パナソニックが中国で唯一運営していたショールーム「パナソニックセンター北京(松下北京展庁)」が18日に閉鎖されたことが分かった。同ショールムーはパナソニックが中国で運営する唯一の大型ショールームだった。(写真は「CNSPHOTO」提供)

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 パナソニックが中国で唯一運営していたショールーム「パナソニックセンター北京(松下北京展庁)」が18日に閉鎖されたことが分かった。同ショールムーはパナソニックが中国で運営する唯一の大型ショールームだった。(写真は「CNSPHOTO」提供)

■「パナソニック(松下)」写真特集

 海外初の大型ショールームとして、北京市内の大型商業施設新光天地の5、6階の4000平方メートルを賃借して07年にオープンした。賃借契約が満了した18日をもって閉鎖した。

 中国国内では、ショールームの閉鎖をパナソニックが2期連続で7000億円を超える赤字を出したことと絡めるような報道があるが、パナソニック広報によると、赤字とは特に関係なく、ブランドの浸透など当初の目的を果たしたと判断したため、閉鎖を決めた。

 「パナソニックセンター北京」の閉鎖により、同社が海外で運営する大型ショールームは、ベトナム・ハノイ市にある施設1カ所になった。

 パナソニックは2008年にグループ全体として社名を「松下」から「パナソニック」に変更したが、中国では「松下」の社名・ブランド名も使いつづけている。

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◆解説◆ 同社と中国の関係は深い。トウ小平副首相(当時)が1978年に来日し、大阪府茨木市の同社テレビ工場を訪れた際、出迎えた松下幸之助氏に「中国の近代化を手伝ってもらえないか」と訴えた。松下は「できる限りのお手伝いをします」と約束。翌年には北京に駐在員事務所を開設し、87年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立するなど「トップ間の約束」を忠実に果たした。

 その後も松下(パナソニック)は中国事業を積極的に進め、中国では同社製品の品質の高さとビジネスにおける信義に対して高い評価が定着した。中国政府も同社には特に丁重に対応してきた。しかし2012年に発生した反日運動では、山東省青島市内のパナソニック工場が群集に襲撃されるなど、従来の日中関係では考えにくい時代も発生した。(編集担当:如月隼人)