100mハードル・田中佑美は「40人中39位」の挑戦者 一度はあきらめかけたパリ五輪、もう後悔はしたくない
7月4日、パリ五輪に出場する陸上競技の日本代表選手が追加発表された。
そこには、女子100mハードルの田中佑美の名前がしっかりと記されていた。
『qualified for the Olympics(フランス国旗のアイコン)
40人中の39位。ギリ!!!!』
同日、田中はインスタグラムの投稿にこんな言葉を記していた。
そうなのだ。田中は日本選手権で2位に入ったが、パリ五輪に出場するための参加標準記録(12秒77)を突破できず、世界陸連(WA)のワールドランキングでの出場権獲得に望みを託していた。
田中佑美はパリで満面の笑顔を見せてくれるだろうか photo by AFLO
女子100mハードルのターゲットナンバー(出場枠)は「40」。日本選手権前のワールドランキングはターゲットナンバー内だったが、同時期に世界各国で選考会が開催されており、ランキングがどう変動するかは最後までわからなかった。
薄氷を履む思いどころか、一度はパリ行きをあきらめかけたこともあったのではないだろうか。
「とても悔しいです。私はまだ25歳でこれからも競技を続けますし、(4年後には)オリンピックも来ます。オリンピックが陸上のすべてではない。もっともっと強くなれるようにがんばります」
「パリ(五輪)があってもなくても、私の競技人生は続くので、より速くなるためにトレーニングを積みたいと思います」
「悔しい気持ちもつらい経験も乗り越えてこそ、いい物語になる。目を背けるのではなく、それにしがみつくのでもなく、自分の糧(かて)になっていけばいい」
決勝のレース後、田中が絞り出した言葉の数々は、なかば強引に、次の目標に目を向けようとしているように感じた。
パリ五輪は、田中にとって明確な目標だった。
社会人1年目だった3年前の東京五輪も、狙える位置にはいた。だが、明らかにモチベーションは、パリ五輪に向けたそれとは違っていた。
【日本選手権の直前にまさかの事態】「想像力に乏しいのか、自分の関わる範囲、自分の手に届く範囲しかわからないし、興味を持てない。東京五輪はもちろんひとつの目標ではありましたし、努力はしていたんですけど、自分が行けるっていう具体的なビジョンは浮かんでいなかった。そこには真摯な気持ちがなかったと思います」
以前、インタビューでこのように当時を振り返っていた。東京五輪のスタートラインに立つ自身の姿を想像できなかったからこそ、「悔しいとはあまり思えなかったかもしれない」とも話していた。
しかしパリ五輪は、「自分の手に届く範囲」にあった。だからこそ、確実に参加資格を得ようと、パリまでの道筋を立てて準備を進めてきた。
出場資格を得るためには、参加標準記録を突破するのが最も確実だ。だが、ワールドランキングでも出場枠内に入るためにポイントを稼ごうと、海外のレースにも積極的に出場してきた。
ところが、ランキングで安全圏にいたはずが、いつの間にかボーダーラインのぎりぎりまで下がっていることに気づいた。
「(日本選手権の)数日前に確認したら、想像以上に(ボーダーに)近いところにいて、ほかの選手もまだまだ上がってくる可能性がある。その時には、きついなと思いましたね」
直前に慌てふためくことのないようにと準備をしてきたはずが、五輪選考のかかった日本選手権を前に、まさかの事態に直面した。
ワールドランキングでの出場の雲行きが怪しくなり、日本選手権では予選からパリ五輪の参加標準記録12秒77を意識して走った。予選では「スタートを失敗した」にもかかわらず、いきなり12秒91の大会新記録をマークし、好調ぶりを示した(その記録はすぐさま福部真子に塗り替えられたが)。
最大のチャンスは、準決勝にあった。
第1組では福部が12秒75をマークし、参加標準記録を突破。田中も、この流れに続きたいところだったが......。
第2組に登場した田中は、寺田明日香ら実力者に競り勝ち、1着でフィニッシュした。しかし、フィニッシュタイマーは12秒85で止まった。
【フィニッシュ後、呆然と立ち尽くした】「正直、もうちょっと(タイムが)出てほしかったなって思いました。ふだんの試合だったら『思ったよりも出ました』と言っていたと思うんですけど、今回は自分に軸があるのではなくて、標準(参加標準記録)に軸があるので、それに至っていないっていう点でタイムが足りない」
12秒85は田中の自己ベストだったが、「出さなくちゃいけない」タイムには届かず、自己記録の喜びよりも、反省点ばかりが口をついて出た。
また準決勝は、第1組が追い風0.8mだったのに対し、田中が走った第2組は風にも恵まれなかった(ほぼ無風だったが向かい風0.3mだった)。翌日の決勝が雨予報だっただけに、是が非でもこのラウンドでマークしておきたかっただろう。
「自分がやってきたことをしっかりと見せていくことが大事」
そう心に決めて、決勝に臨んだ。
五輪がかかった一戦を前に、緊張に押しつぶされそうになった時には、空を見上げて「雨が降っているな」とまったく違うことを考えることで、気を逸らそうと努めた。
そして、決勝では思いきって攻めのレースをすることに決めた。
「全体的に、私に足りないのは爆発力。スタートから3台目まででしっかり加速していかないと、7台目より先も見えてこない。なので、『1台目で絶対に怯まない』っていう気持ちでスタートを切りました」
しかし、やはり緊張はあったのだろう。
「落ち着いてまとめていけば、そういうことは起こらなかったんですけど、全体で2、3台は大きくバランスを崩しました」と、会心の走りとはならなかった。
優勝した福部が即内定を決めた一方で、田中は2着に終わり、記録も12秒89と参加標準に届かなかった。パリ行きが怪しくなり、フィニッシュ後、雨が降りしきるなか、呆然と立ち尽くした。
暗雲が晴れたのは、その2日後のことだ。7月2日に世界陸連のワールドランキングが確定し、パリ五輪の出場資格者が公表され、冒頭のとおり田中は39位にランクインした。
【悔しさでいっぱいだった昨夏の世界選手権】そしてさらに2日後、正式に日本代表に追加された。
今夏のパリ五輪は、田中にとっては雪辱の舞台でもある。
シニアの日本代表として初めて出場した昨夏のブダペスト世界選手権では、無力感を味わわされた。
「勝負にもならなかったし、国内のレースやほかのヨーロッパの試合でもちゃんと走れてきたのに、大事なタイミングで自分のやりたいことが何ひとつできなかった。悔しさでいっぱいでした。何しに来たんやっていう感じでしたね」
一度はあきらめかけた世界の舞台は、40人中39番目で挑む。今度こそ、最大限のパフォーマンスを見せるつもりだ。