富士モータースポーツフォレスト・ウェルカムセンター

富士スピードウェイに併設される施設として、2023年5月にオープンした富士モータースポーツフォレスト・ウェルカムセンター。ここはレーシングカーや水素自動車などの展示・体験ギャラリー、ミニ四駆のレーシングコースなどが設置されているとともに、この地域全体のインフォメーションセンターとしての機能を備えている。

奥行きだけでも約80mある大きな施設なのだが、先日ここに全35台の小型スピーカーからなるワイヤレス・スピーカーシステムが導入された。そのシステムの企画から設置工事までを行なったのは、J-WAVEのラジオDJなどとしてもお馴染みのDJ TAROさんだ。

DJ TAROさん

なぜ、DJ TAROさんが、そんな企画を? そして、なぜDJ TAROさん本人が実際の設置工事まで行なっているのか。どうして富士スピードウェイにそんなシステムが?

……と、不思議に思うことがいっぱい。先日、DJ TAROさんが運転するクルマに同乗させてもらう形で、富士スピードウェイでの工事の現場に行き、その画期的なワイヤレス・スピーカーシステムの動作を見てきたので、レポートしてみよう。

ウェルカムセンター内のギャラリー

ミニ四駆のレーシングコース

DJ TAROさんがなぜスピーカーの設置を?

「今回の設置工事を見に来ないか」と、誘いを受けたのは1カ月前のこと。

完全フルデジタルのUSBスピーカー「OVO」や、デジタルDJシステムの「GODJ」シリーズなどを開発してきたミューシグナルの代表取締役である宮崎晃一郎さんからFacebookのメッセンジャーで連絡をもらったのだ。まったく状況は把握できていなかったものの、なんとなく面白そうな話だったのと、たまたまその日が終日空いていたので、二つ返事で参加させてもらった。

ミューシグナル 代表取締役 宮崎晃一郎さん

6月後半の某日、朝10時に都内の待ち合わせ場所にいくと、DJ TAROさんがクルマでやってきており、ここに宮崎さんと私、そしてもう一人の工事担当者である芳野誠さんが加わり、富士スピードウェイに向けて出発。

ちなみにDJ TAROさんとは、DTMステーションの記事の取材で何度かお会いしており、今年1月にもミュートラックスが「GODJ Plus」の後継機としてクラウドファンディングを実施した「FJ1」のお披露目イベントでもお会いしていた。

それにしても、なぜDJ TAROさんが富士スピードウェイのスピーカーシステムの構築なんてことを行なっているのだろうか。

「レストランやホテルなど、さまざまな施設でBGMの選曲をするお仕事をさせていただいていたのですが、実際に施設に行ってみると、音響的に問題があるケースが少なくないんです。スピーカーの周辺だけ大きな音で、他だと音が聴こえないとかバランスが悪い。そこで、選曲だけじゃなく、オーディオシステムもアドバイスするようになり、さらには実際にシステムの施工なんかもするようになっていたんです」

「もともとはスピーカーを選んで、ここに配置したら……なんて、アドバイスをしていた程度だったのですが、そのうち実際に工事をするような話まで発展していきまして。さすがにこれは自分の仕事じゃないな、と実績のある芳野さんに相談して一緒にやるようになりました。これまで40~50店舗以上は工事してきてますね」とDJ TAROさん。

DJ TAROさんご自身は社長として、有限会社バスプというタレント事務所の運営も行なっており、オーディオシステムの設計や施工は、その会社のひとつの事業という位置づけだが、社員からは「それは社長の趣味ですから勝手にやってください」と言われ、誰も手伝ってくれないから本人と芳野さんのチームで動かしているのだとか……。

「実際に現場を見に行くと、音響面で問題があるケースは非常に多いです。例えば、天上高のある空間に口径の小さいシーリングスピーカーが2つあって、これではまともな音が出ないのに、1人3~5万円もする高級レストランだったり。さすがにこれはマズイでしょうと率直に申し上げて改善してほしいと提案したら、逆にやってほしいと言われちゃって」

「ただ配線の工事までしていくと、非常に大がかりになってしまうため、SONOSを使ってWi-Fiのワイヤレス接続というケースが多かったですね。ただ、規模が大きくなると扱いづらい面もありました。WiSAという規格もあり、それに対応した製品なども調べていたのですが、実際に業務で使えるようなものがなかなかなくて……。そんななか、たまたま旧知の宮崎さんに相談したら、『ちょうどそれに合いそうなものをやってるよ!』って。灯台下暗しでした。それがつい数カ月前のことでした」(DJ TAROさん)

その宮崎さんがやっていると言っていたのは、以前記事でも紹介したことがある、同社が開発した「ミュートラックス」というシステム。これはWi-Fiを使って、非圧縮のハイレゾサウンドをマルチチャンネルで伝送できるというもので、親機(MT-CS0)から複数の子機(MT-SA0)に伝送でき、その複数の子機は完全に同期して子機間での音のズレが生じないというもの。

親機

子機

「ちょうど、とある北海道のホテルで設置をしようというタイミングで、宮崎さんに相談したのですが、残念ながらタイミングが合わずに見送りになったのですが、今回、富士スピードウェイのモータスポーツフォレストでは、これが絶対に必要になるということで、参加していただきました」

「トヨタ自動車の豊田章男会長から『富士スピードウェイ内の施設を1度見て欲しい』とご依頼を受け拝見したのが、富士モータースポーツフォレストのウェルカムセンターでした。とても素敵な施設だったのですが、実はここには常設のスピーカーがないのです。豊田会長から『ここでうまく音が出せるようにできないだろうか』と相談を受けまして。もともと豊田会長とは、DJMORIZOとしてのラジオ番組を弊社スタジオで収録していたりとご縁もあってお引き受けしました。ものすごい大きい施設で奥行きが80mくらいある。有線で接続するのは事実上不可能だったので、これは宮崎さんにお願いするしかない、とその場で連絡したところ、大丈夫だろう、との返事があり、お請けすることになりました」(DJ TAROさん)

スピーカーの無線配置を可能にした“ミュートラックス”

そんなやり取りがあったのが、今年4月のこと。「7月20日にレースがあるので、そこまでに完成させることは可能か?」という打診を受け、そこから何度か下見をしつつ、DJ TAROさんが作ったウェルカムセンターのスピーカーレイアウトが下図。合計35台のスピーカーを配置し、マルチチャンネルで鳴らせる構成とした。

もともと照明のために電源供給機能があるダクトレールがあったので、これを活用してダクトレールに設置できるヤマハの小型スピーカー「VXS1MLB」を16台、窓際や壁際にはフロアスピーカーとして同じくヤマハの「VSL1B-8」を13台、そして展示されているレーシングカーや植栽の下にもVXS1MLBを6台設置して、トータル35台。いずれもパッシブのスピーカーだ。

ヤマハの小型スピーカー「VXS1MLB」

ヤマハ「VSL1B-8」

通常であれば、これらのスピーカーを有線ケーブルで配線していくわけだが、床や壁に穴をあけるのはNGなので、それは不可能。しかも全面ガラス張りの窓側だと、配線のしようもない。そこでワイヤレスで接続できる“ミュートラックス”の登場となるわけだ。

改めてミュートラックスについて説明すると、これは5GHz帯のWi-Fiを使ってオーディオを伝送するシステムで、親機と1台以上の子機から構成されるもの。親機は3.5mmのアナログステレオ入力端子を備えるほか、microSDスロットに入れた音源データの再生が可能。

またmicroUSB端子にPCを接続すると、PCからはオーディオインターフェイスとして見えるようになっており、PC側からオーディオを再生して送信することも可能。ちなみに、この親機本体がWi-Fi機能を持っているわけではなく、USB Type-A端子にWi-Fiドングルを接続すれば発信できる形になっている。つまり技適のいらない機材なわけだ。

一方、子機にもUSB Type-A端子があって、Wi-Fiドングルを接続できるようになっているほか、1ch、2chと2つのスピーカー接続端子があるため、ここにパッシブスピーカーが接続できるようになっている。

そう、子機にはアナログアンプが内蔵されており、ステレオモードであればそれぞれ15W、モノラルモードで1つのスピーカーのみを接続する場合は30Wの出力が可能になっているのだ。さらにこのスピーカー接続端子を使わなくてもUSB Type-A端子からUSBスピーカーに接続して鳴らすこともできる。

そして親機に4ビットディップスイッチが1つ搭載されているとともに、子機には2つ搭載されている。

親機のディップスイッチ

子機のスイッチ

親機の4ビットディップスイッチおよび子機の1つ目のディップスイッチは、Wi-FiのSSIDを切り替えるためのもの。通常は親機も子機も同じ設定にしておけばいいが、複数の親機がある場合、SSIDを違うものに設定することで、それぞれで別系統の音を流すこともできる。

一方、親機のmicroSDスロットでは単にステレオサウンドを再生するだけでなく、4ch、6ch、8ch、さらには最大で32chの音源まで再生可能となっている。それを受ける側の子機がどのチャンネルを再生するか、ディップスイッチで切り替えられるようになっている。

そしてミュートラックス最大の特徴なのが、子機を複数鳴らしたときに、それぞれの子機間で同期がとられ、子機間では最大1.2msec以内の音ズレに抑えることができる事。音速が340mであることを考えると、1.2msecなら40cmの距離に相当するので、まったく問題にならないレベル。そんなことを実現できるのがミュートラックスなのだ。

ただ、富士モータースポーツフォレストのウェルカムセンターのように、奥行きが80mもある広い施設での運用となると、一つ大きな問題が出てくる。

それは、Wi-Fiの電波がちゃんと届くのか、という点。確かにコンディションがよければWi-Fiで100m程度飛ぶことはあるが、どうしても電波強度が弱くなるし、安定して音を鳴らすには無理がある。

そうした中、今回、宮崎さんは特許申請を行なったという新兵器を持参していた。それが7月22日に発表されたミュートラックスの新機種「MT-CR0」というもの。中継子機という位置づけの機種で、形的には従来の子機MT-CS0とまったく同じで、機能的にもMT-CS0の機能はすべて包含している。その上で、さらにWi-Fiのオーディオ伝送における中継器としての機能も備えているのだ。

「ミュートラックスは親機と子機の通信可能距離は約70mとなっており、それより遠い場所にある子機にデータを送る場合は、別途市販の無線LAN中継器を使うことを推奨してきました。しかし、市販の無線LAN中継器を使用する場合、製品ごとに決められた方法でSSIDとパスワードを設定しなければなりません。またその中継器以降の通信可能距離は機種に依存してしまうという問題がありました。加えて、一般的な中継器を使った場合、子機の台数が増えるとともに親機周辺の通信負荷が増大するため、接続できる子機の台数には上限もあったのです」

「今回開発した中継子機MT-CR0は、親機から受け取ったオーディオデータを複製し、後段の子機たちにバケツリレーのように渡す形になっています。そのため、親機から受け取るためのWi-Fiドングルと、子機へ中継して送るためのWi-Fiドングルを2つ挿す形になっています」

「結果、後段の子機の台数が増えても親機周辺の通信負荷が増えることなく、事実上無制限に子機を増やすことが可能になりました。もちろんオーディオデータはデジタルデータとして複製するので、子機の台数や段数が増えても音質のロスは一切ないし、オーディオ同期におけるズレも誤差範囲内ですから、1.2msec以内の音のズレという状況に変わりはありません」と宮崎さんは語る。

ちなみに、中継子機MT-CR0も子機のMT-CS0と同様に1つ目のディップスイッチで受信するSSIDを指定するが、2つ目のディップスイッチでは、後段へと送るSSIDを指定する形になっている。これにより設置現場に合わせたネットワーク構成を正確に指定することが可能になっている。

いざ、ウェルカムセンターにスピーカー・ミュートラックスを設置

さて、話を現場に戻そう。富士モータースポーツフォレスト・ウェルカムセンターに到着したのがちょうどお昼頃だったのだが、DJ TAROさん、芳野さんの二人がクルマに積んできたスピーカーを荷台に乗せて搬入。

スピーカーを搬入する様子

宮崎さんも仙台から持ってきたミュートラックスの親機、子機、そして中継子機を搬入して、さっそく作業開始。

この日は実験用として親機をウェルカムセンターのエントランス付近に宮崎さんが設置してmicroSDからの音楽再生をスタート。

さらに、それぞれのスピーカーと一緒に置く、ミュートラックスの子機、中継子機のディップスイッチ設定を行ない、DJ TAROさん、芳野さんに手渡していく。受け取ったDJ TAROさん、芳野さんはそれをヤマハのスピーカーと組み合わせて設置していく。

最初は、中ほどにあるダクトレールに設置。ダクトレールからは100Vの供給が受けられるので、ここにミュートラックス子機のACアダプタを接続。そしてミュートラックスのスピーカー端子に2つのヤマハのスピーカーを設置すると、いきなり音が鳴りだした。

「接続は電源が入れば自動的に行なわれるようになっています。子機は受信するパケットが受け取れないときは1分間待って再起動するようになっています。一方親機のほうは接続先が1台もない場合は5分待って再起動するようになっています。これによって、停電など何等かのトラブルが起きて接続が切れた場合でも、人が設定作業などすることなく、自動的に復旧するようになっているのです」と宮崎さん。

ちなみに、このミュートラックスの中にはNano Pi NEOが入っており、これで親機、子機、中継子機とも動作している。そのファームウェアのプログラムは宮崎さん一人ですべて書いているのだとか。

今回のシステムでは中継子機を3台置いて、接続を行なっている。宮崎さん自身もこれだけ広い場所で中継器を動かすのは初めてとのことで、もしうまく動かなかったら、親機からすべての子機に送る方法に切り替えるなどの準備もしていたようだが、実際設置してみたところあっさりとつながっていく。

「電源を入れた途端に音が出るというのは、なかなか不思議ですよね」と芳野さんも語っていたが、工事が進むごとに会場全体に音が広がっていく。

「今回、フロアに設置するスピーカーも必要だったのですが『できるだけ目立たないようにしてほしい』とのオーダーでしたので、普通のパッシブスピーカーをポンと置くわけにはいきませんでした。そこで、ヤマハのVS1B-8という縦長のスピーカーを選んだわけですが、かといって壁にかけるわけにもいきません」

「そこで建具を作り、ここにスピーカーもミュートラックスも収めることにしました。これを柱の横とかに置けば、まったく目立たないんですよ。電源さえ取れれば動くので、コンセントのある位置に設置するようにしました。ただ、今回はその建具がまだ完成してなかったので、まず今回はきちんとミュートラックスのネットワークで動作するかのテストですね」とDJ TAROさん。

そうこうしているうちに、計35台のスピーカーの設置が完了。VS1B-8は仮置きという形ではあったが、すべて音が鳴るようになると、なかなか壮観。

ここまでの作業で、時間は15時すぎ。そう、現地到着から3時間ちょっとで35台のスピーカー設置工事が完了し、実際に音が鳴るところまで来たのだ。もし有線で配線をしていたら何日もかかる大工事なので、画期的な工事手法といって間違いなさそうだ。その35台が接続されて音が鳴った状態をビデオに撮ってみたのが、下の動画だ。

※動画内のスピーカーは、建具完成前の仮置きの状態

会場全体が音に包まれたような雰囲気になっているのが分かるだろう。普段、このウェルカムセンターで働いている方々に話を聞いてみると、「同じ場所にいるのに、まったく雰囲気が変わって驚きました。まったく違う職場に来たような印象です。音の威力ってすごいんですね」と口々に語っていた。

さらに宮崎さんが用意してきたがのレーシングカーが走行するサウンド。

DJ TAROさんが起こしたスピーカーの配置図を元に場所と距離を計算した上で、レーシングガーが会場をグルグルと回るようなチャンネル設定で編集したものを流してみると、まさにこの会場がレーシング場にでもなったかのようにリアルにクルマが動いていくのが感じられた。

そんな音の確認をしたうえで、フロアスピーカーはいったん片付けて、この日の工事はすべて終了。

「ぜひ、はやく豊田会長にこのサウンドを味わっていただきたいですね」と語っていたDJ TAROさんだが、つい先日、建具の設置の後に再度工事に向かい、無事完成したようだ。

今後はDJ TAROさんの手は離れて、ウェルカムセンターの音響設備として活用していくことになるわけだが、このマルチチャンネルで鳴らせるスピーカーシステムをどのようフル活用していくかという点では、またDJ TAROさんが活躍する場面も多くなるのかもしれない。

このウェルカムセンターは誰でも無料で入場できる施設なので、このシステムの見学も兼ねて遊びに行ってみると面白いのではないだろうか?