なぜアメリカは女子サッカーが大人気なのか? 現地日本人コーチが語る日米のリアルな格差
6月8日、NWSL(ナショナル・ウィメンズ・サッカー・リーグ)のシカゴ・レッド・スターズが、MLBのシカゴ・カブスの本拠地であるリグレーフィールドにて史上初となる公式戦を行ない、リーグ史上最高となる3万5038人を動員した。
リグレーフィールドで女子プロスポーツの試合が開催されるのは、1944年の女子野球以来80年ぶりのことで、この日、元選手のメイベル・ブレア氏(97歳)がオープニング・セレモニーに登場し、詰めかけた満員のスタンドから大きな歓声を浴びた。
NWSLのシカゴ・レッド・スターズでヘッドコーチを務める辺見昌樹氏(写真左) photo by Saku Yanagawa
近年、アメリカ女子サッカーは大きな盛り上がりを見せており、各国のトッププレーヤーたちがしのぎを削るNWSLは、名実ともに世界最高峰のリーグとして認知されている。
ビジネスの面でも、他国を圧倒する資金力を有し、女子スポーツの先頭を走っている。昨年、スポーツ・ビジネスのメディア『スポルティコ』は、ロスに拠点を置くエンジェル・シティの資産価値が、世界の女子スポーツのなかでもっとも高い1億8000万ドル(約282億円)と発表した。また、経済誌『フォーブス』によると、2023年の女子サッカー選手の年収ランクトップ10のうち、じつに9人がNWSLでプレーしている。ちなみに、トップはFWのアレックス・モーガン(サンディエゴ・ウェーブ)の710万ドル(約10億円)で、2位もFWのミーガン・ラピノー(シアトル・レインFC/昨シーズンで現役引退)で、700万ドル(約9億9000万円)。
そんな世界一のリーグで、ヘッドコーチを務める日本人がいる。
辺見昌樹(37歳)だ。東京都出身の辺見は幼少期にサッカーを始め、桐朋高校に進学。16歳の時、両親の都合でアメリカ、ニューメキシコ州の高校に転校した。アメリカに越した当初は、英語もわからず、周りに日本人もいない環境のなか、「サッカーをしていたおかげで、アメリカでも友だちをつくることができた」と話す。
サッカーを通じてチームメイトとの交流を深めながら、異国の地で技術を磨いた辺見は、大学進学ののち、MLSコロラド・ラピッズのU−23チームと契約する。そして、同チームにて信頼を勝ち取り、キャプテン・マークもつけるなど活躍。その後、ドイツのヴィクトリア・アルノルトシュヴァイラーやプエルトリコのセビージャFC、ラトビアのFBグルベネでもプロ選手としてプレーした辺見は2013年、27歳で現役を引退した。
「最初は指導者になると思っていなかった」
そう振り返るように、引退後の辺見は一度大学に戻り、石油工学の学位を取得。アメリカでサラリーマンとして働いた異色の経歴を持つ。仕事終わりにボランティアで地元の子どもたちにサッカーを教えていた際、指導の魅力と自身の特性に気がついたという。
2016年にコロラド州の強豪、デンバー大学からコーチの要請を受け、指導に当たっていると、2020年INAC神戸レオネッサからのオファーが舞い込んだ。
「生まれ育った国で、コーチングを学びたい」と、悩んだ末に帰国。そのシーズン、INACは見事リーグ優勝を果たし、WEリーグの初代王者に輝いた。
再びアメリカに帰国した2022年から男子のプロチームでコーチを務めたのち、今季からシカゴの女子サッカークラブ、レッドスターズでコーチとして指導にあたっている。
【アメリカで生きる日本の組織力】コーチとしての辺見の仕事はじつに多様だ。ピッチの上での選手への指導やマネジメントはもちろん、相手チームや自チームの資料づくりも行なう。iMovieやファイナルカット・プロなど複数の編集ソフトを用いて、自ら映像を編集し、それを毎週チームにプレゼンする。
「すべては勝利につながるための仕事です。試合前の準備は意外とやることが多いです。ピッチでの仕事と同じぐらい、デスクでの仕事も多いんです」と辺見は笑う。
「僕の仕事は、選手に"Decision−Making"を教えること。つまり、選手があらゆる局面で、どのように自分自身の持っている能力を最大限に発揮する判断をしていくかを教えることなんです」
NWSLのシカゴ・レッド・スターズが、シカゴ・カブスの本拠地であるリグレーフィールドで史上初の公式戦を行なった photo by Saku Yanagawa
そのために選手ひとりひとりへの丁寧なコーチングは欠かさない。その日の選手の心身のコンディションを考えながら、それぞれに合わせたアプローチで対話を重ねる。
「当然、選手やスタッフには英語で伝えるので、語学力も求められますね」
高校時代に、言葉の壁で苦労した経験があるからこそ、コミュニケーションの大切さは誰よりも理解している。
「アメリカの女子サッカーはこれまで、身体能力を生かした個人技に頼るプレースタイルが多かった。対して日本は組織力を生かした、戦術重視のサッカーです。だから、日本を経験した日本人のコーチとして、アメリカで日本のよさを生かせると思っています」
そう語る辺見が取り入れる戦術的なサッカーで、レッドスターズは昨年のリーグ最下位という成績から、現在14チーム中6位と躍進を遂げている。
「もちろん勝負の世界にいる以上、試合に勝った、負けたはあります。でもそれ以上に、選手のピッチ内外での成長に直接的に貢献できることが、この仕事のやりがいだと思っています。そしてその成長が、ひいては勝利の確率を上げることにもつながると思っています」
チームのエース、マロリー・スワンソンは昨年の膝の大ケガを乗り越え、アメリカ代表の中心選手に成長したほか、ベテランGKのアリッサ・ネイハーは代表でも守護神として君臨し続け、若手DFのサム・スターブも今シーズンの活躍が認められ代表デビューを飾った。
「選手が辛いケガを乗り越える過程に寄り添えたことや、ひとつ上のステップに階段を上るサポートをできることが最高にうれしいんです。自分の周りの選手やスタッフを満足させて、幸せにできたと感じたときは達成感がありますね」
実直な人柄で、選手からは「マック」の愛称で慕われている。そんな彼に、今シーズンからチームを率いる元ジャマイカ代表監督の"名将"ローン・ドナルドソンも絶大な信頼を寄せている。
【日米の間にあるリアルな格差】日本女子サッカーのよさをアメリカに伝えてきた一方で、辺見はそのリアルな現状も見つめている。
「競技人口と環境には圧倒的な差がありますね」
アメリカの女子サッカーの選手登録数は100万人以上と言われているが、日本では5万人ほどにすぎず、その差はまだまだ大きい。実際、リグレーフィールドでの試合にも多くの少女が観戦に訪れて、声援を送っていたのが印象的だった。
環境においても、練習場やトレーニング施設などが充実しているアメリカに比べて、日本はその厳しいプレー環境が取り沙汰されることも多い。
「アメリカの女子サッカーには長い歴史があります。加えて、カレッジ・サッカーも時間をかけて成熟してきました。コミュニティに根ざした女子サッカーの普及が進んできたんです。日本のWEリーグはまだ発足して3年。きっとこれから活動が続いていくなかでもっと認知されるはずです」
そしていっそう語気を強めると、辺見はこう締めくくった。
「日本の代表チームはワールドカップの優勝などすばらしい実績があります。それに日本の選手は技術レベルも非常に高く、戦術理解能力も世界トップクラスです。優れた若手選手もたくさん育ってきているし、何よりすばらしい指導者がたくさんいます。近い将来、日本がまたワールドカップで優勝できると思っています。僕も指導者としてもっとレベルアップして、いつか日本のサッカー界に貢献できたらいいですね」
そう語る"マック"の、柔和な笑顔の奥の瞳は、日本スポーツ界の未来を見つめていた。