福井優也(福島レッドホープス・コーチ兼任投手)インタビュー


福島レッドホープスで2年目のシーズンを送っている福井優也

【エリート街道から戦力外通告】

 かつて広島や楽天で活躍した福井優也はこの春、福島で2度目のシーズンを迎えた。

「本当は去年1年間のつもりだったんです、野球自体が」

 今年で36歳。現役引退が頭をよぎるのも無理もない。

 岡山県出身の福井は、愛媛・済美高ではエースとして活躍。創部3年目でセンバツ初出場・初優勝を成し遂げ、甲子園を沸かせた。

 1年間の浪人を経て早稲田大に入学すると、同期の斎藤佑樹、大石達也とともに注目を集め、4年時にはエースナンバー「11」をつけ神宮で躍動した。

 そして、2010年のドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けた。チームメイトの大石と斎藤もそれぞれ西武、日本ハムにドラ1指名で入団し、大きな話題となった。

 そんな野球のエリート街道を歩んできた福井だったが、2022年10月に楽天を戦力外となる。そして、現役続行を決めた福井が、新天地として選んだのが独立リーグ、BCリーグの福島レッドホープスだった。

 家族を仙台に残しての単身赴任。しかも、第2子が誕生するタイミングと重なった。

「奥さんは『気が済むまでやりたいようにやったほうがいいよ』と言ってくれていますが、2人目が生まれたばかりですし、家族にはだいぶ迷惑をかけています」

 福井が当初1年と期限を決めて、福島に来たのにはそんな事情もあった。

【貯金を切り崩しながらの挑戦】

 NPBのように恵まれた施設はなく、もちろん球団専用の球場もない。練習の拠点としている須賀川市のいわせグリーン球場までは車でも片道約30分かかる。グラウンド整備も選手たちが自ら行なう。

 春季キャンプもあるにはあるが、沖縄や宮崎といった南国ではなく、比較的温暖な福島県内、太平洋に面した楢葉町で行なっている。

 もちろん待遇もNPBの時とは大きく異なり、貯金を切り崩しながらの生活を送る。

「仙台の家賃もこっち(福島)の家賃もあるので、それが2年、3年と続くとちょっと厳しい。独立リーグのチームとしてはしっかり(給料を)もらっているほうだと思いますが......。そういう意味でもチームに貢献したいと思っています」

 そんな覚悟を持って臨んだ福島での1年目。2023年シーズンは、春先こそ「ゲームをつくれたらいいと思って投げていた」と言い、6回程度を投げて2〜3失点という試合が続いた。

 そして、シーズンが深まるにつれ、調子が上がっていった。8月25日には新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ戦でノーヒットノーランも達成している。

「人生初なんですよ。中学、高校、大学でもやっとことがなかったので。自分が思っているよりも、周りの人が喜んでくれて、反響が大きかったです」

 シーズンが終わってみれば、17試合を投げて10勝5敗、防御率2.28で、BCリーグ北地区の最優秀防御率のタイトルを手にした。無双とはいかずとも、NPB経験者として面目躍如と言える成績だった。

「1年間、しっかりローテ(ーション)を守れて10勝できたこと、防御率のタイトルを獲ることができて、このチームに来てよかった。期待されていたと思うので、結果でチームに貢献できたかなと思います」

【こんなんじゃ...突きつけられた現実】

 福井には、試合に出たくても出られなかった1年間があった。早大に入る前に、鳥取のワールドウイングというトレーニング施設でトレーニングを積んだ浪人期間だ。

「準備期間としてすごくいい1年間だったなと思っています」と振り返るが、「ゲーム自体はできなかったので、野球がやりたいという気持ちは強かったですね」と、試合で投げることを渇望した。その間には地元で軟式野球大会に出場したこともあったという。

 事情は違うものの、逆境を力に変えようとする姿勢は、その当時にどこか重なる。

 しかし一方で、厳しい現実もある。これほどの活躍を見せても、NPBのどの球団からも声がかかることはなかった。

「抑えても、甘いボールはあった。ただ、そこを相手バッターが仕留めてこないから助かっただけであって......。プロ(NPB)だったら、仕留められていただろうなって思ったことは何回もありました。こんなんじゃ無理だなっていうのはわかっています」

 高いレベルに身を置いていたからこそ、今の自分がそのレベルにないことはよくわかっていた。

「去年1年間で呼ばれなかったので、あきらめたというか、そこ(NPB復帰)はもういいかなって思っています」

 現実を突きつけられた福島での1年目だった。

 1年でけじめをつけるはずだった。だが、今シーズンも福井の姿は福島のグラウンドにあった。

「体がちょっと痛かったり、きつかったりしますが、だからといって引退するっていう感じもしないんですよね。ケガもなく、まだできているので、やめる理由がない。悔いのないようにやりたいって思っています。この1年が勝負だと思っていますが」

"やめる理由がない"ことが、現役続行を決めた理由だった。

【コーチ兼任で指導者としての一歩】

 だが、肩書きは昨シーズンとは少し違う。昨季は投手に専念していたが、今季は"コーチ兼任投手"となった。

「選手をずっと続けられるわけではないので、指導者としての勉強をしようと思って、今年からコーチを兼任しています」

 現役投手を続けながらも、将来を見据えて指導者としての一歩を踏み出した。

 もっとも、コーチ兼任投手は、想像していた以上に大変だった。自分の練習ができるのは、ほかの投手のピッチング練習を見たあととなり、なかなか思うような練習ができずにいた。

「そのあとにいざ体を動かそうと思っても体が重いんです。"今日はいいか"って自分自身に負けてしまうこともあった」

 新しい肩書きになかなか慣れず、春先から絶不調だった。

 4月14日の西武のファームとの試合では1回をもたずにノックアウトされている。6月9日時点で2勝3敗、防御率6.42と不振が続いている。また、5月半ばからは中継ぎに回っている。

「なかなか選手兼任コーチって難しい」

 思わず漏れ出たそんなひと言には、実感がこもる。

【渇望、怒り...抑えきれなかった気持ち】

 チームも最下位と苦しんでいる(※6月9日時点)。だが、誰よりも勝利への執念を持ち合わせているのが、福井かもしれない。

 それが思わず表出した試合があった。

 5月12日、福井が先発登板した群馬ダイヤモンドペガサス戦でのことだった。チームは1点を先制したものの、4回に味方のエラーも絡んで二死一・三塁のピンチを迎えると、福井のワイルドピッチで1点を許した。

 その直後だった。「ボールの交換でタイムがかかっていると思っていたのですが......」。しかしタイムはかかっていなかった。インプレー中にもかかわらず、福井は怒りをぶつけるかのようにボールを地面に叩きつけた。

 結局、これにより、走者には2つの進塁が認められ、2点目を献上。この試合の福井は自責点1ながら、これが決勝点となり、敗戦投手となった。

「あれはやってはいけなかった。反省しています」と"事件"を冷静に振り返る。

 ただ、福井は感情を露わにするタイプの選手。思わず熱くなってしまったのは、勝利を渇望する気持ちの表れでもあった。

「僕は今でも勝ちたいと思っていますし、打たれたくない。その気持ちがあの試合では悪いほうに出てしまった......。

 でも、やっぱりみんなには熱くなってほしい。うちの選手たちは全然やりきっていない。やれることはもっとあるだろうと僕は思っているんですけど。

(岩村明憲)監督も言っていますけど、寝て起きてプロ野球選手になれるわけではない。もっと向上心を持ってやってほしい」

 あの行為は非難されても仕方ないが、上を目指す仲間たちに福井はこんな思いを抱いている。

「結果を出したい。コーチ兼任となり指導も大事ですけど、やっぱり選手として結果を出すことが僕は大事なのかなと思います。結果が出ていない時期でストレスもたまったりするなかで、自分に負けちゃダメだなと思いながらやっています。

 僕は先を考えられないタイプなので、今できることをやれたらなと思っています。今の野球をやりきる。その先に何かがあるかなと思っています」

 現役生活がカウントダウンに入っているのは十分理解している。でも、現役選手であるうちは"反骨心"を持って懸命にプレーするつもりだ。それこそが後進への強烈なメッセージだ。

【指導者としてのNPB復帰も視野】

 そして、指導者としての道は、まだ始まったばかりだ。

「プロでコーチをやりたいっていう気持ちはあります」

 福井がそう言うように、将来的には指導者としてNPB復帰を視野に入れている。

 独立リーグからは、昨年まで四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツで、福井と同じようにコーチ兼投手だった正田樹が、今季よりヤクルトの二軍投手コーチに就任した例もある。福井にとっても決して夢物語ではない。

 福井に理想とする指導者像を問うと「いやあ、どうですかね......」と返ってきた。答えに窮したというよりも、これからじっくり築き上げていくつもりなのだろう。

 福井や岩村監督が高校時代に指導を受けた上甲正典氏(愛媛・宇和島東、済美で監督を務めセンバツ優勝)も、勝ちにこだわる指導者だった。

 指導者としての福井も、マウンドでの姿と変わらぬ熱さを見せてくれるはずだ。

【プロフィール】
福井優也 ふくい・ゆうや 
1988年、岡山県生まれ。済美高(愛媛)時代はエースとして3回甲子園に出場し、2年次の2004年春は優勝、同年夏は準優勝。高校生ドラフトで巨人4巡目指名されるも入団を辞退し、1浪を経て早稲田大に入学。斎藤佑樹(元日本ハム)、大石達也(元西武)とともに活躍すると、2010年ドラフト広島1巡目指名で入団を果たす。2011〜2018年を広島、2019〜2022年を楽天で過ごし、通算成績は32勝41敗・防御率4.58。2023年よりBCリーグ・福島レッドホープスに入団し、自身初のノーヒット・ノーランも達成した。2024年からは投手兼任コーチを務める。