国賊内閣で石破沈没、維新復活も「公約違反、増税推進」もはや改革政党の影も形もない「創業者も珍走中」

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 石破茂政権が発足した。そして早速解散に打って出た。なぜこのタイミングか。支持率が落ち始める前かつ野党が準備できない今しかないという極めて姑息な古い自民党的政治力学が推察される。その野党の一つ、日本維新の会でもゴタゴタが起きている。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。

橋下徹の国政維新批判が止まらない!

 維新創業者である橋下徹氏による「国政維新」への激しい批判が止まらない。彼は現状の国政維新執行部に対して辛辣なコメントを繰り返し、組織の刷新を強く求めている。

「今頃になって政策活動費の廃止を叫ぶことに、恥ずかしさを感じないのだろうか。現国政維新執行部は一度全て総替わりし、永田町の慣例を打ち破る国政維新を作り直してほしい」(Xへの投稿。10月5日)とし、現在の執行部に対して厳しい指摘を行っている。

 さらに、橋下氏は「政策活動費の領収書を維新メンバーに公開し、全部チェックを受けるべきだ。執行部はこれまでのいい加減な金の使い方や飲み食いについて猛省し、批判を浴びてしかるべきだ」(Xへの投稿。10月5日)と、経費の使い方に関しても透明性を求め、徹底した監査を訴えている。

「国政維新の飲み食い政治文化は、執行部によって形作られている。組織のトップや幹部が、その組織の文化や体質を決定するのだ」(Xへの投稿。8月30日)という発言からも、彼は組織の在り方自体に問題があると指摘している。

執行部に率直な意見を言えないこんな世の中じゃ

 橋下氏は特に若手執行部に期待を寄せていたが、「藤田さん、音喜多さん、柳瀬さんには期待していたが、おそらく馬場さん、遠藤さん、井上さん、浦野さんには厳しく進言できないのだろう。それか、飲み食い文化にどっぷり浸かってしまい、それが当たり前になっているのかもしれない。厳しいことを言い合える関係がガバナンスを強化する」(Xへの投稿。8月27日)と述べ、若手リーダーたちが自らの信念を貫き、執行部に対して率直な意見を述べられない状況を憂いている。

 多くの有権者にとって、橋下氏が使い分ける「国政維新」と「大阪維新」に明確な違いは感じられないだろう。しかし、橋下氏はこれらを区別しており、国会議員を中心とした維新を「国政維新」、吉村洋文大阪府知事らが属する大阪周辺の維新を「大阪維新」としている。

引退後に経営に口出ししてしまいたくなる

 今、彼が特に批判の矛先を向けているのは「国政維新」の経費の使い方、特に「いい加減な飲み食い」に対してだ。

 もちろん、いまだに料亭での飲み食い文化に最も浸かっているのは自民党であるのは疑いようもない事実なのだが、橋下氏にとってそれは単なる程度の問題ではないようだ。彼が創業した「大阪維新」には強い愛着があり、守りたい気持ちがある一方で、距離感を感じざるを得ない「国政維新」には厳しい目を向け続けているのだ。

 例えば、経営の神様と称された稲盛和夫氏は、創業者が引退後も経営に干渉することを強く戒めていた。稲盛は、「辞めるなら経営からすべて手を引け! 経営に心配があるなら、おまえがゴチャゴチャ指導するより、ワシが指導するから、ワシのところに来るように言え!」と、幾度となく経営者を叱責していたと言われている。この厳格な姿勢から、引退後に経営に口を出すことの危険性をよく理解していたようだ。

 一方で、橋下徹氏は維新の創業者としての立場を離れ、現在では日本を代表するオピニオンリーダーとなっている。しかし、橋下氏が気に入らない国政維新に対してだけではなく、自民党や他の政党にも同様に批判を向けるべきではないだろうか。その公平性が問われる場面であるにもかかわらず、橋下氏がとりわけ国政維新に厳しい姿勢を示すのは、やはり創業者としての愛着が影響しているのかもしれない。

維新、二つの危険要素

 筆者としては、国政維新のコンプライアンス問題もさることながら、選挙を控えた今、大阪維新の現状にも大いに懸念を抱いている。明らかな公約違反と、政策的に危険な要素が少なくとも二つ存在しているからだ。

 まず1つ目は、「増税は行わず、財源は改革で捻出する」と公約していたにもかかわらず、実際には増税を行おうとしていることだ。大阪維新は過去の選挙で「改革さえ行えば増税の必要はない」と主張し続けてきたが、ここにきて宿泊税の増税を計画している。ホテルを使わない人にとっては影響を感じにくいかもしれないが、実はこの宿泊税は主に日本国内のビジネス利用者や現役世代が負担することになる。観光客だけでなく、国内の労働者にも影響を与えるこの増税は、実質的に多くの国民に負担を強いるものである。

大阪維新は、なぜこのような増税を推し進めるのだろうか

 この宿泊税が「成功事例」として広く喧伝され、全国的に展開されれば、結果的にホテル業界を標的にした税制改革となりかねない。いったい大阪維新は、なぜこのような増税を推し進めるのだろうか。維新内部のコンプライアンス問題よりも、国民に対して守るべき公約を破っていることの方が、より大きな問題であると考える。

 2つ目の問題は、教育費無償化政策である。高等教育における学費の無償化がどのような影響をもたらすのか、2003年の論文『Myth or magic?』を基にその問題点を指摘していきたい。繰り返しになるが、「無償化」とは学費が無料になるということだが、実態は税金で賄われているという点を忘れてはならない。

 まず、教育の質が低下するリスクがある。府が学費を負担するために、他の予算、例えば医療や小中学校の予算が削減される可能性がある。大学への十分な資金が確保されないと、優秀な教授を雇うことが困難になり、研究や教育の質が低下する懸念が生じる。また、設備の更新や研究費が不足することで、学生が受ける教育の質が全体的に低下する危険もある。

教育無償化、不都合なデータ

 次に、公平性の問題だ。教育費無償化は一見、すべての学生に公平に見えるが、実際には裕福な家庭の学生も無償化の恩恵を受けることになる。裕福な家庭の学生はすでに高等教育を受けるための資金を持っているため、本来支援を必要としていない。しかし、無償化されると、限られた財源が裕福な学生にも配分され、結果として貧困層への支援が希薄になる。このような不平等な分配が、限られた財源をさらに圧迫する原因になる。

 さらに、学生の学ぶ意欲が減退するという大きな問題がある。論文では、学生が自ら学費を負担することで、学業に対する責任感が高まり、勉強に対する意欲やモチベーションが向上することが指摘されている。学生が自分の将来に投資しているという意識があることで、学ぶ姿勢が真剣になり、学業成績にも良い影響を与えるという。しかし、全額無償化された場合、「タダだから」と勉強に対して真剣に取り組まない学生が増える可能性が高まり、結果として教育の質や学生の成果が低下するリスクがある。

財源を捻出後、バラマキ

 この論文には触れられていないが、無償化政策は少子化をさらに加速させるリスクもある。日本の少子化問題は「晩婚化と未婚率の上昇」によって説明されるが、女性の高学歴化がこの傾向を助長している。学歴が高い女性ほど、結婚や出産のタイミングが遅れることが多く、これは先進国と途上国の出生率の違いにも反映されている。高等教育無償化により、女性の進学率がさらに上昇すれば、晩婚化と出生率低下を加速させる可能性がある。

 筆者は、女性が進学を希望するならば高等教育への進学を支援するべきだと考える。しかし、「無料だから」といって進学を決める学生に対して、国民の税金を使う必要があるのだろうか。学費は基本的に自己負担とし、貧困家庭の学生に対してのみ救済措置を設けるのが妥当ではないだろうか。

 これに関連して、橋下徹氏が行ってきた行財政改革は一定の評価を受けているが、財源を捻出する改革を行った後、余計なバラマキに資金を使ってしまうことが問題である。橋下氏の改革が有効であったとしても、今の大阪維新がその理念を失っているのであれば、もはやその存在意義は疑わしい。都構想が頓挫した今、大阪維新の議員たちは何を目指して政治活動を続けているのだろうか。自分の地位の確保以外に何があるのかを明らかにできないのであれば、さっさと解散すべきだろう。

 それでも、過去の改革を支持していたために「他に入れるところがない」として、大阪維新を支持し続けている有権者も少なくないだろう。そうした人々に対して、筆者は「抗議投票」という選択肢を提案したい。選挙を棄権したり、白票を投じることも民主主義における有権者の権利ではあるが、抗議投票はさらに効果的な手段である。抗議投票の方法は簡単だ。普段支持している候補者のライバル、つまり自分の考えとは全く異なる政策を掲げている候補に票を投じることで、実質的に2票差を縮めることができる。

 政治家は、支持してくれる人や反対する人よりも、投票行動が変動する層に敏感である。アメリカでも、トランプやハリスがスイング州ばかりに力を入れて選挙活動を行っているのはその証拠だ。大阪維新が増税や無意味なバラマキ政策を推進する現状に対して、不満を感じているならば、今こそ抗議投票を行うタイミングではないだろうか。