”セガール祭り”に透ける『午後のロードショー』のしたたかさ…昨今の映画館に嫌気が差したシニアたちの救いになっていた
平日昼の「映画番組」がギネスに
2026年4月、日本のテレビ史に刻まれるニュースが飛び込んできた。1996年4月に放送を開始したテレビ東京の『午後のロードショー』(以下、『午後ロー』)が、放送回数6252回を達成し、ギネス世界記録に認定されたのだ。さらに6月には、映画文化の発展に寄与した功績を称えられ、栄えある「第19回淀川長治賞」まで受賞した。
テレビ離れが止まらず、動画配信サブスクが生活に定着した2026年現在。なぜ平日の13時40分という“真っ昼間”に放送される『午後ロー』が、独自の輝きを放ち、愛され続けているのか。
『午後ロー』は今や失われようとしている「映画体験」を担い、同時に、テレビというメディアの生存戦略を体現している。
そんな『午後ロー』の二面性を紐解いていきたい。
シニア層が映画館から消えた
近年、日本の映画マーケットでは一つの変化が起きている。
洋画に客が入らないのだ。ひと昔前まで「映画といえば洋画」と言うほど市場の興行収入を占めていたが、今は邦画、特にアニメ映画の圧勝が続いている。
「日本人が外国に興味を持たなくなったからだ!」という大雑把な分析で片付けられてしまうことも少なくないが、原因は本当にそれだけだろうか。
ある映画配給会社の関係者は「シニア層のシネコン離れ」を指摘した上で、こう明かしてくれた。
「これまで洋画に親しんできた60代以上のシニア層が、劇場から減っているのは大打撃でしょう。毎月何本も洋画を観ていた映画ファンが、今の映画館のシステムに馴染めず、足が遠のいている印象があります」
この傾向は数字にも表れている。2025年実施のコスモラボの調査によれば、51.5%のシニアが、映画館に「ここ数年行っていない」と回答。さらに16.6%が「年に1回以下」と回答している。シニアの映画館離れは深刻だ。
正直、シネコンに行くのは面倒が多い。シニア層にとっては尚更だろう。
シニアの映画館離れ「3つの要因」
まず、「予約システムと劇場の構造」の問題だ。かつての映画館は窓口でチケットを買えば、好きな時にスクリーンのある暗闇に入ることができた。冒頭を飛ばして途中のシーンから映画を楽しみ、上映後に居座って次の回の頭を観る--そんな「時間を潰しながら、ラフに映画を楽しむ」という気楽さがあった。
しかし、現在のシネコンはすべての作品が「完全入れ替え制」、かつ、インターネットによる事前予約が主流で、当日にフラリと行っても自動券売機の煩雑な操作を要求される。
次に「地域格差」がある。街の小さな劇場が次々と潰れ、映画館が大型商業施設内のシネコンへと集約された結果、地方や郊外のシニアは「わざわざ都心まで電車で出るか、車を長く走らせないと映画が観られない」というフィジカルなハードルに直面している。
そして、「作品ラインナップ」だ。近年の洋画は、海外映画祭を経由してくるアーティスティックな作品か、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のような過去作の予習を前提としたアメコミ大作かの二極化が進み、大人がシンプルに楽しめるエンタメ作品が減ってしまった。
直近で『マイケル』や『プラダを着た悪魔2』といった作品が大ヒットを記録していることからも、大衆はかつての洋画が持っていたような「間口の広さ、観やすさ」を求めていると言えるだろう。
こうした「システム」「劇場」「作品」のトリプルパンチによって、洋画に親しんできたシニア層は映画館から遠ざかってしまった。
そんな彼らにとって、平日13時40分にテレビをつければ、肩肘張らずに楽しめる洋画が流れている『午後ロー』は、かつての映画館にあった緩やかな空気感を擬似的に再現してくれる。映画ファン、特にシニア層の拠り所なのだ。
セガール祭りの魅力
では実際に、「午後ローの戦略」に目を移していきたい。
『午後ロー』は「セガール祭り」に代表されるような特別編成を組み、人気あるシリーズを数多く放映してきた。
「今月のセガーーール!」というタイトルコールに聞き覚えはないだろうか?
長年、スティーブン・セガールの吹き替えを担当してきた声優の大塚明夫氏によるナレーションは「今月も、“セガール祭り”がくる……!」と熱心なファンを歓喜させてきた。
こうした『◯◯祭り』のような特別編成は名画座で組まれる「特集上映」のようで、視聴者は毎日映画館に通っているような感覚になれる。また特にSNSの登場以降、その特集ごとに流れるクセの強いCMを武器として新たなファンを獲得してきた。
ところで、なぜ『午後ロー』はあれほど「スティーブン・セガール」をこすってきたのか。
頭を空っぽにして途中から観ても「なんかセガールがブチギレて、悪い奴らが一瞬で全滅した」という明快さはもちろんだが、そこにはもう一つ、業界の裏側にある「権利処理」という切実な問題がある。
実は、1980〜90年代の比較的マイナーな洋画を日本のテレビで放送しようとすると、権利元が複雑化しており、しばしば「権利迷子」に陥る。
たとえば、当時映画を作った海外のプロダクションがすでに倒産していたり、企業の合併・買収などによって「映像の権利はA社にあるが、音楽の権利はB社、日本国内のテレビ放映権はどこが引き継いだか分からない」といったりするケースが日常茶飯事だ。
その点、セガール作品は窓口がクリアだ。
セガール祭りの合理性
『沈黙の戦艦』をはじめとする黄金期の初期作品はハリウッドのメジャースタジオ(ワーナー・ブラザースなど)が一元管理しているため、日本法人と交渉すれば話がまとまりやすい。
さらに、2000年代以降のいわゆる『沈黙シリーズ』は、プレジディオなど日本の配給会社が国内の権利を買い付け、窓口を一本化してくれている (※『沈黙シリーズ』は大ヒットした『沈黙の戦艦』にあやかり、とにかく邦題に「沈黙」をつけまくった作品群である。実は、原題に「沈黙」という言葉のつく作品はない)。
加えて、こうしたB級アクションの多くは、テレビ局がビッグタイトルを仕入れる際、「抱き合わせ」でセット売りされるという側面もある。本来なら日の目を見ることのない格安品を「〇〇祭り」と括って、平日の定番コンテンツへと昇華させる。
こうして、『午後ロー』はコストを抑えながら、「映画文化への貢献」という大義名分まで手に入れた。ここに『午後ロー』が、映画文化を担いながら、テレビ番組として賢く生き残ってきた二面性が見て取れるのだ。
だが昨今、この手の権利がサブスク配信プラットフォームへの定額見放題(SVOD)枠として、ライセンス販売されるビジネスモデルへシフトしている。最近、『午後ロー』で『セガール祭り』がご無沙汰になっているのも、その影響だろう。ちなみに、『沈黙シリーズ』もアマプラで24作品、U-NEXTで28作品が見放題となっている。
地上波では唯一無二の『午後ロー』も、やはり配信の波に飲まれてしまうのだろうか……。
つづく記事〈テレビ東京「午後のロードショー」は、レビュー至上主義に陥った世の中の最後の希望…“クソ映画”に出会えるという幸せ〉では、それでも色褪せない『午後ロー』の魅力と、今後の課題について論じていきたい。
【つづきを読む】テレビ東京『午後のロードショー』は、レビュー至上主義に陥った世の中の最後の希望…”愛すべきクソ映画”に出会える幸せ

