武居由樹インタビュー 前編

 2024年5月6日、井上尚弥vsルイス・ネリをメインイベントに、4万3000人が集まった東京ドーム。この日、かつてK-1の頂点を極めた武居由樹がボクシングの世界でも頂点に立った。

 ボクシングに転向後の3年で8戦8勝(8KO)、ド派手なKO勝利を積み重ねてたどり着いたWBO世界バンタム級タイトルへの挑戦権。ジェーソン・マロニーに最終12ラウンドは猛反撃を受けながら、激闘を制して栄冠を掴んだ。

 初めて経験したフルラウンドの戦い、勝利を手にした瞬間の気持ちなどを、新王者の武居とセコンドの八重樫東トレーナーに振り返ってもらった。


マロニー戦に勝利してベルトを手にした武居由樹(左)と八重樫東トレーナー photo by 西村尚己/アフロスポーツ

【「倒して勝つ」ことへのこだわり】

――ベルトが届いたのは試合の11日後だったそうですね。初めて見た時にどう思いましたか?

武居 アタッシュケースに入っていて、ちょっと感動しました。他団体のベルトがどうなのかはわかりませんが、思ったより早く届いてよかったです。

――K-1とボクシング、両方の世界王者のベルトを持つのは史上初の快挙になります。

武居 その点は、とてもうれしいです。宣材写真などでは、ふたつのベルトを一緒に持って撮影したいですね(笑)。

――その試合の自己採点は「50点」とのことですが、評価できる点と改善点を具体的に教えてください。

武居 一度映像を見たんですが、評価できる部分は、思っていたよりもちゃんとボクシングをしていたことですね。これまであまり打てなかったジャブやストレートを出せるようになったことです。

 一方で「もっと、あのパンチが打てたらよかった」「もっと積極的に攻めてもよかった」とも思いました。12ラウンドのピンチは、最初の何十秒かで倒しにいってしまったんです。11ラウンド終了後のインターバル中、「最終ラウンドで倒したら盛り上がるな」という欲が出てしまって。それで攻めた結果、後半にスタミナが切れてしまいました。

――ポイントでは上回っていて判定勝ちもできたと思いますが、やはり倒して勝ちたかった?

武居 そこは、元K-1ファイターとしてのこだわりですかね。会場のみんなのために、みたいな部分はあったかなと思います。観客のみなさんに楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいということを、ボクシング転向後もずっと意識しています。

――試合前、武居選手が花道に現れた瞬間、東京ドームが揺れるほどの大歓声が上がりました。

武居 今までに味わったことがない迫力でしたね。「うわぁ、やっぱりすごい!」と。花道を歩いていて......表現が正しいかはわかりませんが、気持ち、よかったです。マロニー選手が強い選手で注目度も高まりましたから、それもよかったなと思います。

――プロ9戦目、強豪のマロニー選手が相手の世界初挑戦。「まだ早いのでは?」という声もあったかもしれませんが、ご自身ではどう感じていましたか?

武居 ちょうどよかったと思います。キックからボクシングに転向した目的は世界チャンピオンになることでしたから、いつでも挑戦する準備はしていました。ただ、K-1で25戦(23勝16KO 2敗)した経験がなければ、今回もビビッていたかもしれません。K-1での経験があってこそ今の自分がある、と思いますね。

――武居選手のほかにも、K-1から他の格闘技へ移って活躍する選手が増えている印象があります。

武居 僕がいた頃のK-1は、みんながスター選手でした。それぞれが個性や独自の色を出していこうという強い思いを抱いていたと思います。マイクパフォーマンスで盛り上げることが苦手だった僕は、「試合で魅せないといけない」と思って戦っていた。そうしないとすぐに"埋もれて"しまいますから。

【ローブローで減点も「気にせず打て!」】

――試合内容について、お聞きします。武居選手は2ラウンド、左のボディーストレートがローブローとして減点を取られました。あの時の気持ちはいかがでしたか?

武居 「あっ、減点取られた」と思ったくらいですね。「これで取られちゃうんだ」という感じでした。

――マロニー選手のベルトラインが太く、ハイウエスト気味だったようにも思えました。

武居 試合中はそれほど気にしていなくて、見返した時に、「あ〜高いな」と。言われてみれば確かに......とはなりました。

――減点された直後も、左のボディーストレートを変わらず打ちにいきましたね。

武居 セコンドの八重樫さんから「気にせず打て! 減点されてもいい」と言われたので。(横にいる八重樫氏に)言いましたよね?

八重樫 そこまで低くなかったですからね(笑)。

――あの試合は、左を上下に散らして攻めるイメージだったんでしょうか?

武居 上下に散らすのと、真っすぐなパンチを打っていく、だったと思います。(八重樫氏に)合ってますか?

八重樫 あと、ワンツーですね。

武居 そうですね。ワンツーとボディー。当たればフック、みたいな感じでした。

――6ラウンド終了間際、そのボディーからのフックのコンビネーションでマロニー選手がよろける場面がありました。

武居 そこはしっかりと覚えています。ただ、残り10秒くらいしかなかったので、「ここで追撃にいってもダメだな」と判断しました。

――中盤以降、マロニー選手が前に出てきましたが、ある程度ポイント差は計算していたのでしょうか?

武居 僕はまったくしていなかったですね。ポイント差もわからなかったです。

――八重樫さんはいかがですか?

八重樫 マロニーは試合の前半、何もアクションを起こしてこなかったので、「武居がポイントを取っている」と思っていました。中盤以降は、距離が近くなって武居もパンチをもらい始めたので、ポイントがどっちに振れるのかわからなかった。ただ、中盤以降がイーブンだとしても前半の貯金があるから大丈夫だとは思っていたので......12ラウンドのピンチの場面では、「レフェリー、お願いだから止めないで」と思ってました(笑)。

【最終ラウンド前にあったやりとり】

――最終ラウンド、先ほど武居選手は「倒しにいった」と話していました、八重樫さんはどう見ていましたか?

八重樫 いや、ちょっと僕もよくなかったんですよ。インターバル中、武居に「まだ(スタミナは)残ってるか?」と聞いたら、「残ってます」と言うので、「じゃあいくぞ!」と言ったんです。

武居 言ってましたっけ?(笑)

八重樫 オレがけしかけた感じだね(笑)。

武居は5ラウンドくらいでガクンとスタミナが落ちて、"アップアップ"になってきたので「これ、まずいな」と。ただ、その時はスタミナや残りのラウンドについては触れずに、残り3ラウンドになった時に『あと3つ!』と声をかけました。そのあと、11ラウンドを終えてコーナーに帰ってきた時に意外と元気だったので、「これならいける」と。だから「まだ、いけるか?」と聞いたら、いけるとのことだったのでけしかけました(笑)。

――八重樫さんのアドバイスもあったんですね。

武居 僕はあんまり覚えていなかったですが......たぶん、ふたりともいきたかったんです。

八重樫 12ラウンドの途中で、「あんなこと、言わなきゃよかった」って思っていましたよ(笑)。

武居 危なかったですね(笑)。でも今後を考えたら、12ラウンドを戦えたのはすごく勉強になりました。

――判定の際、リングアナウンサーが「ニューチャンピオン!」とコールした瞬間の気持ちは覚えていますか?

武居 はい、覚えています。「うわぁっ!」となって、観客のみんなも「ワーッ!」となって。説明が下手くそで、すみません(笑)。それで、ゆっくりコーナーのほうに行ったら八重樫さんも喜んでいたので、抱きついちゃいました。感極まる、という表現が一番合っていますかね。

――先ほど八重樫さんは、中盤からどっちに転ぶかわからないラウンドもあったと話していましたが、武居選手は新王者としてコールされるまで不安もありましたか?

武居 12ラウンドを終えて、コーナーで座ってグローブ外している時に、八重樫さんに「(ベルトを)獲れました?」と聞いて「大丈夫だと思うよ」と言われていたので、「じゃあ、大丈夫だろうな」と。でも、やっぱりコールを聞くまでは不安でしたね。だから自分の名前を聞いた瞬間、いろんな感情があふれてきました。

(後編:いかにして井上尚弥に「ボコボコにされた」のか? マススパーリングは「憂鬱」で「恐ろしい時間でした」>>)

【プロフィール】

■武居由樹 (たけい・よしき)

1996年7月12日、東京都足立区生まれ。10歳でキックボクシングを始め、足立東高時代はボクシング部でも活躍。「power of dream」に所属し、2014年11月にKrushでキックボクシングデビュー。17年4月には第2代K-1 WORLD GPスーパーバンタム級王座を獲得。23勝(16KO)2敗の戦績を残し、20年12月、ボクシング転向を発表。元世界3階級王者の「激闘王」八重樫東トレーナーに師事し、21年にプロボクシングデビュー。プロ5戦目で、東洋太平洋スーパーバンタム級王座獲得。バンタム級転向のため、2023年11月にタイトル返上。2024年5月6日、WBO世界バンタム級タイトルマッチにて、王者ジェイソン・マロニーに判定3−0で勝利を収め、世界初挑戦で王座を獲得した。戦績は9戦9勝(8KO)。

■八重樫東(やえがし・あきら)

1983年2月25日、岩手県北上市生まれ。拓殖大学2年時に国体優勝。2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。11年にWBA世界ミニマム王座を獲得。13年にはWBC世界フライ級王座を獲得し、3度防衛。15年にIBF世界ライトフライ級王座を獲得、日本人3人目の3階級制覇を達成した。井岡一翔、ローマン・ゴンサレスなどとの激しいファイトスタイルから「激闘王」の異名を持つ。2020年9月に引退を発表。通算戦績は、35戦28勝(16KO)7敗。