殺し屋のネコと絶滅危機にある鳥を共存させることはできるか

写真拡大





絶滅する危険のある鳥の命と、家で飼っているネコの命。さて、どちらが重いのだろうか。2013年1月22日付の「NZで『ネコ追放』運動」というインターファクス通信の記事が話題になっている。キーウィという鳥が天敵であるネコに殺され続け、絶滅の危険にさらされている。だから、ネコを駆除すべきだと主張する人がニュージーランドにいるというのだ。



記事によれば、「『ネコ追放』運動」の提唱者であるガレ・モルガン氏は、「あなたのお宅のふわふわの小動物であるが、そいつは生まれついての殺し屋なの」であり、「もしも自然環境を本当に心配するならば、ネコは追放されるべきだ」と述べている。「追放」の方法は、「今飼っているものが自然死した日には、もう次のものを飼わないようにする」こと。



モルガン氏のウェブサイトを訪ねると、タイトルの下に「あなたのネコを駆除しよう」という一文があり、その一文から矢印で誘導されたバナーには、「あなたのネコには、年間65匹の生き物を殺していることの責任がある」と書かれいる。そして、バナーをクリックすると……、いかにネコが必要のない動物なのかを、モルガン氏がいくつかのコラムで説明している。



確かに、キーウィの絶滅は防ぎたいところだ。この問題の核心は、飼いネコが外を出歩いていることにある。ニュージーランドでは、ネコを放し飼いにするのが一般的だからだ。だから、モルガン氏は「部屋飼いにせよ」とは言わない。ネコを駆除すべきと言い、少なくとも「次のものを飼わないようにする」ことを勧めている。



ネコの「放し飼い」が文化として定着している人々に、いきなり「部屋飼い」を強いてもうまくいかないであろう。これは、日本で大多数を占めるネコを「部屋飼い」している人々に、いきなり「放し飼い」にしろと言われても無理なのと同じことである。



この話の落としどころはどこか。ネコが好きな人は、どれだけキーウィが絶滅しそうであってもネコ好きであり続けると思われる。また、キーウィが好きな人は、天敵であるネコがいなくなればいいと思い続けるであろう。両者を直接対話させても、平行線になることは目に見えている。



したがって、もしモルガン氏がキーウィを絶滅から救いたいのであれば、ネコの飼い主にではなく、政府や役所の絶滅危惧種を担当する部署に働きかけた方がよいのではないか。ネコが「放し飼い」にされる中で、いかにキーウィを保護していくのかを考えた方が建設的な議論ができる。ネコ好きに、キーウィを救うために「ネコを駆除しろ」とか「二度とネコを飼うな」などと訴えても火に油を注ぐだけの話になってしまいかねない。



最後に一言。あらゆる生き物には、その生き物が好きな人がいるかもしれない。その生き物が食用のために殺されるたびに、それを悲しんでいる人がいるかもしれない。でも、人が生きるためにはその生き物を食べざるをえなかったりする。切ない話だが、要は生き物を殺して食べる(または、殺された生き物を食べる)ときには、どこかに「それを悲しむ人がいるかもしれない」と想像したいものである。一瞬でもいいので。





(谷川 茂)