なぜ戦前の日本語は「きょう」が「けふ」になるのか
戦前の文字で、不可解なことがある。
当時は、「今日」という文字をひらがなで書くと「けふ」となった。なぜ「きょう」ではないのか。同じ日本人の使っている日本語のはずなのに、60数年前までは書き言葉のルールが違っていたようだ。
現在の読み仮名を、昔の読み仮名にしてみよう。
例)
(今日)「きょう」→「けふ」、(所謂)「いわゆる」→「いはゆる」、(言えば)「いえば」→「いへば」、(匂う)「におう」→「にほふ」、(行こう)「いこう」→「いかう」、(良かった)「よかった」→「よかつた」
これらはいわゆる歴史的仮名遣いだ。「何故そこでそのひらがなを持ってくる!?」と問い詰めたい気分になるし、小さい「ゃ、ゅ、ょ、っ」はすべて「や、ゆ、よ、つ」と大文字になる。
これを使って文章を書くと、下記のようになる。
例)
けふはお天気がよかつたので、お向かひのヨシコさんを「公園に行かう」と誘つてみましたが、ヨシコさんは忙しいやうでした。
(今日はお天気がよかったので、お向かいのヨシコさんを「公園に行こう」と誘ってみましたが、ヨシコさんは忙しいようでした。)
何故このような書き言葉になるのだろうか? 「なぜ戦前の横文字は右から左に書くのか?」の記事でお世話になった押井徳馬さんに再びお話を聞いた。
「大抵の言語の書き言葉は、当初は発音を書き写すだけであっても、年を経ると次第に、話し言葉と違った独特の規則が出来上がっていきます」と、押井さんは語る。
押井さんによると、「必ずしも発音通りではなく、文法規則や言葉の意味によって仮名を選ぶ」とか、「書き言葉の規則は平安時代の文献を手本とする」といった暗黙の了解が日本語として自然に生まれていたそうだ。
例)
行こう
「行コー」は「行こー」「行こお」「行こう」とも書けるが、書き言葉の規則を使うと「行かう」と書く。
平安時代からの書き言葉の規則が、戦前まで使用されていたということらしい。
しかし、明治時代から海外文化や技術が入るようになった日本では、扱いにくい漢字を廃止しローマ字やかな文字のスタイルを主流にしよう、という運動が活発に行われたそうだ。
「そのため、発音をそのまま表す、表音的仮名遣いを採用しようという声が高まりました。しかし、ただ音をそのまま表すと、『私は』を『私わ』、『ここへ』を『ここえ』、『それを』を『それお』、『言ふ』を『ゆう』と書かないといけません。これには根強い抵抗感があったため、表音的仮名遣いを取り入れながらも一部に歴史的仮名遣いの規則を残した『現代かなづかい』が昭和21年に国語審議会により告示されました」(押井さん)
耳に聞こえた通りのひらがなを使うと、これまた読みにくいし非常に不自然な日本語になってしまう。
小さい「ゃ、ゅ、ょ、っ」も、発音の分かりやすさを重視するために登場したようだ。(押井さん談)
「音に近い書き文字」が目指されることにより、戦後になってようやく現在の私たちが使う、『使いやすい』日本語の形になったと言えるのかもしれない。
しかし、さらに疑問はつきない。現在では使わなくなったひらがなもある。固有名詞や高齢の方の名前にもたまに見かけるが、「ゐ、ゑ」だ。
それぞれ、「ゐ」は「い」と読み、「ゑ」は「え」と読む。これらのひらがなは「わ」行に当たり、「わゐうゑを」と並ぶのが正しい。
また、カタカナでは、ワ行の「ヰ、ヱ」という文字もあった。これもそれぞれ「ヰ」は「い」と読み、「ヱ」は「え」と読む。つまり、カタカナのワ行は「ワヰウヱヲ」なのだ。
一体どうして戦後になってこれらの文字は消えたのだろう? 押井さんに再び聞いた。
押井さんいわく、「あ行の『い・え』とわ行の『ゐ・ゑ』は、昔はそれぞれ発音が違いましたが、結局は同じ発音に変化して、書き言葉としてだけ『ゐ・ゑ』が残ったのです」。
「ゐ、ゑ」の発音って、どんな音だったのだろう? 私たちの祖先が使っていた「わ行」の発音、とても気になる。
「お」と「を」も発音ではそう違いがないが、書き言葉としては文法的にも違いがあるのは、みなさんご承知の通りだ。
つまり、「ゐ、ゑ」が消えたのは、「同じ発音なので、あ行の方だけ残して、わ行は省いちゃおう」ということのようだ。消えたかな文字が、なんとなく哀しい。
日本人の使う日本語、でも現在私たちが使っている日本語の書き言葉は、戦後に確立された新しい言語と言えないこともない。
使いやすく進化した現代の日本語に感謝しつつ、消えて廃れていった昔の日本語にも長い歴史があったことを知っておきたいし、芸術性の高い文字文化として、後世に遺していきたいとも思う。
今度、メールの文章に書いてみたくなった……。「けふは忙しいでせうか。良かつたらおちやでも行かうよ」
(河野友見 Kono Yumi)
(参考)
押井徳馬さんのサイト「はなごよみ」 http://osito.jp
文芸同人誌「正かなづかひ 理論と実践」を発売中。歴史的仮名遣いの覚え方や、戦後、現代かなづかいが告示された経緯の詳しい解説あり
当時は、「今日」という文字をひらがなで書くと「けふ」となった。なぜ「きょう」ではないのか。同じ日本人の使っている日本語のはずなのに、60数年前までは書き言葉のルールが違っていたようだ。
現在の読み仮名を、昔の読み仮名にしてみよう。
例)
(今日)「きょう」→「けふ」、(所謂)「いわゆる」→「いはゆる」、(言えば)「いえば」→「いへば」、(匂う)「におう」→「にほふ」、(行こう)「いこう」→「いかう」、(良かった)「よかった」→「よかつた」
これを使って文章を書くと、下記のようになる。
例)
けふはお天気がよかつたので、お向かひのヨシコさんを「公園に行かう」と誘つてみましたが、ヨシコさんは忙しいやうでした。
(今日はお天気がよかったので、お向かいのヨシコさんを「公園に行こう」と誘ってみましたが、ヨシコさんは忙しいようでした。)
何故このような書き言葉になるのだろうか? 「なぜ戦前の横文字は右から左に書くのか?」の記事でお世話になった押井徳馬さんに再びお話を聞いた。
「大抵の言語の書き言葉は、当初は発音を書き写すだけであっても、年を経ると次第に、話し言葉と違った独特の規則が出来上がっていきます」と、押井さんは語る。
押井さんによると、「必ずしも発音通りではなく、文法規則や言葉の意味によって仮名を選ぶ」とか、「書き言葉の規則は平安時代の文献を手本とする」といった暗黙の了解が日本語として自然に生まれていたそうだ。
例)
行こう
「行コー」は「行こー」「行こお」「行こう」とも書けるが、書き言葉の規則を使うと「行かう」と書く。
平安時代からの書き言葉の規則が、戦前まで使用されていたということらしい。
しかし、明治時代から海外文化や技術が入るようになった日本では、扱いにくい漢字を廃止しローマ字やかな文字のスタイルを主流にしよう、という運動が活発に行われたそうだ。
「そのため、発音をそのまま表す、表音的仮名遣いを採用しようという声が高まりました。しかし、ただ音をそのまま表すと、『私は』を『私わ』、『ここへ』を『ここえ』、『それを』を『それお』、『言ふ』を『ゆう』と書かないといけません。これには根強い抵抗感があったため、表音的仮名遣いを取り入れながらも一部に歴史的仮名遣いの規則を残した『現代かなづかい』が昭和21年に国語審議会により告示されました」(押井さん)
耳に聞こえた通りのひらがなを使うと、これまた読みにくいし非常に不自然な日本語になってしまう。
小さい「ゃ、ゅ、ょ、っ」も、発音の分かりやすさを重視するために登場したようだ。(押井さん談)
「音に近い書き文字」が目指されることにより、戦後になってようやく現在の私たちが使う、『使いやすい』日本語の形になったと言えるのかもしれない。
しかし、さらに疑問はつきない。現在では使わなくなったひらがなもある。固有名詞や高齢の方の名前にもたまに見かけるが、「ゐ、ゑ」だ。
それぞれ、「ゐ」は「い」と読み、「ゑ」は「え」と読む。これらのひらがなは「わ」行に当たり、「わゐうゑを」と並ぶのが正しい。
また、カタカナでは、ワ行の「ヰ、ヱ」という文字もあった。これもそれぞれ「ヰ」は「い」と読み、「ヱ」は「え」と読む。つまり、カタカナのワ行は「ワヰウヱヲ」なのだ。
一体どうして戦後になってこれらの文字は消えたのだろう? 押井さんに再び聞いた。
押井さんいわく、「あ行の『い・え』とわ行の『ゐ・ゑ』は、昔はそれぞれ発音が違いましたが、結局は同じ発音に変化して、書き言葉としてだけ『ゐ・ゑ』が残ったのです」。
「ゐ、ゑ」の発音って、どんな音だったのだろう? 私たちの祖先が使っていた「わ行」の発音、とても気になる。
「お」と「を」も発音ではそう違いがないが、書き言葉としては文法的にも違いがあるのは、みなさんご承知の通りだ。
つまり、「ゐ、ゑ」が消えたのは、「同じ発音なので、あ行の方だけ残して、わ行は省いちゃおう」ということのようだ。消えたかな文字が、なんとなく哀しい。
日本人の使う日本語、でも現在私たちが使っている日本語の書き言葉は、戦後に確立された新しい言語と言えないこともない。
使いやすく進化した現代の日本語に感謝しつつ、消えて廃れていった昔の日本語にも長い歴史があったことを知っておきたいし、芸術性の高い文字文化として、後世に遺していきたいとも思う。
今度、メールの文章に書いてみたくなった……。「けふは忙しいでせうか。良かつたらおちやでも行かうよ」
(河野友見 Kono Yumi)
(参考)
押井徳馬さんのサイト「はなごよみ」 http://osito.jp
文芸同人誌「正かなづかひ 理論と実践」を発売中。歴史的仮名遣いの覚え方や、戦後、現代かなづかいが告示された経緯の詳しい解説あり