女子が集えば、下の名前と“ちゃん”付けが飛び交う。ただし、小さな女の子たちが苗字で呼び合うことは当然無い。

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事業に行き詰まり多額の借金を背負った夫が、末期ガンを患う妻を連れて9カ月もの間、ワゴン車で日本各地をさまよう姿を描いた映画『死にゆく妻との旅路』。1999年に起きた実際の事件をベースとしたこの作品は、あまりにも辛く苦しい状況にありながらも、美しい愛をつむぐ夫婦の姿が、見るものの胸に迫る感動作である。

この劇中、衰弱していく妻が、夫に「名前で呼んで」と願うシーンがある。夫役を演じた三浦友和は「我が家では絶対に妻を名前では呼ばない」と舞台挨拶で言ったそうだが、これに対し、妻役の石田ゆり子は「女性は名前で呼んでほしいもの」と“反論”したらしい。

たしかに、筆者も結婚からしばらくの間は、交際期間と同様に妻を名前で呼んでいたが、子供ができたことを境に「ママ」と呼ぶようになった。当然、妻は筆者の母親ではないのだが、ある種の記号的に「ママ」と呼んでいる。イマサラ、名前で呼ぶのは正直、照れくさい。

妻も筆者を「パパ」と呼んでいるので、この件で夫婦がモメることはない。が、もしかしたら妻も心の中では「下の名前で呼んでほしい」と思っているのかもしれない。筆者はどうか。筆者としては、妻に「下の名前で呼んでほしい」とはまったく思わない。むしろ、照れくさいのでやめてほしいと思うくらいだ。

「下の名前で呼ばれたい」という気持ちは、もしかしたら男性よりも女性の方が強いのかもしれない。また、「下の名前で呼ばれたい」という気持ちがあるということは、パートナーを「下の名前で呼びたい」との気持ちも強くあるのかもしれない。あくまでも推測ではあるものの。

このような推測を持つようになったのには、ワケがある。筆者の妻は、とうに三十路を超えている。ちょっとした熟女である。しかしこのプチ熟女、今もって、新しく出会った女性の友人を下の名前で、“ちゃん”付けで呼ぶのだ。

子供の頃や学生時代からの友人を下の名前+ちゃん付けで呼ぶのは、まあわかる。こちらも三十路を超えたビギンオッサンである筆者も、旧友たちに対しては昔と変わらず下の名前で呼んでいるわけで。しかし、大人になってから出会った友人・知人を下の名前で呼ぶことはまずない。

子供が生まれ、育っていく過程で、いろいろな場所で妻が新規に出会った“ママ友”たち。正式な年齢は知らないが、まあ妻と同世代と見て問題はないであろうこのママ友たちと、下の名前+ちゃん付けで呼び合う妻。その姿を見て、筆者は違和感を感じてしまったのである。

妻に聞いたところ、ママ友たちとは、出会ったその日から下の名前+ちゃん付けで呼び合っているという。早いな〜と思ったが、ふむ。よくよく思い返してみると、筆者が学生時代、男子よりも女子の方が、出会って間もなくから下の名前で呼び合うパターンが多かった気がする。

ではなぜ、女性は下の名前で呼び合うことを好むのであろうか。もちろん、それを好まない女性もいるとは思うのだが、傾向として多いのか。ちょっと考えてみた。

民法で「夫婦同氏原則」が定められている現在の日本においては、結婚をしたら女性は、夫となる男性の苗字を名乗ることになる。つまりは、結婚するまで名乗ってきた自分の氏名の“氏”の部分を捨てることになるわけだ。だからこそ女性は無意識的に、氏名の“名”の部分を男性以上に大切にするのではないだろうか。

また、歴史的に日本の女性は公的な名前を持てなかったり、名前を呼んでいいのは親と夫だけで外では明かしてはいけなかったりと、女性の名前は軽視されていたともいわれている。そんな歴史があるからこそ、もしかしたら遺伝的に下の名前を大切にする意識が日本の女性には根付いているのかもしれない。

妻も名前を大切にしているのかもな、本当は下の名前で呼ばれたいのかもな、と思った筆者。ぐむむ。しかし、照れくさい。照れくさいぞ。けど、愛する妻のためだ。ここは思い切って……。「●●(←妻の名前)ちゃん」「なによ。気持ち悪いからやめてくれない」。
(木村吉貴/studio woofoo)