川口市周辺でしばしば問題になる過積載トラック「クルドカー」

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 本年1月、埼玉県川口市で起きたクルド人男性による19歳日本人青年の自動車死亡事故。7〜8月に行われた公判を元に、事故と被告の実態に迫る。【前編】では、第一回公判での、被告の不可解かつ不誠実な供述について述べた。【後編】では、第二回公判での、遺族の慟哭の訴えを詳述する。

【前後編の後編】
【西牟田靖/ノンフィクション作家

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【写真を見る】頑強なバイクが元の形をとどめず…クルド人被告の悪質な運転を物語る、事故後の惨状

すべてを破壊した事故

 8月4日午後1時半、さいたま地方裁判所。山本優生(ゆうき)さん(当時19歳)の死亡事故、その二回公判で、優生さんの母親が証言台に立った。

「優生は三男として生まれてきてくれました。私の父と母を立て続けに亡くした時期に生まれてきてくれた優生は、私たちにとって暗闇の中に差し込んだ光であり、大きな喜びを運んできてくれた存在でした」

川口市周辺でしばしば問題になる過積載トラック「クルドカー」

 優生さんは家族の愛情を受け、誰に対しても優しい青年に育った。しかし、事故当日(本年1月14日)の午前6時半、車にはねられた。母が警察から連絡を受けたのは午前7時51分。その後、優生さんは午後4時27分に息を引き取った。19歳という短い生涯であった。

 事故は、残された家族の日常も破壊した。結婚して25年間、涙を流す姿を見せたことのなかった夫は、愛息の遺体に触れることもできずに泣き崩れた。大学に通う次男は、車への恐怖から教習所を途中でやめ、感情を抑えきれない日々が続いた。また、その年の3月から優生さんと同棲を始める準備を進めていた恋人は、ショックから自宅に引きこもり、食事も十分に取れない状態に陥った。

「このように亡くなった本人だけでなく、関係する全ての人の人生を奪いました。あの日、車が止まってくれさえすれば、事故は絶対に起こりませんでした。うっかりミスなどという言葉で納得できるはずがありません」

見え透いた嘘

 第一回公判でクルト・ハイリ被告は事故後、「母親に5〜6回謝罪の電話をかけた」と供述している。これについても、母親は明確に否定した。

「私の携帯電話に知らない番号からの着信履歴は一度も残っていませんでした。なぜ法廷という場で、このような見え透いた嘘をつくのでしょうか。本当に謝罪したいという気持ちがあるなら、真実を語るべきです。また、(第一回公判で弁護側証人として出廷した)彼の妻の『夫は運転が上手』という話は受け入れがたい。被告から謝罪を受けたとしても優生は戻りません。謝罪を拒否するのはせめてもの遺族の抵抗です。本当に申し訳ないという誠意があるなら、今すぐ免許を返納してください!」

 そして母は次のように締めくくった。

「日本に生まれ育ち、高校卒業後から亡くなる日まで、早朝から一生懸命働いてきちんと納税するような、未来ある日本の宝を亡き者にした罪は重い。過失運転致死罪のなかでも最も重い、厳罰を求めます。出せるもので最大の罰をお願いします」

 ハイリ被告は第一回公判で、遺族に対して頭を下げることはなかった。また辻褄が合わない弁明を重ねていた。そうしたことから遺族は、被告に対し一貫して強い処罰感情を表明したのだ。

約8秒間の暴走と、法廷における論告求刑

 午後2時10分、すべての証拠調べが終わり、検察官による論告求刑が行われた。

「被告は、交差点の信号遵守という運転者として最も基本的な義務に違反した上、『考え事をしていた』として約8秒間にわたり信号機を一切確認せずに事故を起こした。過失の程度は極めて大きい。被害者の尊い命が奪われており結果は極めて重大だ。遺族の心情も十分に斟酌されるべき。被告の刑事責任は極めて重く、犯行を認め、前科がないことなどを斟酌しても厳罰を以て望む必要がある。被告に拘禁刑3年を求刑する」

 これが読み上げられた瞬間、傍聴席から激しい嗚咽が漏れた。泣き崩れたのは、ハイリ被告の妻であった。優生くんの母親の意見陳述になんの反応もしなかった被告の妻は、夫が求刑された事実に直面したときだけ激しく反応したのだ。

 求刑の後、被告の弁護人が減軽を求めた。その理由として挙げたのは、被告人が起訴事実を認めて反省の弁を述べていること、任意保険による賠償が予定されていること、妻による監督が期待できるため再犯の恐れがないことなどだった。また、被告人が母親に複数回電話をかけようとしたことや事故後に現場に献花を行ったことを情状酌量の余地として主張し、執行猶予付きの判決を求めた。

 午後2時32分、被告人が最後の証言台に立った。被告人は日本語で「ひとこと、申し訳ございませんでした」と述べ、続けてトルコ語でも謝罪を口にした。しかし、至近距離に座る母親や長兄とは最後まで目を合わせようとせず、頭を下げることもなかった。午後2時33分、公判は結審した。

事故直後の救護措置と謝罪連絡に関する証言

 この裁判において、検察と被告の言い分が大きく食い違ったのは、事故直後の救護措置と遺族への謝罪連絡の有無である。

 第一回公判において被告人は事故直後の救護措置について次のように述べていた。

「事故直後、すぐに車から降りて、倒れている被害者に『もしもし』と話しかけた。救急車が到着するまで、被害者のそばに座って待っていた」

 優生さんの意識の有無を確かめ、救急車が来るまで付き添った。つまり救護義務を果たしたという主張を被告はしたのだった。

 また、遺族への連絡については「警察官からお母さんの電話番号を入手し、謝罪のために5〜6回電話をかけた」と主張した。

目撃者の証言と異なる供述

 しかし、これらの供述と、遺族や目撃者の証言は真っ向から異なる。

 まず、母親への電話連絡については、先の意見陳述の通り、母親は明確に否定している。事故から1ヶ月が経過した2月中旬に私が取材した際も、母親は同様のことを証言している。

 事故直後の救護措置についても同様だ。筆者は事故現場の状況を目撃していた近隣住民に事故発生の5日後に取材している。それによると、事故直後に車を降りて速やかに救護活動を行ったのは、被告人ではなかった。対向車線に停車していた「黒いワゴンの運転手(日本人男性)」が即座に車を降り、119番通報をして交通整理を行い、倒れている優生さんに声をかけ続けていたという。

 母親によれば、この黒いワゴンの運転手から事故時の状況について以下のような説明を受けたという。

「信号が赤だったため自分は停車していたが、対向車線の車(被告人の車)が全く減速せずに交差点に突っ込んできて、青信号で進入したバイクをはね飛ばした。すぐに駆け寄り、大丈夫、今救急車を呼んだからねと声をかけると、(優生さんは)一瞬だけ目を開けて目が合ったが、すぐに意識を失った」

 また、事故を起こした被告人と、同乗していたクルド人の知人がどのような行動を取っていたかについて、前述の近隣住民は次のように証言している。

「彼らは車から降りてきたものの、倒れている被害者に近づく様子もなく、ただその傍らに立ち、他の人が救助活動を行う様子を傍観していた」

 このように、第三者が救護活動を行っていたにもかかわらず、被告はその責任を果たそうとしなかったばかりか、法廷においては「自らが介抱した」と事実と異なる供述を行った可能性が高い。

日本社会全体が直視すべき課題

 真面目に働き、納税の義務を果たし、将来を期待されていた19歳の若者が、暴走で命を奪われ、事故後の不誠実な供述によってその尊厳を傷つけられた事実は重い。

 現在、日本では深刻な人手不足などを背景に、定住する外国人が増えており、今後、本格的な「移民社会」が訪れる可能性が高い。多文化共生という理念が進められる一方で、今回のようにその一部には日本の法秩序や人命を重んじる基本的な意識を欠いた者が存在するという現実に直面している。労働力の確保と同時に、受け入れる社会の法秩序や治安をいかに維持し、住民の権利と尊厳をどのように守るべきか、日本社会全体が直視すべき課題が示されている。

 判決は来月の17日に下される。

【前編】では、第一回公判の内容について詳述している。被告が信号見落としの理由として述べた“驚くべき弁明”の中身とは――。

西牟田靖(にしむたやすし)ノンフィクション作家。1970年大阪府生まれ。日本の国境、共同親権などのテーマを取材する。著書に『僕の見た「大日本帝国」』、『わが子に会えない』、『子どもを連れて、逃げました。』など。

デイリー新潮編集部