Xのフォロワー数130万人超えの人気インフルエンサー・カマたくさん(37)。2022年9月から認知症の祖母(当時90歳)を在宅介護することになった。しかし、あまりの大変さに不眠症になり、1日20回くらい「早く死んでくれないかな」と思いながら介護していたという。

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 今年4月には、その介護の日々を赤裸々に綴った書籍『施設がそんなにダメですか? 〜認知症になった祖母の地獄の在宅介護〜』(ブックマン社)を上梓した。

 なぜカマたくさんは祖母を在宅介護することになったのか。もともと体が丈夫だった祖母の認知症が発覚したきっかけとは――。カマたくさんに詳しく話を聞いた。(全4回の1回目/2回目に続く)


人気インフルエンサーのカマたくさん ©杉山秀樹/文藝春秋

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「とても小柄なのにとにかく体が強い」今年で94歳になった祖母

――カマたくさんのおばあさまは、どんな人なのでしょうか。

カマたくさん(以下、カマたく) 優しいし、私はおばあちゃんっ子だったので、福島の祖父母宅に遊びに行った時はずっとおばあちゃんにくっついて回っていました。一緒にお花をいじったり、育てたりとか。

 高校生の時、夏休みなどには、一緒に選果場でトマトなどの野菜を箱詰めするバイトもしていました(笑)。大人になってからも仲が良くて、コロナ禍の前までは毎年、最低でも1回は会いに行ってましたね。

――おばあさまはおいくつなのですか。

カマたく 今年で94歳なんですけど、とても小柄なのにとにかく体が強いんですよ。過去に子宮を全摘していますし、胃とか小腸も切っているので病気はありましたけど、ちゃんと回復するんですよね。

 80代半ばの時に足を骨折したのか、杖がないと歩けない時期があったんです。それで寝たきりになるかと思いきや、復活して。階段から落ちた時も無傷だったし、病院に行ったけど何も異常がなかったくらい。ボケてからの方が丈夫になっている気がします。

 今も元気に自分の足で歩いて、自分で食べて、自分でトイレにも行っていますね。多分、骨が異様に強いんだと思います。

50年間は無事故・無違反でバリバリ運転の“パワフルばあちゃん”

――おばあさまは結構アクティブなタイプなのでしょうか。

カマたく そうですね。80代半ばくらいまではお友達と海外旅行に行ったり、車を運転して遠出したりしていました。40歳で免許を取ってから、50年間は無事故・無違反でバリバリ運転していましたし、“パワフルばあちゃん”ですね。

 祖母が80歳くらいの時に祖父が亡くなってからは、10年くらい一人暮らしで、私の母とその兄弟がかわりばんこで様子を見に行くような感じでした。

――ご家族はみんな仲が良いのですか。

カマたく 母方の親族はみんな仲良いですね。でも、私の父親が暴力的で。私が21歳の時に咽頭がんで亡くなったんですけど、母や私のことを殴ったりしていたので、そのおかげで父親以外は仲が良いというか、結束が固いんですよね。

「このカビはさすがに気付くよな」90歳で免許返納→認知症が発覚した経緯

――おばあさまの認知症が発覚したのはいつ頃のことだったのでしょうか。

カマたく 90歳で免許を返納することになったんですけれど、その時期に母や母の兄弟が家に行くと、結構「あれ?」みたいなことが増えて。

 もともと、とても几帳面できれい好きで、一人暮らしになってもきちんと生活している人だったから、生活の乱れから異変に気がつきました。

 最初はたしか、洗濯槽がカビだらけになっていたそうなんですよ。「目があまり見えなくなってきているのだろう」ということを差し引いても「でも、このカビはさすがに気付くよな」みたいな違和感から始まって。

――いつもと様子が違ったのですね。

カマたく それから母に「通帳と印鑑がない」と電話がかかってきたんです。物を失くした、なんていうこともそれまで一度もなかった人なのに。

 それで母は、「来週そっちに行くから待ってて」と伝えたそうなんですね。そうしたら、同じ内容の電話が1日に5回かかってきて。

「今日、何回も同じ電話をかけてきているよ」と伝えたら、祖母は「まだ今日は電話していない」と怒りだしたので、いよいよ「これは認知症かもしれないな」ということになりましたね。

「半ば無理やり病院へ連れて行って…」祖母がアルツハイマー型認知症と診断されるまで

――免許を返納したのは、認知症の症状が出てきたためだったのですか?

カマたく いえ、その前だったと思います。田舎暮らしだから、車がないと生活できないとはいえ、さすがに90歳だし、何か起きたら困るのでみんなで説得して、なんとか納得してもらったという感じですね。

 だから、免許を返納したから認知症を発症したというより、なだらかにそういう傾向が来ていて、返納して運転もしなくなり、行動範囲が狭くなったことで、急に進行したのかなと思っています。

――おばあさまが「アルツハイマー型認知症」と診断された時の様子を教えてください。

カマたく 叔父が慌てて祖母の様子を見に行ったら、これまで綺麗にしていた家も散らかっていたし、片付け方も全然違っていたんですね。だからすぐに病院に連れて行こうとしたそうなんですけど、年寄り扱いされることを嫌う人なので、病院をすごく嫌がって。

 ただ叔父も仕事があるので、半ば無理やり病院へ連れて行って脳の検査を受けたら、「アルツハイマー型認知症」だと診断されたんです。

――ご本人はどういう反応だったのでしょうか。

カマたく たしか、本人には医師から言われなかった気がするんですよね。診断書を書いてもらっているので、どこかでは伝わっているはずなんですけど。祖母としてはショックだったと思います。「自分が認知症になるなんて」というタイプではあるので。

「兄弟で相談してやるべきことを振り分けよう」

――カマたくさんは、おばあさまの診断を受けてどういう心境だったのですか。

カマたく 「まあ、そうだよね」と思いましたね。90歳まで一人暮らしをしてくれたのは逆に「すごいな」というくらいで、いずれ来るだろうとは思っていたので。

 ショックは少なかったかもしれません。

――お母さまは、おばあさまの認知症の診断に対してどういう反応だったのでしょう。

カマたく 母はあまり「どうしよう、どうしよう」と悩むタイプではなくて、冷静に「火事になったら大変だし、一人暮らしはさせられないよね。じゃあ、どうする?」と対処するタイプなので、わりとてきぱきと「兄弟で相談してやるべきことを振り分けよう」と提案して動いてましたね。

「うちで一緒に暮らすしかないんじゃない?」祖母を在宅介護するようになったワケ

――お母さまが兄弟間で揉めたりすることもなかったのですか。

カマたく 一切揉めなかったですね。介護をめぐって家族間でよく「揉める」という話を聞いていたんですけど、うちはまったく。祖母の認知症がわかってすぐに連携して動けたのは、早期解決に繋がったと思いますし、よかった点です。

――カマたくさんとお母さまが2人で住んでいる自宅に、おばあさまが引っ越してくることになったのですよね。

カマたく そうですね。うちに引っ越してくることになった経緯としては、母のお兄さんは結婚していて、奥さんもいてワンちゃんもいるので「ちょっと同居は難しいかもね」と。

 弟さんは結婚していないけど一人暮らしで、仕事も深夜に働いたり昼に働いたりバラバラなので、その間に祖母を一人にしておくのも難しいよね、という話になったんです。

 それで、うちは姉が結婚して実家を出て行っているので、部屋が1つ余っていたんですね。だからもう自然と「うちで一緒に暮らすしかないんじゃない?」という流れになりました。

――当初、介護施設への入居ではなく、在宅介護を選択したのは何か理由があったのでしょうか。

カマたく とりあえず、もう祖母を一人暮らしさせておくわけにはいかないので「うちで様子を見よう」となったんです。一緒に生活をしてみてから考えてみてもいいのかなと。

「できるだけ早く一緒に暮らした方がいいね」ということで、祖母が引っ越してくる準備をすべて、認知症の診断が出て1ヶ月以内にやりました。

「みんなで役所の手続き関係を済ませたり…」在宅介護をするためにどんな準備をしたのか?

――具体的には、どんな準備をしたのですか。

カマたく 姉が使っていた部屋が当時のままだったので、テレビが好きな祖母のために大きなテレビを買って、エアコンや布団も全部揃えて、祖母が一人でも楽しめるようある程度の娯楽も用意して。

 ばあさんなのにゲーム好きで、特にスーファミ(スーパーファミコン)が好きだったので、スーファミとかも持ってきて(笑)。あとはお茶やコーヒーがすぐ飲めるように、ウォーターサーバーなんかも導入しましたね。

 私は祖母がこれから暮らす部屋の環境を整えたくらいだったんですけど、母の兄弟もみんなで役所の手続き関係を済ませたり、引っ越しの手配をして。

 この際だからいらないものは捨てて整理して、祖母が住んでいた家を引き払ったり。福島までだと片道4時間かかるので、かなり大変だったと思います。

――バリアフリーの導入も検討したりしたのでしょうか。

カマたく 10年くらい前に、当時60歳だった母が脳腫瘍で倒れたことがあって。小脳の一部を切除する手術をしたので、うちはその時にお風呂をバリアフリーにして、手すりを付けたり段差をなるべくなくしたりという造りにしていたんです。

 トイレは元々ウォシュレットだったし、住環境自体は問題なかったですね。

「もう不機嫌でしたね」福島から引っ越すことに対する祖母の反応

――おばあさまは、カマたくさんやお母さまと一緒に暮らすことについてどういう反応だったのですか。

カマたく いやあ、もう不機嫌でしたね。福島の家は、ちょうど私の姉が生まれた時に建てた家なので築40年くらいなんですよ。

 だからやっぱり思い出もあるだろうし、引っ越すと友達にも会えなくなっちゃうし。こちらとしても心苦しいですけど、何かあってからじゃ遅いので。そんなことも言っていられないという感じでした。

――カマたくさんご自身は、おばあさまを在宅で介護することに何か不安はありましたか。

カマたく 「どんな感じになるんだろう」とは思ってましたね。ただ「大丈夫かなぁ」と漠然としたものでした。

突然の環境変化でイライラ…地元の友達とも離れ心細さも

――おばあさまが引っ越してきた当初はどのような様子でしたか。

カマたく 来た時はもう、かしこまった感じというか、「お世話になります……」みたいな他人行儀な様子でした。老人性のうつ症状もあったし、突然環境が変わったこともあってか、当初は常にイライラしてストレスが溜まっている様子でしたね。

 自分の体も自由に動かなくなって、認知症がはじまったことにも気付いていたと思うので、ショックだっただろうし、心細かったと思います。

 それまでお付き合いのあった地元の友達とも電話くらいしかできないから、相談できる人も限られてしまいますし。自由に外も出られないし、気は遣うしで退屈だったことも関係しているかもしれません。

――お散歩や外出は誰かと一緒だったのですか。

カマたく 私が夜型というか、歌舞伎町の店で朝まで働いて日中は寝ていることが多いので、基本的には姉が一緒でしたね。姪っ子が保育園や小学校に行っている間に来て、2、3時間祖母の相手をしてくれたりしていました。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

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(吉川 ばんび)