「オデュッセイア」から。オデュッセウス(マット・デイモン)=photo by Melinda Sue Gordon (C)Universal Studios. All Rights Reserved.

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 クリストファー・ノーラン監督・脚本による最新作「オデュッセイア」(9月11日から全国公開/9月4~10日にIMAX先行上映)は破格の映画だ。

 原作は、古代ギリシャの詩人ホメロスによる大英雄叙事詩。トロイア戦争後、故郷へ帰還しようとする英雄オデュッセウスの波乱万丈を、3時間近くにわたって描く。長編映画史上初めて全編、高解像度のIMAXフィルムカメラのみで撮影という豪勢なつくりで、既に公開されている国では、IMAX方式での上映を選ぶ観客の存在が興行収入を押し上げているという。実際、この映画においては、映像が雄弁にものを言う。(編集委員 恩田泰子)

 主人公オデュッセウス(マット・デイモン)は、ギリシャの島国イタケの王だが、もう20年も不在のまま。トロイア戦争を10年戦って帰国しようとしたものの、さまざまな試練や怪異に直面。さらに10年、漂流・冒険が続く。

 イタケでは、王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)が王の帰還を待っているが、王宮には王妃と王座を狙う求婚者たちが居座って、我が者顔で宴(うたげ)を繰り返している。オデュッセウスの息子テレマコス(トム・ホランド)は父の行方をたどるため旅立つ。

 イタケの窮状、テレマコスの旅、そしてオデュッセウスの過去・現在を交錯させながら、物語は深まり、進んでいく。原作自体がそういう構造なのだが、時空を操る手さばきの鮮やかさは、さすがノーラン。美的かつ動的な映像とともに観客を自然に引き込んでいく。「インターステラー」「ダンケルク」「オッペンハイマー」などで重ねてきた構造的冒険は一層、優美に研ぎ澄まされている。

 舞台はギリシャ神話の世界だが、神々の存在感は原作ほどには強くない。時折現れる女神アテナ(ゼンデイヤ)は、オデュッセウス自身の良心のようにも感じられる。ファンタジーの世界は人間の心象風景のようにもとらえることができる。

 オデュッセウスは、巨人キュクロプスや魔女キルケ(サマンサ・モートン)や精霊カリュプソ(シャーリーズ・セロン)、セイレーンなどさまざまな怪異に出くわすが、やっぱり生々しく恐ろしいのは戦争の風景。

 オデュッセウスが考案したトロイア攻略のための奇策「トロイの木馬」作戦の裏側は、見る者の想像を超える過酷さで、身体感覚的にもリアル。そして、馬の外に出てからの殺りく。英雄って何なのか。勝った後も死者の無念を背負ってさまようオデュッセウスを見つめながら、なんだかいたたまれなくなってくる。

 戦わなければ帰れない。でも戦っても簡単には帰れない。別の王は帰国後に命を落とした。オデュッセウスも戻れば、アンティノオス(ロバート・パティンソン)ら厚顔にしてよこしまな求婚者たちとの衝突は必至だ。でも戻らなければならない。何のために?

 さまよえる英雄がなすべきこと、乗り越えるべき障壁、戻るべき場所。「オデュッセイア」はノーランが繰り返し描いてきた題材の原点にある物語と言える。

 相似形のノーラン作品の一つとして思い出されたのは、「ダークナイト ライジング」(「オデュッセイア」で主人公が弓を扱う時に聴こえてくる音階は、気のせいかもしれないが、「ライジング」のダンスシーンで使われている名曲のかけらを想起させる)。映画の終盤、街を救うために戻ってきた主人公バットマン(クリスチャン・ベール)に、彼と惹(ひ)かれ合う女怪盗セリーナ・カイル(演じるのは「オデュッセイア」ではペネロペ役のハサウェイ)は言う。「どこへでも行けるのに戻ってきた」と。それに対する返答は「君も同じだ」。

 戻れば戦うことになる。その先に何があるのか。この「オデュッセイア」でノーランは再び描いてみせる。戦わず、殺さず、平和に暮らすことができない人間の業ごと、丸ごと、神のごとく広い視点で端正にとらえてみせる。

 海は大きく、砂浜は広く、人間はちっぽけ。そのことをありありと見せた上で、改めて浮かび上がらせる。そんな人類を滅亡から救っているものは何かを。それは自分だけではなく、誰かを思うこと。この映画は、そのことを、単なるきれいごとではなく、圧倒的に力強いものとして見せていく。

 英雄物語はとどのつまり、ラブストーリーとなる。戦争を描き、戦争の傷跡を描き、それを克服するための長い長い道のりを描いた果てに。そして、映画界で芸術的にも商業的にも成功を積み上げてきた今のノーランには、それを破格のスケールの映画にする力がある。

 この映画に足りないものがあるとしたら、官能のにおいかもしれない。ノーランが好漢デイモンに演じさせるオデュッセウスは、基本的にはファミリータイプの人格者。でも、そんな男がバイオレンスにのみこまれていくことが、そして、それがリアルに感じられることが、こわいように思う。

 忠僕エウマイオス(ジョン・レグイザモ)や犬のアルゴス、そしてギリシャ兵シノン(エリオット・ペイジ)といった小さき者たちの命の重さが、くっきりと心に残る作品でもある。彼らはいわゆる英雄として記憶される存在ではない。でも、彼らの存在がなければ英雄はないのである。こういうキャラクターを描くのも、ノーランはつくづく得意である。

「オデュッセイア」(原題:The Odyssey)=2026年/アメリカ/172分/カラー/英語/日本語字幕:アンゼたかし/吹替翻訳:木村純子/字幕・吹替監修:藤村シシン/配給:ビターズ・エンド、ユニバーサル映画