大西結花

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「この役はあなたしかいない」

 デビュー当初は清純派アイドルのイメージが強かった大西結花(58)。1995年公開の映画「眠れる美女」では、大胆なヌードとラブシーンに挑み、当時大きな話題となった。一度は断った出演をなぜ引き受けたのか。(全4回の2回目)【福嶋剛/ライター】

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【写真】かわいすぎる…40年前の高校時代、「制服姿」の大西結花。大胆シーンにも挑戦した20代も

--映画「眠れる美女」で、初めてのヌードと大胆なラブシーンに挑戦しました。経緯を教えてください。

 ノーベル文学賞を受賞した川端康成さんの小説の映画化で、監督さんがこの作品に強い思い入れがあり、何度も川端さんサイドに働きかけてようやく了承を得た作品なんだそうです。

大西結花

 監督さんから「この役はあなたしかいない」と強くラブコールされたんですが、この作品はキスシーンもベッドシーンもあるので、普通なら事務所を通して撮影の仕方を工夫してもらうこともできたりしますが、この作品はもうそれありきじゃないと成立しないのは分かっていたのですぐお断りしました。

--一度は断った作品に、なぜ出演を決めたのですか。

 1年か2年経って、また事務所を通して監督さんから会いたいと連絡がありました。てっきり代役の女優さんが見つかったか、無事撮り終えたかの報告だと思っていたら、まだ女優さんを探していて、「やっぱり大西さんしかいないんです」と重ねて言われました。

 それでも脱ぐのは絶対無理なので「本当にごめんなさい」と、さらに再びお断りしました。でも次の日の朝、ベッドから起き上がった瞬間、「やっぱり、あの役をやってみようかな」とふと思ってしまったんです。

--監督の説得で心が動いた、と。

 監督さんには申し訳ないのですが、そうではないんです。自分の殻を打ち破りたいという気持ちでもなかったし、こういうエピソードはいくつもでてくると思いますが、結局のところ、やるかやらないか、ただそれだけのことだと思います。だから朝起きて、単純にその役を「あっ、やろうかな」と思った自分の直感に従って決めました。

--撮影はいかがでしたか。

 作品として監督の望む演技ができればそれでいいと思ってやりました。今みたいにラブシーンで専門のスタッフが付いたり、現場の人数を制限したりする配慮が一切なかった時代です。

 ヌードシーンになると普段いない関係者まで集まってきたりするらしく(笑)、「人数を厳選して撮影しますから」って言ってくださいました。でも、別に何があるわけじゃないし、私が「この役をやります」と決めたんだから、そんなことを気にしていたら芝居なんてできません。「別にいちいち気にしなくていいですよ」って言いました(笑)。

長門裕之さんからの金言

--相手役の原田芳雄さんをはじめ、吉行和子さん、長門裕之さんなどそうそうたる俳優陣が出演されています。

 みなさんによくしていただきました。なかでも長門裕之さんとの会話が今も忘れられません。現場がピリピリしていたある日、長門さんが「監督やスタッフに言われたことで嫌な思いをしたり、気分が晴れなかったりした時は遠慮なく帰っていいんだからね」と言ってくださったんです。

 私が「みなさんがいるのにそんなことできるわけないじゃないですか」と言うと、「僕ら俳優っていうのは、女優が輝くためにいるんだよ」って。

「スクリーンで女優がいい顔したら、その映画はもうそれで成立するんだ。だから、どれくらいいい顔をしてくれるかが現場では大切なんだよ。それを分かっていない監督やスタッフが女優に厳しく注文して顔を曇らせたら、もうそれは作品としてはダメになっちゃうんだよ」と。今でも私の中にずっと残っています。

--ドラマや映画の現場での思い出も尽きないと思います。

 初めてのドラマ「家族の晩餐」(1984年、日本テレビ)では倍賞美津子さんと山城新伍さんが両親役で、加賀まりこさん、由紀さおりさん、藤間紫さんと、いきなりものすごいみなさんに育てていただきました。

 アイドル時代の「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」(86年、フジテレビ)では、(浅香)唯も(中村)由真も体調を崩して何度かダウンしたこともあるんですけど、私はなぜか元気で(笑)。2人はあんまり食べられてなかったりする時もあって、スタッフさんから「結花はしっかり食べたりしてるから元気なのかもね」と言われたりしました(笑)。

--体力的に一番ハードだった作品は。

 昼ドラ「愛と罪と」(1995年、東海テレビ)ですね。一週間で5話分を一気に撮影するので、朝3時に撮影が終わっても翌朝8時からスタートするんです。家には必ず帰りましたけど、5話分の台本を覚えなくちゃいけないから寝る時間も取れなくて。

 ある撮影中、相手役の俳優さんが突然耳元で「倫子(大西の役名)、今ここで倒れろ!」とささやいたんです。「なんでですか?」と尋ねたら「女優が倒れたらいったん撮影が中止になるだろ。俺たちも休めるんだよ。だけど俺たち俳優が倒れるわけにはいかないだろ。スタッフも救われるから、頼む、倒れてくれ!」ってイタズラっぽく(笑)。

体力だけはある

--それで倒れたんですか?

 倒れなかったです。「すみません。私、体力だけはあるので、私に限って倒れるっていうことは一生ないと思います」って(笑)。大病を患ったこともないですし、親に感謝なんですけど体だけは丈夫なんです。

--話を聞いていて、大西さんはあまりくよくよしないタイプなのかと思いました。

 みなさんに同じことを言われるんですよ。昼ドラの時に父親役の中尾彬さんから「倫子(大西の役名)、お前は悩みがないだろう」とニヤっと笑いながら言われて「そりゃあるに決まってるじゃないですか」と答えたら「いや、お前はないね」って笑うんですよ(笑)。

 他の現場でも「結花さんって悩みがなさそうですよね」「いつも笑っている顔しか浮かばないです」と言われるんですけど、ちゃんと悩んだりしてますよ!(笑)。

--昭和の名優のみなさんとの共演は、役者として大きな経験になっている、と。

 もちろんです。昭和のスターのみなさんに育てていただいたので、すごくラッキーだったと思います。今は女優も俳優って呼ぶようになったみたいですけど、演技の本質は変わらないですからね。

 長門さんの言葉は今も作品を作る上でとても大切に感じていますし、私も主役も経験しているからこそ、どんな作品も輝くものになるように現場を曇らせず、いかにチームワーク良く、良い現場作りができるかを考えるようにしています。

--「眠れる美女」と同時期に写真集も出されました。当時の週刊誌でも大きく扱われていた記憶があります。

 映画の撮影と一緒に写真集の撮影も行いました。映画とセットだと聞いていたのでそのまま撮影したんですが、結果的に写真集が先に世に出てしまったので、余計にセンセーショナルな扱いになりました。

 でも特に気にもとめていませんでした。私にとっては他のお仕事と同じ、仕事のひとつでしかなかったので。でも写真集といえば、その後の写真集の方が何かと言われてるようなので、そちらのお話もしておかないと? ですよね?(笑)。

--その写真集の騒動と、波乱の事務所倒産についてお聞きしたいのですが。

 わかりました。またまたウィキペディアに書かれている間違いを訂正しておきたいですしね。

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 第1回【波乱万丈の芸能生活41年 大西結花が声を大にする「ウィキペディアの情報は結構間違っている」】では、生い立ちやデビュー時の話などを詳しく語っている。

大西結花(おおにし・ゆか)
1968年7月6日、大阪府生まれ。83年「ミス・ロックンローラー・コンテスト」準優勝をきっかけに芸能界入り。84年ドラマ「家族の晩餐」で俳優デビュー、85年「アラベスク・ロマネスク」で歌手デビュー。同年、映画「台風クラブ」で第7回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。86年「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」の風間三姉妹役でブレイク。所属事務所の倒産を経て、現在も個人で俳優・歌手として活動。2012年に17歳年下の一般男性と結婚。26年10月11日、東京・コットンクラブで『40周年記念+1 anniversary live「ずっと大好き!!」』を開催。

福嶋 剛
ライター。1971年生まれ。TV局映像編集、ロケーションコーディネーター、音楽サイトの編集長、ニュースサイトの記者などを経験。ベテランアーティストや元アイドルのインタビューをはじめ、イベントの進行役などエンタメを中心に活動中。

デイリー新潮編集部