』は人間だけに与えられた能力ではないでしょうか。考えてみますと、この世の中は整理から成り立っているといっても過言ではないと思います。(中略)家の中をみまわしても、整理なしには生活することはできません。台所道具や衣類、掃除用具などの整理、収納はもちろんですが、台所仕事や掃除自体が整理にほかならないと思います。家中にちらばっているちり、埃の整理が、ほかならぬ掃除というわけです。(中略)日々の生活を営むことは、とりもなおさず時間の整理であり、命の整理そのものだと思います」(10p)

これは、生活はすべて整理だとして、整理という営みをより広い文脈から捉え直そうとする言及だといえます。しかし、やはり整理は整理であって、整理によって人生が変わるとまでは述べられていません。整理のために行われる日々の生活の記録もまた、「自然に生活のパターンが見えてきて、季節の先取り仕事がわかり、生活に予定を立てることができる」ために有意義だと述べられています(12p)。整理は家事をよりスムーズに行うため、日常生活の見通しをよくするためであって、それ以上の目的はないのです。同書ではこの後ひたすら、春夏秋冬の家事についての細々としたエッセイが綴られていますが、これが家事に関する書籍の一般的な形態なのでした。家事は家事、というわけです。

1993年のアメニティ・アドバイザー近藤典子さんによる『らくらく収納術』の副題は「性格別、アイデアとノウハウ」でした。収納と性格、つまり収納と心が結びつけられるようになっていることがわかります。しかしまだ、収納によって性格が変わるとは語られておらず、ましてや人生が変わり、夢がかなうという着想はその兆しすらみえません。近年のベストセラーとはまだ大きな距離があるといえます。

ただ、同書では「モノの処分が苦手な」、「ため込みタイプ」の収納方法として、「いらないモノを処分する」というコツが示されています。ここで注目すべきは、「自分にとって『いる・いらない』を判断できるようになることが大切なのです。そのためには判断の基準が必要」という、後の片づけ本で出てくる「捨てる基準」への言及が既にみられることです(14-15p)。しかしこれもまた、たとえばやましたひでこさんが述べるように、片づけることで「本当の自分を知ることができ」(『新・片づけ術 断捨離』25p)るとまでは語られません。あくまでも、より収納を進めるために基準を設けよう、収納は収納、ということなのです。

同じく1993年、作家・生活評論家の永田美穂さんによる『片づけ上手は生き方上手 すっきり明るい整理術』では、タイトルにもあるように片づけと生き方が同列に論じられています。同書の序章には「幸せのための整理術」ともあります。しかし、いかなる意味で片づけ上手は生き方上手なのか、何が幸せのための整理術なのかが説明されることはありません。あえて関連する言及を探せば、「何とかして見かけもよく、能率もよく片付けたいと模索し、苦悩し、試行錯誤している普通の家庭人こそ、本当に整理のノウハウを必要としている人なのだ」(24p)というところから、能率よく片付けることが幸せ、つまり整理をうまく行うこと自体が幸せだと解釈できるかどうか。いずれにしても、整理は整理以上のものではなかったと考えられます。

■生き方への接近が始まる

1995年、収納カウンセラーの飯田久恵さんによる『生き方が変わる 女の整理収納の法則』あたりから少しずつ風向きが変わり始めます。まずタイトルが端的で、整理収納によって生き方が変わるという言及が登場するようになっています。具体的なハウ・トゥとしても、整理収納は「生き方」「価値観」の問題であり、まず「どう生きたいか」「何を持てばいいのか」といった「物を持つ基準を自覚」し、要・不要の基準を決めていこうという言及がみられます(45p)。近年の傾向に急激にぐっと近づいたといえそうです。

しかしまだ、近年とまったく同じではありません。ここで注目すべきことは2つです。第一は、飯田さんは、同書のタイトルには「少々気恥かしさ」を覚えると述べていたことです(4p)。つまり、整理収納と生き方を結びつけることは当時まだ珍しく、気恥かしさを覚えるような物言いだったのです。これに関連して、「整理収納は人が生きていくうえでとても大切な事柄のひとつだという確信」(5-6p)を飯田さんが持つことができたのは、先の町田さんの人生は整理だとする考えに影響を受けたことによるとも述べられていました。人生と整理収納を結びつける考えには、このような人づたいの系脈があるのかもしれません。

第二は、整理収納の目的論についてです。飯田さんは「掃除や片づけに時間を取られ、思ったように自分の自由な時間がつくれないと悩んでいる」独身女性を主な読者として想定し、そのような人々が同書を読んで「整理収納上手になり、自由な時間やゆとりが生まれ、より豊かな生き方が可能になれば」と述べています(3-4p)。先の町田さんにおける整理の目的は、家事をよりスムーズに行うこと、日常生活をより快適に過ごすことにありましたが、同書ではそれに「自由な時間」を生みだすことが加わっているようにみえます。しかしそこで何をするのかは、具体的には方向づけられていません。同書で述べられているのは、まさに自由に使ってよいとされる「自由な時間」が増えることで「豊かな生き方」が可能になるというだけです。しかしやがて、この「自由な時間」にある目的が結びつけられることになります。これは次節でとりあげます。

飯田さんの著作以後、状況は少し停滞しますが、1999年に生活評論家の沖幸子さんによる『「そうじ」のヒント 暮らしが変わる!生き方も変わる!』という著作が刊行されます。沖さんはハウスクリーニング会社の社長ですが、同書ではその専門的なノウハウにもとづいて、一般家庭における掃除について言及しています。

同書で目を引くのは、前回述べた修養としての掃除についての言及が見られることです。掃除は「自習自得の精神」と関係するもので、「心を込めてひたすらやることで、無心に自分と向き合うことができる」、「当たり前で平凡なことをまじめに取り組み、それを積み重ねていくことの大切さもそうじは教えてくれます」、「心から喜んでやるそうじは、まわりを気持ちよくさせ、感謝され、そして自分の生きがいにもつながってきます」といった言及がそれです(13p)。

私の解釈はこうです。1994年頃から、主に男性の経営者・管理者層を中心として広がり始めた掃除と修養についての考え方はやがて、ハウスクリーニング業関係者へと広がり、沖さんという女性経営者を伝って家事としての掃除とも結びつけられるようになった、という流れでここに至ったのではないか、と。

さて、ここまでが1990年代の動向です。もう舛田光洋さんの『夢をかなえる「そうじ力」』の刊行まで間が短くなってきましたが、まだ掃除・片づけと夢は結びつけられていません。結びつくのは、これからです。

■「片づけ本」の黒船来航

2000年9月、アメリカのクラター・コンサルタントのミシェル・パソフさんによる『「困ったガラクタ」とのつきあい方 ミラクル生活整理法』が翻訳刊行されます。パソフさんが名乗るクラター・コンサルタントの「クラター」とは、「ガラクタ」のことです。やましたひでこさんが名乗り、また使うクラターという言葉が使われ始めたのは、おそらくこのあたりにルーツがあると考えられます。

パソフさんはあるとき、自らが成長したと感じると、「いつも身のまわりをきれいに片づけるクセがある」ことに気づきます。そこで逆に、「先に身のまわりを整理して、人間として成長するかさぐろう」と試みた結果、「効果抜群」であったというのです。つまり人生の変化があってから整理をするのではなく、逆に整理を先に行うことで人生が変わるのかどうかを実験してみたというわけです。それからすぐ彼女は、「人生のお荷物から解放されて元気になる!(Lighten Up! Free Yourself from Clutter 引用者注:原著タイトルはこの社名と同様)」社を立ち上げることになります。1991年のことでした(13-14p)。

同書では、「即席の整理術や解決策は扱わない」と述べられます。そういったものでは、「心の奥底の願いはかなえられない」ためです。同書はその代わりに、「あなたの目に触れる環境が、生活整理と同時進行であなたのこやしとなるように、身のまわりのモノたちとの関係を変えてしまう方法を提案する」といいます。「関係が変わると、人生を妨げるものがなくなり、運を引きつけ」るというのです(14-15p)。これはやましたさんの「自分とモノとの関係性」を結び直すという考えを先取りするものだといえます。また、次のようにも述べられます。

「持ち物を点検していくうちに自分がほんとうにやりたいことがあぶり出される。生活整理という旅は、自分は何者で、どんな人生を望んでいるか知ることである。そのためにどうするか具体的に指南するのが本書なのだ」(15p)

持ち物を点検するという整理のプロセスにおいて「ほんとうにやりたいこと」が見つかり、また「自分は何者」か、「どんな人生」を望むのかが分かる。より具体的には、以下のような技法が示されています。持ち物を「生き方に合わせて点検」し、「気分がよくなるもの」、「生活を快適にするもの」、「人生の質を高めてくれるもの」をそばに置き、そうでないものは捨てる(27p)。「ひとりきりになる時間をひねり出し」、「身辺に雑多なモノがなければ日々の暮らしはどんなさまか書き出す」、それに向けての「長期ならびに短期の目標を定め」、そこから持ち物の整理の方針を定める(33-34p)。理想の暮らしが見えてこない場合は、雑誌の頁をめくって気になった箇所を抜き出しまとめる「コラージュ・エクササイズ」によって、「自分の胸の奥深くに隠れている意識」をあぶり出す(35-37p)。さらに、「黙想エクササイズ」で「自分の理想のあり方」を出来るだけ明確にイメージする(37-45p)。

もはやこれは掃除・片づけという域を超えているようにも思えますが、おそらくそうです。パソフさん自身、「生活を整理する旅のなかで、あなたはなにものにも汚されていないもっともピュアな場所、すなわち自分の魂にまでたどり着いたことと思う」(181p)とも述べているように、掃除・片づけがそれら自体に留まらない営みだということには自覚的です。整理のための整理ではなく自己成長のための整理。モノとの関係性を組み直すという考え。自己発見ツールとしての掃除・片づけ。「手帳術」にも見られたような(しかし、それよりも数年早い)将来目標の作業化。パソフさんの著作で、近年の掃除・片づけ本との距離はぐっと縮まった、というより、ここがルーツのひとつになっているのではないかと考えられます。

同じく2000年の10月には、アメリカの「家庭経営学」コンサルタントのデニース・スコフィールドさんによる『少しの手間できれいに暮らす あなたを変える77の生活整理術』が翻訳刊行され、また翌2001年には、翻訳書ではありませんが、アメリカ在住の作家・アントラム栢木(かやき)利美さんによる『モノを減らして二度と散らかさない! アメリカ流知的家事79の方法』という著作が刊行されています。

これらの「アメリカ流」の家事を扱う著作には、非常に重要な、注目すべき新傾向がみられると私は考えています。それは以下のような言及に表われているものです。

「言い訳はあなたの足を引っ張り、夢の実現をはばむだけです。わたしが生活整理を上手にやろうと努力するのは、自由な時間を得て、山ほどあるやりたいことをするためなのです。(中略)効率よく家事ができるほど、好きなことをする時間が増えるのです」(『少しの手間できれいに暮らす』4p)

「家事を、少し『頭を使って』するだけで、あなたの時間は、どんどん増え、あなたが持っていた夢や計画が、いずれは実現するようになります」(『アメリカ流知的家事79の方法』2p)

特に注目すべき点はないと思われたでしょうか。私が気になるのは、家事が「夢」と結びつけて論じられていることです。これまでの家事に関する著作の目的は、基本的には家事は家事、それをスムーズに行うことにありました。先に紹介した飯田さんの著作では、「自由な時間」の創出が加わっていましたが、それとて「自由な時間」それ自体の創出が目的であり、そこで何をするかは特に問題とされていませんでした。しかし同書では、家事をこなしてできた自由な時間が、「夢の実現」「やりたいこと」「好きなこと」のために使われる時間とされているようにみえます。

ここに新たな考え方が示されていると私はみます。もはや自由時間はそれ自体の創出が歓ばれるものではなく、夢の実現、やりたいこと、好きなことといった目的を持たせられるようになっています。先のパソフさんの場合も、一人の時間を今後の計画立案や理想の明確化のために使うことが推奨されていました。また前テーマ「手帳術」で紹介した、藤沢優月さんの『夢をかなえる人の手帳術』でも、自分ひとりの時間は何よりもまず夢の実現、やりたいことのために使われるべきだとされていました。自由時間が空白であることを許されず、何らかの目的——端的には「夢」に向かうこと——を持たせられるようになったということ。少し深読みし過ぎているのかもしれませんが、このような時間をめぐる感覚の細かな違いも、近年の、日常生活を自己啓発の素材にしようとする傾向の底流にあるのではないかと私は考えています。

これに関連して、夢をかなえる手法についてもみておきたいと思います。原著刊行が1994年、翻訳刊行が2000年であるスコフィールドさんの著作には、手帳の使い方に関する箇所がありました。そこでは、「いつかやること」のリストから「今日やること」を導き出す、「今日やること」のなかに「今日の目標」、つまり「本当に意味のあること」「自分にとって意味のあること」を書き込む、といった技法が示されていました(62-70p)。これは前テーマの「手帳術」においては、2002年から2005年になって大々的に示されるようになった技法なのですが、既に似たような技法は、家事に関する著作で先に登場していたのです。夢をかなえる手法の系譜は、もう少し奥深く追跡していかねばならないのかもしれません。

以降の著作は省略しますが、数多ある掃除、片づけ、整理、収納そして家事に関する著作のなかに少しずつ、それらと人生や夢を結びつける——そこにはかつて飯田さんがもっていたような「気恥かしさ」はない——著作が、2000年あたりから刊行されるようになったといえるように思います。ベストセラーとなったかどうかはともかく、考え方のルーツは既にある程度出揃っていたのです。

ただ、近年の掃除・片づけ本のベストセラーと見比べてみると、まだいくつかパーツが足りません。つまり、近年のベストセラーに至る系譜はまだ描き切れていないのです。足りない点は、大きなものとしては2点あります。まず、近年のベストセラーが特に片づけ、より端的には捨てることを押し出していますが、今回扱ってきた家事や整理収納に関する書籍からはその傾向を見出すことはできません。捨てることはあくまでも家事や整理の一局面としてのみ扱われているのです。また、舛田さん(と一部やましたさん)にみられるような、スピリチュアルなものとの結びつきもまた、今回扱ってきた書籍からは見出すことができません。次回はこうした、まだ出揃っていないパーツと、掃除・片づけ本の周辺動向を追いながら、今週みてきたプロセスの補完をしたいと思います。

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『らくらく収納術』
 近藤 典子/同文書院/1993年

『すっきり明るい整理術』
 永田 美穂/ワニ文庫/1993年

『生き方が変わる 女の整理収納の法則』
 飯田 久恵/太陽企画出版/1995年

『続 暮し上手の家事ノート』
 町田 貞子/三笠書房/1995年

『「そうじ」のヒント』
 沖 幸子/PHP研究所/1999年

『少しの手間できれいに暮らす』
 デニース・スコフィールド/PHP研究所/2000年

『「困ったガラクタ」とのつきあい方』
 ミシェル・パソフ/河出書房新社/2000/年

『アメリカ流知的家事79の方法』
 アントラム 栢木 利美/大和出版/2001年

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(牧野 智和=文)