「YouTubeの授業と学校の授業、どちらが良いか」を巡る議論がX(旧Twitter)上で巻き起こり、大きな話題を呼んだ。きっかけは、化学の解説動画を配信するYouTuberが「YouTuberが学校の先生より分かりやすいのなんて当たり前。僕らは満足いくまで作り込んでから投稿すればいいから」と投稿したことだった。

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 これに対して、ネット上では「YouTubeは授業に“全フリ”できるから分かりやすく面白い」と賛同する声がある一方、「YouTubeは見たい人だけが見るから面白く感じるだけ」「学校ではやる気のない生徒もいる中で授業を成立させるからテクニックが違う」といった反論も寄せられた。

 授業が動画で事足りるなら、学校に通う意味とは何なのか。『ABEMA Prime』では、YouTubeでの学習と学校教育、それぞれの意義について考えた。

■「先生は分かりづらくてもクビにならない」

 投稿した”勉強教える系YouTuber”の佐藤慎一朗氏は真意をこう語る。「『分かりやすい』と褒められる一方、『学校の先生はダメ』という過激な声もある。私を持ち上げて先生を下げる発言に対し、『それは違う』と伝える意図でポストした」。

 佐藤氏は、つまずきやすいポイントの重点解説や動く図表の活用など、理解を深める工夫を明かす。これに対し、ハヤカワ五味氏は評価システムの違いを指摘。「YouTuberなどの発信者は常に評価にさらされるが、特に公立校などの先生は教え方が分かりづらくても評価が下がったりクビになったりしない」と述べ、分かりやすく教えるインセンティブが働きにくい現状を問題視した。

 静岡の元教師すぎやま氏も「確かに”分かりやすく教えること”による評価のインセンティブはない」と認めつつ、「現場の最優先事項は『教室を荒らさないこと』。学級崩壊を防ぎ授業を成り立たせるのが最低ラインで、その上で能力差のある生徒たちを同時に教えている」と現場特有の難しさを明かした。

■ 授業を動画に置き換えたら「成績下がる」? 対面授業との「ハイブリッド」の可能性

 授業の動画化について、すぎやま氏は「対面授業を動画に置き換えると成績が落ちる研究結果がある一方、対面に動画を付け加える『ハイブリッド型』なら成績が上がる」と有効性を示した。

 白梅学園高校校長の武内彰氏も完全動画化には否定的だ。「一方的な知識伝達の授業は『NO』だ。先生の問いに自分の頭で考え、友達と議論して気づきを得る集団での学びを重視している」と語る。

 また、佐藤氏は教師と生徒の「相性」についても言及する。「得意分野ができるかどうかは、先生との相性によるところが大きい。絶対的に教えるのが上手な先生がいるならば、クラス全員が同じ学力になるはずだが、そうはならない。全員に分かりやすい授業をやるのは無理がある」。

 それに対しハヤカワ五味氏も、「絶対的な一人を選ぶのではなく、複数の先生の中から自分に合うキャラクターの授業を選べるようになればいい」とし、相性の問題を解決する選択肢の重要性を語った。

■ 学校は何を学ぶ場所?

 YouTubeを活用した独学でヤンキー高校から大阪大学に合格した藤森嵩人氏は大学受験をゴールとするならYouTube生成AIの活用は有効だとの考えを示し、「この情報の時代において、道具を使わない手はない」と語る。
  
 自身の経験を振り返り、「小学校で九九の速さを競わされて不登校になったが、電卓の方が速いのだから人間が競う必要はない。道具を使って困難を突破する工夫など別の能力を鍛えるべきだ。私自身、フリースクールでツリーハウス作りや田植えを経験し、道具で欲しいものを創り出した体験や問いを立てる力が、今の研究に繋がっている」と明かした。

 その上で藤森氏は、学校の意義を「ランダム性(ノイズ)」にあると語る。「YouTube生成AIでは得にくいのが“ランダム性”だと思う。学校は、自分の興味や新たな自分を発見するために、さまざまな“ノイズ”を受け取る場所として意味がある」。

 武内氏も大学受験は教育の最終的なゴールではないとの考えを示し、「高校、大学を通して基礎的な教養や専門性を積み重ね、 やがて社会に出て新しい価値を生むのが教育の最終ゴールだ。今後はYouTuberと学校の教員が上手く住み分け、協働していくのではないか」と述べ、すぎやま氏も「学校教育は大学受験の対策機関ではない」と強調した。

 佐藤氏は「YouTubeは自分から見に行かなければならない」とした上で、嫌いだった科目でも学校で相性の良い先生と出会うことで好きになる可能性があると指摘。「学校という機関で、嫌いな科目もやってもらうことはすごく大事だと思う」と最後に語った。 

(『ABEMA Prime』より)