火山の噴火で壊滅したポンペイで生存者がどのように生活を再建したのかが判明
イタリアのナポリ近郊にある古代都市・ポンペイは、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大規模な噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれたことで知られています。マイアミ大学のスティーブン・タック教授は、壊滅的な被害を受けたポンペイから逃げ出した人々の記録を発見することに成功しました。
Pompeii: The New Dig - PREVIEW - YouTube
Records of Pompeii’s survivors have been found - and archaeologists are starting to understand how they rebuilt their lives
ポンペイやヘルクラネウムは西暦79年8月24日に発生した、ヴェスヴィオ火山の噴火によって滅んでしまった都市です。時速100kmという速度で襲いかかる火砕流に住民の多くが逃げることすらできず、数万人が火山灰に生き埋めになってしまいました。
それでも、一部の住民は18時間以上も続いた噴火から逃げ延びることに成功しており、各都市で発見された人骨は当時の人口のほんの一部に過ぎないほか、厩舎(きゅうしゃ)から荷車や馬がいなくなっていたり、船がドックから行方不明になっていたり、当時の住民が持つ金や宝石が姿を消していたりと、火山灰の中に残って保存されていると思われていた多くの遺物が失われています。
タック氏は壊滅するポンペイやヘルクラネウムから逃げ延びた生存者を見つけるための方法を考案。その方法とは、「ヌメリウス・ポピディウス」や「アウルス・ウンブリキウス」などのポンペイやヘルクラネウムに特有の名前を取り上げ、噴火後の周辺地域に住んでいた人の記録を調査することでした。また、生存者を受け入れるために近隣のコミュニティのインフラが改善されたなどの情報についての調査も行われました。
壁から墓石まで、何万もの古代ローマ時代の遺物のデータベースを8年間に渡って調査した結果、12の都市で200人以上の生存者の証拠が発見されました。これらの遺物は、大きな被害を受けなかったヴェスヴィオ火山の北側の地域から主に発見されています。
ヴェスヴィオ火山の噴火から逃げ延びた生存者の中には、新しいコミュニティで繁栄を遂げた家族もいたようで、ローマから18マイル(約28km)離れたオスティアに移住したカルティリウス一家は、そこでエジプトの神セラピスをまつる神殿を建立しています。
また、港湾都市のポッツオーリに移住したアウルス・ウンブリキウスの家族は、家業であるガルムの生産などで生計を立てていたことが明らかとなっています。
一方で、噴火の生存者全員が新しいコミュニティに成功を収めていたわけではありません。ポッツオーリに移住したファビア・セクンディナは剣闘士のアクエリアス・ザ・レティアリウスと結婚しましたが、レティアリウスは25歳という若さで亡くなり、セクンディナは経済的な苦境に立たされました。
アヴィアニイ、アティリイ、マスリという貧しい家族は、ポンペイの東約16kmにあるヌチェリアと呼ばれる小さな貧しいコミュニティに定住したことが分かっています。
生存者が新たなコミュニティで生活を再建していく中で、当時のローマ皇帝も復興に向けた大きな役割を果たしました。ローマの皇帝は噴火によって被害を受けた土地を再建し、道路や水道システム、円形劇場、寺院など、避難民のための新しいインフラを建設するなど、該当地域への多額の投資を行っていたことも判明しています。