目が入った本物モアイ像、南三陸とチリの縁 1960年の津波を機に交流、街歩きで学ぶ

復興の歩みを本物のモアイ像に学びませんか-。東日本大震災を機に、南米チリ領のイースター島から宮城県南三陸町に贈られたモアイ像や震災遺構を巡る街歩きのコースを町の観光協会が2026年4月から開設した。語り部の案内付きで約1時間。1960年のチリ地震と2011年の震災で2度の津波被害を経験した町とチリの交流をたどる。(共同通信=庄司萌瑠)
迫力ある2体のモアイ像が立つのは、志津川湾を望む広場。うち震災後にイースター島から贈られた高さ約3メートル、重さ約2トンの像は目が入った世界でも2体しかない「本物」の一つだ。現地では目が入ることで霊力が宿るとされる。町内最年少の語り部畠山興斗さん(20)は「南三陸を見守り、災害のことを教えてくれる特別な存在」と笑顔で紹介した。
町とチリのつながりは、現在の南三陸町だけで犠牲者が少なくとも41人に上ったチリ地震津波から60年以上続く。1体目は1991年に町がチリ人の彫刻家に制作を依頼。海岸沿いの公園に複製が設置されたが、東日本大震災の津波で流失した。
2体目は震災後の2013年5月に、イースター島から現地の石を削り出して造られた像が贈られた。流された1体目もその後に発見されて修復され、今は並んで立つ。
2023年まで1体目の頭部が置かれていたのは、畠山さんが通った町内の志津川高(現南三陸高)。「何でモアイ像が高校にあったのか、当時は知らなかった」と振り返る。5歳で被災し、小学校では校庭の半分に仮設住宅が並ぶ環境で育った。
「震災を直接記憶する最も若い世代だからこそ過去の災害も学び、地元に恩返しがしたい」と昨年から語り部の活動を開始。町職員ら43人が犠牲になった旧防災対策庁舎などを中心に、これまで40人ほどの観光客を案内してきた。
外務省によると、国内では高松市や宮崎県日南市にもモアイ像が立っているが、目の入ったモアイ像は南三陸にしかない。畠山さんは今後、新コースも通じて多くの人と関わりたいと願う。「復興が一段落してきた今、観光も取り上げ、自分の言葉で語り継ぎたい」



