「交際経験ゼロ」40歳の彼が結婚に辿り着いた軌跡
恋愛経験ゼロからアプリ婚活し、見事、理想のお相手と結婚した男性。彼の軌跡から見えてくることとはーー(イラスト:堀江篤史)
土曜日の朝9時。新宿のオフィス街にあるスターバックスコーヒーで杉本千恵さん(仮名、42歳)と同い年の隆志さんの夫婦と待ち合わせた。
千恵さんは小柄で色白、黒い半袖のワンピースを上手に着こなしている。隆志さんはピンクの長袖シャツ姿。俳優の生瀬勝久を柔らかくしたような風貌だ。都会的な美男美女カップルという印象を受ける。
本連載の出演申し込みフォームから連絡をくれたのは千恵さんだった。
恋愛経験ゼロからのスピード婚
<夫は恋愛経験皆無でアプリでの婚活を3年程度。交際までいく出会いもなく、なかなかうまくいかず。私のほうは恋愛はいろいろしてきましたが結婚には結びつかず。お互い37の歳にアプリで出会って晩婚かつスピード婚ですが楽しくやっています。私たちの経験が同じような境遇の方に何か参考になれば……と思い手を挙げました>
とのこと。マッチングアプリで知り合って2回目のデートで結婚前提の交際を始めたという。
共通のコミュニティもなく紹介者もいない2人がなぜそれほど早い決断ができたのか。まずは千恵さんの話から聞いた。
「東京出身です。高校を出てから不動産管理会社で働き、憧れていたアパレル企業に転職しました。でも、薄給と激務に耐えられず……。それからは保険業界でずっと働いています。年収300万円程度の契約社員です」
千恵さんは中学生のときに仲の良かった両親を病気と事故で相次いで亡くした経験がある。資産があったので何不自由なく成人になったと振り返るが、兄とは気が合わずにお互いに家庭を持った今も交流はない。一人で生きる力が強い女性、と言えそうだ。
「恋愛相手の年齢や性格には一貫性がありません。共通点はすべて友達になってから自然と恋愛関係になることです」
居酒屋などで一緒に飲んでいて仲良くなることもあったという千恵さん。誰かから恋人候補を紹介されることは好まなかった。紹介者に気を遣うと自分の思い通りにできなくなってしまうからだ。
「誰とも結婚に至らなかったのは私の性格に難があったからだと思います。感情の起伏が激しくて、相手を振り回してしまっていました」
相手に求めた2つの条件
高校生時代からほぼ一人で生きてきた千恵さん。一人でやれることはやり尽くしたという思いに至ったのは30代半ばを過ぎてからだった。
「自分だけのために生きるのは空しいと思ったんです。でも、友達から恋人になるという今までのパターンだと(わがままになりすぎて)うまくいかないこともわかっていました」
あえて赤の他人と出会うことに決めた千恵さん。まずは1カ月間だけマッチングアプリを試し、結果が出ないようならば結婚相談所に入会すると決めた。37歳のときだった。
「ボヤボヤしながら歳を重ねるつもりはなかったので、アプリも最初から有料コースにしました。女性は無料利用が多いのですが、真剣度を相手に伝えたいと思ったからです」
相手に求めたのは2点。1点目は、年収500万円以上の正社員であること。千恵さんは「お父さんが偉い」という家庭で育ったため、結婚したら自分が外で働き続けるか否かを配偶者の判断に委ねるつもりだったからだ。
2点目は「ユーモアに富んだコミュニケーションができること」だ。これは1点目より難易度が高いと筆者は思う。会話の楽しさや立ち居振る舞いのスマートさをお見合い相手などに求める独身女性は多いが、異性との接し方は主に経験によって磨かれるものだ。それを真面目な独身男性に求めるのはやや矛盾した要望だと言える。
そのような独身男性は希少かつモテやすいので、より若い女性を結婚相手に選ぶことも少なくない。30代半ば以降の女性の場合は、婚活市場では「10歳若いときの自分」と競合していると考えるとわかりやすいだろう。そこで賢い千恵さんが選んだのは「恋愛経験皆無」の隆志さんだった。
「ただスーンと生きていた」彼に芽生えた気持ち
「新宿で会うことになって驚きました。タイプの違う飲食店を3つも候補として挙げて選ばせてくれたからです。すごくスマートで、気遣いもできる人だなと思いました。しかも、有名私立大学卒の正社員。女性とお付き合いをしたことがないのが不思議です」
万馬券を引き当てたかのように喜ぶ千恵さん。一方の隆志さんはやや照れくさそうにしながら穏やかに笑っている。千恵さんに言わせれば、自己肯定感が著しく低い男性。母親に過干渉されながら育ったことが原因のようだ。
「母はいい人ではあるのですが、『あれやれ、これやれ』と私や姉をコントロールしたがる人なんです」
付き合い始めてから千恵さんが驚いたのは、ある映画作品の話になったときに隆志さんが「それは親から見させられたよ」と言ったこと。娯楽の王道である映画を「見させられる」というのはどういう環境なのか。
「世間的に『いい』とされるものを子どもに強制する親でした。今では私も映画好きですが、若い頃は映画が大嫌いでしたね」
ちなみにその作品は『ショーシャンクの空に』。無実の罪で収監された主人公の脱獄を描いた秀作ではあるが、ひどい暴力シーンもあり、子どもに勧めるような内容ではないと思う。隆志さんの母親はアカデミー賞などの評判だけで判断したのだろう。しかも、それで息子は映画嫌いになってしまった。滑稽ともいえる悲劇だ。
「大学生の頃は女友達はいましたが、恋愛までする意欲はなかったです。就職して仕事を淡々とやりつつ、『自分なんてこの世にいてもいなくても何も変わらない。誰からも必要とされていない』と思っていました。悲観しているわけでもなく、ただスーンと生きていたんです」
しかし、親から離れて一人暮らしを続けていると、隆志さんの中にも人間らしい気持ちが少しずつ芽生えた。人生を楽しくするのもつまらなくするのも自分次第なのだ、と。
「私には自分で仕事や生活を楽しくするエネルギーはありません。だから環境を変えてみようと思って転職をして、社会人の交流パーティーにも参加してみました」
転職先で隆志さんは管理系の業務に向いている自分を見出す。そこで専門性を磨き、現在は4つ目の転職先で精力的に働いている。
「交流パーティーのほうはあまり楽しめませんでした。私は知らない人といろいろ話すよりも、一人で部屋の中でじっとしているほうが好きです。小説を読んだり映画を見たりして過ごしています」
苦い経験を経て学んだ、相手を選ぶ際の「柱」
国内での一人旅行も楽しんでいたと振り返る隆志さん。しかし、あるときに寂しさを覚え始める。
「何のために仕事を頑張っているのかなと考え始めました。自分のためだけに生きるのはしんどいな、パートナーという目的が欲しいなと気づいたんです」
この発見は千恵さんのそれと似ている。しかし、恋愛経験のない隆志さんがマッチングアプリという玉石混交の場で良きパートナーに出会うには3年という歳月が必要だった。出会いの数が少なかったわけではない。自分にはどんな相手が必要なのかという視点が欠けていたからだ。
「いくつかのアプリを試し、20人ぐらいとは会ったと思います。『いいね』をしたりされたりしていましたが、実際には何が良くて悪いのかはわかっていませんでした」
36歳のとき、「いいね」をしてくれた3歳年下の女性と交際が始まりそうになった。可愛らしい外見の人だったが、「女王様気質」だったと隆志さんは指摘する。
「男性から楽しませてもらって当然、という人でした。私はせっかく選んでもらったのだからと頑張っていたのですが、彼女からはまったく優しくしてもらえず疲れるばかり。このままではコントロールされてしまう気がして、3カ月で見切りをつけました」
隆志さんの話を聞いていた千恵さんがたまらずに口をはさんだ。その女性は20代の終わりまですごくモテてきたはず、と千恵さんは推測する。30歳を過ぎて自分をチヤホヤしていた男性たちが結婚してしまい、急に焦ってアプリを始め、スペック的に「悪くない」隆志さんを落としどころだと考えた。しかし、もともと上から目線なので隆志さんから一方的にサービスされることが当然だと思い込み、それに呆れた隆志さんからもフラれてしまったのだ、と。やや意地悪い分析だが、当たっているかもしれない。
この苦い経験で隆志さんが学んだことがある。相手を楽しませることも大事だけど、自分も幸せにならないと意味がない、と。そして、相手を選ぶ際の「柱」ができた。
「自分と相手は別々の人間なのだとわかっていること、です。パートナーへの思いやりは必要ですが、あくまで違う人間です。コントロールされたくはありません」
千恵さんは自身もわがままなところがあると自己分析するが、それを客観視して抑える自制心がある。面と向かった相手への気遣いもできる。
「隆志さんとの2回目のデートで代々木公園を散歩することを提案したのは私です。レストランで向かい合って話すとお互いに緊張してしまい、芯を食った話ができないと思いました」
散歩しながら忌憚なく話し合い、隆志さんは「この人で大丈夫だ」と判断。「結婚前提のお付き合いをしてくれませんか」という硬派な告白に至った。恋愛経験が豊富ではないからこそ駆け引きをしなかったのかもしれない。モテていた過去とは決別して本気の婚活に臨んでいた千恵さんの答えはもちろんYES。現在の結婚生活に至る。
“同行二人”で模索し続ける
最近、55平米の2人用一戸建てを買って一緒にローンを返済中だ。財布は共通のものを含めて3つ。小遣いはそれぞれ月3万円だ。結婚したての頃は子どもが欲しかったが、これから不妊治療をするつもりはない。2人きりのささやかな暮らしをともに慈しんでいる。
年に2、3回は軽い夫婦喧嘩があると明かす千恵さん。原因はすべて自分だ。一度も怒らず常にテンションが変わらない隆志さんのなにげない言動に「なんでそんなこと言うの!?」と突っかかってしまうことがある。体調が悪かったりすると神経が過敏になりやすいと自覚している。
「でも、これ以上の暴言はいけないというラインは守っているつもりです。以前と比べると、自分の機嫌をとれるようになったと思います」
スマートに見える千恵さんと隆志さん。実際にはそれぞれに大きく欠けた部分がある。親から受けた傷だとしても、大人になったら受け止めるしかない。
千恵さんと隆志さんは人生経験を重ねる中で欠点を少しずつ客観視し、自分も周囲も穏やかに過ごせる道を探してきた。これからも模索し続けるのだろう。
かつては一人きりの修業の旅だったが、今は心強い相棒がいる。インタビュー取材後、「このあと隆志さんの両親と4人でランチをするけれど、親密な会話は期待できない」と苦笑いをしていた2人を思い出し、“同行二人”という言葉が頭に浮かんだ。
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(大宮 冬洋 : ライター)