発達障害は「個性の一つ」なのか? 息子の障害に毎日泣いていた母が今、考えること
「ひとときもじっとしていられない」「こだわりがある」「かんしゃくを起こす」…その様子を心配した保育士から「一度、専門機関を受診した方がよい」と言われ、激怒した親。そして親は、「うちの子に障害があるはずはない。個性的なだけ」と反論した――。子育て本著者・講演家として活動する私は以前、このような話を聞いたことがあります。
反論された保育士はつい、「仮に障害があったとしても、それも個性の一つですから」と、障害という言葉を使いながら「個性の一つ」と付け足しました。障害なのか個性なのか…何だか訳が分かりません。
もし「個性」だったとしたら
発達障害のある子を育てる知人の話です。知人は「うちの子は発達障害があるので、特別な配慮をしてほしい」と、保育園に合理的配慮を求めました。
障害者差別解消法により合理的配慮をしなくてはならないのに、園側はそのことを理解していなかったのか、「それは個性の一つですよ。どの子も性格が違い、個性があるのですから、おたくのお子さんだけ特別扱いはできません。みんなと一緒に、分け隔てなく保育をしていきますから」と言ったそうです。
それを聞いた知人は「分け隔てなく」という言葉にうれしくなりましたが、同時に、特別な配慮をしてもらえないことに不安を覚えたといいます。
現代の医学では、採血などの検査で明確に数値が出て、それだけで客観的に「発達障害です」と分かるような生物学的マーカー(指標)はありません。そのため、“どこまでが個性で、どこからが障害か”の線引きが難しいのです。そもそも、個性は万人に存在するものであり、それは障害の有無にかかわりません。
障害のある子どもの親に対して、第三者が「障害のある子は天使よね」などと、「障害そのもの=性格」のような言い方をしているのを耳にすることがあります。知的障害を伴う自閉症の息子を育てた私自身も、そのように言われた経験があります。でも、そんな“型”にはまったものではないと思うのです。
知的障害、ダウン症、自閉症……「障害名」ごとに分類したときに、ある程度共通する先天的な特性は確かにあるでしょう。しかし、一人一人が育つ環境の中で、優しかったり、好奇心旺盛だったり、いたずらだったりと、実際にはさまざまな性格が形成されていくものです。
「障害=個性」としてしまうと、視覚障害者や聴覚障害者は「目や耳が不自由なのは個性の一つ」、肢体不自由の人は「うまく歩けないのは個性の一つ」ということになります。視覚障害児も、聴覚障害児も、肢体不自由児も、持っている障害が個性なのではなく、生まれ持った気質と育った環境で、さまざまな個性が生まれるのだと思います。
息子から知的障害と自閉症を取ったら…
私の息子は自閉症なのですが、知人から「人は誰しも得手不得手があるのだから、障害じゃなくて個性の一つと考えればいいんじゃないの」と何度か言われたことがあります。
でも、当事者の親は案外「障害か個性か」の論争にはあまり関心がないことが多いように思います。困っていることが山積みですから、個性でも障害でも、そんなことはどうでもよいのです。
あえて言うならば、「障害そのもの=個性」ではなく、むしろ障害によって、自閉症や知的障害によって、息子の個性が見えづらくなっているような気がします。
こんな絵を描いてみました。私は、「個性」の上に大きく「障害」がかぶさっているように感じています。
「障害がなかったら、あなたはどんな性格、個性をしていたの?」「お母さんと普段どんな会話をしていたの?」「定型発達の23歳だったら、彼女くらいはできていたかな?」「週末は友達と出かけていたのかな?」…こんなふうに息子のことを思い始めると切なくなります。
けれども、息子から知的障害と自閉症を取ったら、息子ではなくなってしまうので、「それはそれで嫌だ」と思うわがままな母親です。
息子に障害があることが分かったときは、それを受け入れることができず、毎日泣いていました。そう考えると、随分と成長した私です。