――全編津軽弁ということで、方言指導も受けたそうですね。

松山:方言は、青森にも地域によって方言が違うんです。僕が生まれ育ったところは下北弁を喋る所で、この舞台は津軽弁ですね。下北弁はイントネーションは違うんですけど、言葉自体は標準語に近くて、津軽弁は単語自体が変わってくるので全然違うんです。青森で撮影をするっていうことは今まで無かったことですし、休み以外で青森に行くことは無かったので不思議な感じでしたね。青森の青年を演じるっていうのは僕にしかできないことだと思ったし、思い入れがすごく強いんですね。青森っていう、自分の出身地を見せることはとても恥ずかしいことのような気もするんですけど、お客さんに胸をはって青森を見て欲しいって強い思いがあったし、監督もそう思ってたと思います。だからこういう作品が完成して僕はすごく満足していますね。

――観る人によって意見や解釈が異なるラストシーンだと思います。松山さんはご覧になってどのような感想を抱きましたか?

松山:この映画の中で陽人って色々な形に変化していきますよね。でもどんな形であれ、精神みたいのは残り続けるって僕は感じたんですね。この映画を観てくださる人には、ラストシーンというよりは、陽人の生き方というか前向きな姿勢を一番見てもらいたいですね。すごくストレートだし、今まで感じたことの無い感情を陽人に感じるような気がするし。僕はあそこまで強い気持ちっていうのは普段の生活の中で持てないし、どうしても人目を気にしてしまってるところもあるので。

――撮影時に一番印象的だったシーンと、完成した作品をみて一番気に入っているシーンはどこですか?

松山:作品に出てくる幼稚園児達はみんな青森の子達で、芝居経験もゼロなんですけど、一緒にやってみて思ったのは、すごく自然でお芝居してる感じじゃなかったんですよね。そこには僕とは違う生活観があって。子供達にひっぱられるようにお芝居させてもらってました。一番気に入っているシーンは、町子先生と森の中を散歩している所で、青森にもこんなにキレイな所があったんだってちょっと感動したし、誇らしくなりました。

――この映画に関して、町子先生の魅力もとても大きかったと思います。麻生久美子さんの印象を教えてください。

松山:陽人のめちゃめちゃなキャラクターを受け止められる女優さんってなかなかいないと思いますね。町子先生は麻生さんじゃなかったら有り得なかったって思ってるし。麻生さんって自然さも持っていらっしゃるんですけど、器の大きさも感じますし、器が大きいっていうことはどの役も入れることができるから、色々な監督に愛されるんだなって思うし。そういう役者さんって同じ役者からも愛されて、必要とされていて、僕もぜひまた一緒にやらせていただきたいと思ってます。またお会いできるのがとても楽しみですね。

――地元青森ということもあって、撮影の合間に休憩したり遊んだりすることはありましたか?

松山:休みの時に一回実家に帰ったのと、ロケ現場の近くに僕のばあさんが住んでるので、撮影がはやく終わったら一緒にゴハン食べたり家行ったりしてました。そういう楽しさはありましたね。

――共演者の方と食事をしたり?

松山:たまに食事もしましたね。でも、変わった事は特にしなくて、スタッフさんやみんなでパチンコに行ったくらいですかね。