BTSをはじめとするK-POPが世界的に人気を博している。だが本場である韓国国内では、その人気は愛国心を高めるための道具にとどまる。音楽評論家のキム・ヨンデ氏は「いまだに多くの人がアイドルを単なる人気稼業とみなし、アーティストではないととらえている。その背景には、音楽業界の偏見が存在している」という――。

※本稿は、キム・ヨンデ『K-POPを読む』(&books/辰巳出版)の一部を再編集したものです。

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■大半の韓国人にとってBTSは愛国心を高めるだけの存在

韓国のポピュラー音楽が、現代的な制作スタイルとグローバルなアプローチを掲げて「K-POP」という名のもとに生まれ変わってから、約20年が過ぎた。だが、K-POPとは何かという、一見単純明快な問いの答えを求めるためには、いまだ多くの説明と努力が必要だ。

BTSがアメリカのBillboardチャートのトップを占領し、数年前から外国メディアが韓国語の曲に込められた意味について分析しているが、韓国メディアは依然としてBTSを国家主義的な自尊心、いわゆる「국뽕(クッポン)」(※)の対象として扱っている。

つまり韓国では、BTSが人々の心を動かす理由や音楽に込められたメッセージと価値よりも、アメリカに住む平凡な人たちのリアクションや、BTSの成功がもたらす経済効果といった些末な問題に関心が集中しているのだ。

※「국가=国家」と「히로뽕=ヒロポン」の合成語で、愛国心に酔いしれる状態を揶揄した言葉。

韓国の人たちがポピュラー音楽に興味がないせいだろうか。もちろん、その可能性もある。

しかしわたしは、「アイドル音楽」と呼ばれるK-POPにたいする無関心と蔑視が原因だと推測している。K-POPが経済的な影響力を高め、世界中をひとつにする文化的な支配力を強めているにもかかわらず、いまだ多くの人々がK-POPスターを人気稼業のアイドルと見なし、ひとりのミュージシャンやアーティストとして認めるのをためらっている。

■「音楽はアーティスト自身の姿を表現していなければならない」

もちろん、「アイドルをアーティストと評価しないのは間違いだ」と、一方的に責めることはできない。「アイドル」の芸術性を批判したり、本質を疑ったりする背景には、彼/彼女たちの音楽性が誰かによって「作られた」もの、つまり「加工品」であるという概念が深く根ざしている。これらは、さほど長くない韓国のポピュラー音楽の歴史において、初期の頃から受け継がれてきた概念だ。

K-POPという音楽の芸術性に懐疑的な視点が向けられるのは、ポピュラー音楽を所属事務所やプロデューサーなどの「作り手」中心に分析する慣習があるためだ。重要視されるのは、「音楽は完全にアーティスト本来の姿を表現する。あるいはそうしなければならない」という「真正性(オーセンティシティー)」だ。

評論家たちは、芸術としてのポピュラー音楽にたいし、しばしば過度に厳しい姿勢を取ってきた。これは、音楽評論家の「ロッキズム(rockism)」、つまりロック中心主義と密接に関係している。

■“自作自演”偏重主義がポピュラー音楽蔑視を生みだした

バンドのメンバーが自ら曲を書いて演奏し、「作り手」の介入は最小限にとどめる(あるいは、そう信じられている)ロック音楽は、他のシンガーやパフォーマーとははっきりと区別され、「クリエイターとしてのミュージシャンであること」を音楽のもっとも重要なアイデンティティとして打ち出した。

同時に、企画・プロデュースされ、さまざまな立場の人々が介入して作り出す「ポピュラー」音楽とパフォーマーとしてのアーティストは、「ロック」よりも格下に見られるようになった。こうして、ロックという純粋な芸術と対比される商業的で人為的なポピュラー音楽にたいする偏見が生まれた。

歌やダンスが演奏や作曲に比べて芸術性が低いと評価されるようになった原因も、スキルや完成度よりも音楽にたいする姿勢や精神性が重要な音楽的価値として受け入れられるようになった理由も、ロッキズムに在るといえるだろう。イギリスとアメリカが作った現代ロック論をそのまま吸収した韓国のポピュラー音楽論壇が、伝統的にアイドルの音楽やパフォーマンスにわざと無関心を装ってきたのも、これと無関係ではない。

■オタクによるオタクのためのものにとどまるK-POP評論

一般的に音楽評論の対象となるのは、作品の主人公であるアーティストだ。だが、プロデューサーとプロの作曲家が作ったポピュラー音楽は、作り手の影響力が大きいがゆえに主人公であるべき歌手の存在が薄い。さらに芸能事務所が企画した「アイドル」の場合は、称賛や批判の矛先は、アーティストではなく事務所に向けられる。

よって、評論家にとってアイドルは、たんに気に入らない存在というよりは評価しにくい存在、つまりミュージシャンやアーティストとしては論じることができないか、そうしたくない存在になってしまうのだ。

作家主義のシンガーソングライターと弘大(ホンデ)発のインディーパンクが全盛期を迎えた1990年代に活発だったポピュラー音楽にたいする評論やレビューが、K-POPが本格的に勢力を伸ばしグローバルに成長した2000年代半ば以降に姿を消し始めたのも、これと無縁ではない。

K-POPやアイドルについての評論はいつの間にか「オタクによるオタクのためのもの」となり、ミュージシャンやアーティストとしての普遍的な評価は意味を失いつつある。K-POPがグローバルなビジネスとなった今も、音楽評論のメインストリームにおいて、アイドルはアーティストとして正当に評価されないままだ。

■K-POPアイドルは自ら楽曲制作に関わっている

現在のK-POPアイドルの音楽にたいする評価はさておき、アイドル音楽の商業性とアーティスト性の関係ついては、少し説明しておく必要があるだろう。

周知のように、アイドルの音楽はプロデューサーによって企画・制作される。その過程で、芸能事務所とプロデューサーの意図がアーティストの選択よりも優先されるケースがしばしばあるのは事実であり、A&Rの緻密なコーディネートは、作曲家に大きな影響を与える。しかし、アイドルを音楽の制作過程に何の役割も果たさない受動的な存在であると見なすのは、正しくない。

いわゆる「アイドル第一世代」とされるH.O.T.の時代から、K-POPアイドルは、作曲や編曲などに積極的に関わってきた。もちろんすべてのアイドルが「ミュージシャン」として長けているわけではないし、十分な才能を持ち合わせているにもかかわらず、芸術的な選択を自由にできないケースも多かった。

重要なことは、「すべてのアイドルはまるで操り人形のように作られる」という偏見から、わたしたちが自由になる必要があるということだ。

アイドルとして育成された多くの人々が自ら音楽をプロデュースするようになった例も少なからず存在し、今成功しているアイドルの多くは、まさにそのようなミュージシャンとしての力量を持っているという事実を心に留めておくべきだろう。ビジネス上「アイドル」というフォーマットをとっているだけで、アーティストとしての実力を擁するアイドルも加速度的に増えている。

■ダンスを含めて音楽表現として完成するがゆえの評価しづらさ

もうひとつ、もっと正当に評価されるべきなのは、アイドルの「パフォーマンス」だ。現在、彼/彼女たちのステージの完成度は非常に過小評価されている。これも、ダンスの価値を低く捉え、ダンスミュージックをロックに比べて真摯さに欠ける音楽だと卑下するロッキズムと無関係ではないだろう。

だが、舞踊が現代芸術の重要なジャンルとして認められている事実を鑑みれば、矛盾があるのは明らかだ。K-POPにおけるダンスやパフォーマンスは、たんに「歌の添えもの」というレベルを超えている。音楽的にも商業的にも音楽の存在に準じる、あるいは音楽をしのぐ価値を持っていると言っても過言ではない。

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特にグループの場合、ダンスパフォーマンスは彼/彼女たちの音楽が掲げるコンセプトを含んでいるだけでなく、音楽のアイデンティティとナラティブ(物語)を築くのに決定的な役目を果たす。

K-POPアイドルの楽曲制作は、「ソングキャンプ(song camp)」というプロデュースシステムをベースとしている。ソングキャンプの過程では、わたしたちが音楽の軸と考える作曲家や編曲家が担う役割は、芸能事務所またはアーティストが望むステージとパフォーマンスをサウンドとして具現化する、さまざまな要素のひとつにすぎない。

また、現在のアイドル音楽の中心となっているグループパフォーマンスの場合、ソロ歌手のステージのような豪華な舞台装置や大人数のバックダンサーは使わず、グループのパフォーマンスだけで音楽的な意図の大部分を表現する。

これらのK-POPの特徴を考慮すると、アイドルのパフォーマンスは、公演のための舞台装置や音楽を作った後につけ足されるオプションではなく、アーティストとしてのアイデンティティを形作るもっとも重要な「音楽的」要素であるといえるだろう。歌詞、曲、編曲、演奏といった従来の音楽批評の基準でアイドルの音楽を評しがたいのは、こうした理由があるためだ。

■現在のK-POPには世界のトップアーティストが参加している

もはや「他者によって作られた」という理由だけで芸術性を疑う余地がないほど、K-POPアイドルの音楽性は高いレベルに達している。

K-POPアイドルの特長のひとつは、ビジネスモデルとしてきた欧米のボーイグループ・ガールグループや日本のアイドルとはまったく異なる、音楽面でさまざまな実験的な試みが可能なシーンを生み出した点だ。

現在、K-POP産業には、世界の最先端をいく楽曲を手がける才能あふれる多国籍ミュージシャンが参加している。彼/彼女らは他のミュージックシーンの楽曲制作では難しかった芸術的な自由をK-POPで享受し、トレンドを押さえつつ果敢な挑戦に満ちた曲を提供している。

■逆説的に大衆性から解放されたアイドル音楽

この十数年間、韓国のポピュラー音楽において、芸術的にずば抜けて優れた曲の多くは「アイドルシーン」から誕生していて、その完成度は世界中のファンの反応や外国メディアの好意的な評価を見れば一目瞭然だ。ヒットの公式を徹底的に踏襲する従来のポピュラー音楽とは違い、K-POPアイドルは忠誠心が強いファンを対象に音楽的な世界観を創るのが特徴だ。

キム・ヨンデ『K-POPを読む』(&books/辰巳出版)

このことは逆説的に、アイドル音楽が「大衆性」にたいするプレッシャーから解放される理由にもなっている。

K-POPアイドルは、たんにヒットする曲を目指すというよりも、差別化された世界観や芸術性を表現できる曲、トレンドをリードできる曲、そして自分たちのアイデンティティに合う曲をひっさげて、市場で勝負をかける。作られたアーティストだという理由で彼/彼女たちの音楽がもつ多様性やリベラルさが十分に評価されないとすれば、豊かな音楽論議のもっとも大事な部分を永遠に封印してしまうことになるかもしれない。

現在、世界的なK-POP論をリードしているのは、韓国でなくアメリカだ。アメリカのジャーナリズムは、自由でおおらかなビジネス風土を武器に、K-POPを自らの業界のなかに積極的に取り込んでいる。韓国は、K-POPにたいする評価をためらっているうちに重要な機会を逃しているというわけだ。

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キム・ヨンデ(キム・ヨンデ)
音楽評論家
韓国大衆音楽賞選定委員。延世大学経営学科卒業。アメリカ・ワシントン大学音楽学博士課程修了。ソウル生まれ、2007年よりアメリカ在住。アメリカにおけるポップミュージックのマーケットとK-POPの動向を観察・研究。「ハンギョレ新聞」「New York Magazine-Vulture」「MTV」などに音楽評論を寄稿し、YouTubeチャンネル「キム・ヨンデのSchool of Music」を運営。著書に『BTSを読む』(柏書房)などがある。
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(音楽評論家 キム・ヨンデ)