【下駄 華緒】「裕福な老夫婦」がこっそり火葬炉に入り、自ら点火…かけつけた警察官が仰天した「壮絶死」の哀しい理由

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故人との最後の別れを告げる神聖な場所のイメージが強い、火葬場。しかし過去には、驚くべき事件が多数起こっている。

元火葬場職員である下駄華緒氏の『火葬場事件簿 一級火葬技士が語る忘れ去られた黒歴史』は、そんな火葬場にまつわる全国各地の事件を丹念に調査した話題の書籍だ。

同書より、福井県の老夫婦が起こした哀しい事件の詳細を一部抜粋して紹介する。

火葬場で見つかった真っ黒な遺体

平成17年(2005)11月7日午後2時頃、福井県大野市の火葬場の近くに、不審な車が停まっているのを付近の住民が発見した。

田んぼに囲まれるように立つこの火葬場は、じつは30年ほど前に閉鎖された、いわば廃火葬場。平屋建てのブロック造りで、施設の老朽化が進み扉も完全に閉まらないような状態だ。

なので、用事があって訪れる人などまずいなく、車が停まるのも異例なこと。しかも、この車はエンジンがかかっている状態だった。さらに極めつけは、車のなかでどうやらクラシック音楽が大音量で流しっぱなしになっていることだ。

どう考えても普通の状況ではない。不審に思った住民は、警察に通報した。現場にかけつけた警察官が火葬場のなかを調べていくうち、ひとつだけおかしなポイントが見つかった。使われていない施設であるにもかかわらず、火葬炉だけが暖かい状態になっていたのだ。

引き出して見てみると、真っ黒に焼け焦げた炭のなかから遺体を2体発見した。

計画的な焼身心中だった

停めてあった車の所有者は、同市に住む80歳の男性であった。どうやら火葬炉のなかで見つかったふたりは、この男性とその82歳の奥さんらしい。彼らには子どもはいなかった。

車内を調べると、給油伝票の裏面に書き置きが遺されていた。発見された前日の夕方からの行動を簡単に記したものだが、内容を読み進めていくうち、とんでもない事実が判明した。

なんとふたりは、自ら火葬炉のなかに入って点火したようなのだ。いうならば、焼身心中である。

「午後四時半、車の中に妻を待たせている」

「午後八時、妻とともに家を出る」

「妻は一言も言わず待っている」

このようにその日に家を出てからの行動が箇条書きになっている。午後8時に自宅を車で出たあとは、親戚の家に寄ったり、ふたりの思い出の場所を通ったりしながら、深夜に火葬場へ着いた。そして――

「午前零時四十五分をもって点火する」

最期の行動がそう書かれている。

たくさんの薪と炭を用意し、火葬炉のなかに敷き詰めた彼らは、0時45分に火を起こしたあと一緒に火葬炉のなかへ入った。そして金属製の扉に括(くく)りつけた紐を内側から引き、扉を閉めて心中したのだ。

この書き置きのほかにも、ふたり暮らしをしていた自宅からは日記帳も見つかっている。「妻と共に逝く」「たきぎや炭で荼毘の準備」「さっぱりした感じでいる」など、心中を事前に計画していたことが窺える。

さらに夫は心中の前日、財産の処分先を書いた遺言書を市役所に郵送していたこともわかった。自宅や田畑、山林など所有している不動産は市に寄付し、預金などはお世話になった人へ渡るようにしてほしい、という内容であった。

この遺言書は1年ほど前から書かれており、どうやらずっと前から心中を計画して身辺整理をはじめていたようだ。

停めてある車でクラシックを流しっぱなしにしていたのも、誰かに見つけてもらえるように、という意図だったのだろう。

苦しかった「老々介護」

この壮絶な焼身心中を図った老夫婦だが、いったいどんな理由があったのだろうか。

ふたりが暮らしていたのは市内にある木造2階建ての住宅だった。自宅の周囲には広い田んぼを持ち、これらでつくった米と年金がおもな収入源であり、貧乏暮らしというわけではなかった。報道によると、広い庭があり池には何匹もの錦鯉が泳いでいて、庭木もきちんと手入れがされていたといい、丁寧な暮らしぶりが窺える。

夫婦仲もとても良く、近所では一緒に買い物に出かける姿をよく見られていた。ずっとこの暮らしが続けば不幸な選択をしなくて済んだかもしれない。

彼らの暮らしに徐々に暗雲が立ちこめるようになったのは数年前からだった。

もともと奥さんのほうが糖尿病であったのだが、数年ほど前から症状が悪化して自力で歩くのが徐々に難しくなってきていたのだ。さらに糖尿病の進行と重なるようにして、認知症の症状も出はじめていた。

最初は軽い物忘れ程度であったが、徐々に奇行が目立つようになっていた。とうの昔になくなった母親を呼んだり、杖をつきながら集落のなかを徘徊したりなど症状が進行していった。

やがて旦那さんが奥さんにずっと付きっきりで生活しなければならなくなった。もともと農作業をしながら足の悪い奥さんに代わって掃除、洗濯、炊事などの家事を引き受けていたのに、そこへ奥さんの介護も加わるのだから、負担も激増だ。

そんな生活をしていたら今後は旦那さんのほうも過労で倒れてしまうのではないか、近所の人も心配していたのだという。そこで手伝いを申しでたり、行政サービスなどを教えてあげたりしていたというが、旦那さんは「妻の面倒は自分で見る。これ以上は必要ない」と、他人の世話になることを頑なに拒んだ。

もともとそういう性格だったのだろう。近所付き合いも薄く、近所に住む親戚にもあまり頼ることはなかった。周囲の人いわく、もともと無口でとても気難しい人だったようで、奥さんしか信用していないようなかんじだったそうだ。非常に優しく、真面目な方だったのかもしれない。

しかし、やはりそのままでは生活が辛くなる一方。そこで親戚の再三の説得のおかげで、週1回の頻度でデイサービスに奥さんを預けるようになった。

ふたりでずっと一緒にいたい

大変だった介護生活にもわずかだが余裕ができ、好転するかに思えた。しかし、運命の歯車は残酷だ。ここでさらに悪い出来事が重なってくる。

今度は旦那さんの身体にも不調があらわれたのだ。もともと患っていた痛風が悪化し、頻繁に痛みの発作が起こるようになった。やがて庭木の剪定をしているときに倒れ、自分も入院することになってしまった。

このときの入院が、不幸な選択をするきっかけになったのかもしれない。どこへ行くにもいつも一緒だった奥さんだが、入院生活のあいだは自分のそばにいない。妻はどんどん認知症が進んでいく。もう夫である自分のこともあまり記憶していないみたいだ。そんなときに自分ももし病状が悪化してずっと入院生活になってしまったら、夫婦は引き裂かれてしまう……。

そんな考えに陥ってしまう気持ちもわからなくはない。唯一心を許していた奥さんである。

離れ離れになってしまうくらいなら……。

記憶にも残らなくなって、心も離れてしまうくらいなら……。

ふたり一緒に、虹の橋を渡ろうか。

そんな悲壮な決意に突き動かされてしまったのかもしれない。旦那さんは持っていた土地などを市に寄付すると、遺言書に書いた。それらの固定資産は、評価額で680万円にものぼる。しかし、市は「いずれも市として有効な活用策が見出せない」として、寄付を受ける権利を放棄し、旦那さんの親族に相続されることになった。

この事件は火葬場云々よりも社会問題として非常に関心が寄せられた出来事である。このようなことが繰り返されないことを願うばかりだ。

つづく記事〈「死産した赤ちゃん」をゴミ焼却炉に次々投げ込み…千葉県の産廃業者が重ねていた「前代未聞の悪行」〉では、火葬をめぐる悪質な事件をさらに紹介しています。

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