「正直悔しかった」渡邊雄太、パリ五輪の切符と同時に達成した“もう一つの目標”
バスケットボール男子日本代表の渡邊雄太選手の密着ドキュメンタリー『渡邊雄太 不屈の挑戦|バスケ☆FIVE 特別版』(ABEMA SPORTSチャンネル)。
7月2日(火)、3日連続で配信される同番組の#2が配信された。
©AbemaTV,Inc.
渡邊選手は今シーズン限りで所属していたメンフィス・グリズリーズを退団。6年間のNBA生活に終止符を打ち、来シーズンからの国内リーグ復帰を予定している。
その去就にも注目が集まるなか、5月にハワイで取り組んでいた自主トレーニングに密着。パリ五輪を直前に控え、自身もNBAから国内復帰という岐路に立つ渡邊選手の今を追った。
今回は、渡邊選手のこれまでの日の丸にかける想いに迫る。
◆母が叶えられなかった夢を息子に
4月にNBA引退を決意した記者会見で日本代表の活動について聞かれ、「今までもずっと日本代表に対して熱い想いを持っていた」と日の丸への強い想いを口にした渡邊選手。
その理由は「私をオリンピックに連れて行ってね」という母との約束にあった。
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母・久美さんは実業団でプレーしていた元バスケットボール選手であり、日本代表のキャプテンも務めていた経験がある。
当時、ロサンゼルス五輪出場を目指していた久美さんだが、「オリンピックに出たい強い気持ちがあったが、あまりにもアジアで中国、韓国の壁が高かった。歯が立たなかった」と夢の舞台を経験することなく現役を引退。
久美さんは「自分も日本代表だったけど、オリンピックには行けなかったから、その夢を雄太に叶えてほしい」と今度は息子の渡邊選手に夢を託した。
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一方で渡邊選手は「渡邊雄太という名前よりも、久美さんの息子、英幸さんの息子という見られ方しかしていなかったのは正直悔しかった」とバスケットボールで実績を残してきた偉大な両親の存在について、当時感じていたことを口にした。
高校時代の恩師に「この3年間で両親が『渡邊雄太の親』と呼ばれるように頑張ろう」と言われ、その想いを胸に実力を伸ばした渡邊選手は当時史上最年少の16歳で日本代表に選出。2019年のW杯では母と同じ日の丸のキャプテンを務めるまでに成長した。
◆代表引退をかけて臨んだW杯
しかし、日本代表の中心選手としての活動を続けるも2019年のW杯では5戦全敗、続く東京五輪でも3戦全敗と世界の舞台では思うように結果が出なかった。
そして昨年のW杯直前に渡邊選手は「全敗は許されない、これで勝てなかったら最後」と代表引退を示唆する言葉を口にする。それ以来、いたるところで自分を追い込むかのように代表引退の覚悟を語った。
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迎えたW杯本番。直前の強化試合で足を負傷し満身創痍のなか、パリ五輪出場の条件であるアジア1位を目指して渡邊選手は獅子奮迅の活躍を見せる。
そして、2戦目のフィンランド戦で最大18点差をひっくり返し見事勝利。17年ぶりに世界大会で勝利を掴んだ日本、渡邊選手にとっても長く暗いトンネルからようやく抜け出せた瞬間だった。
そのときのことについて「勝った瞬間泣き出したと思うが、色々な感情が込み上げてきて、日本代表でずっと勝てていなくてやっと勝ててとにかく嬉しかった」振り返る。
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勝てばオリンピック出場が決まるカーボベルデ戦でも渡邊選手は最後に力を振り絞り、見事勝利を収め、パリ五輪出場権を獲得。実はこのとき、渡邊選手はもう一つの目標を達成していたと語る。
「今は両親が『渡邊雄太の親』という見られ方をされている。両親はそれを誇らしく思ってくれていて、家族で挑戦し続けている」とこれまで抱いていた偉大な両親の存在についての葛藤を自らの手で払拭し、逆転させる状況にまで成長を遂げたのだ。
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