田中聡の理想像は湘南の先輩・遠藤航 アンカーとして殻を破るためのカギは『お前からチームに発信しろ』
湘南ベルマーレMF
田中聡インタビュー(後編)
◆田中聡・前編>>U-23日本代表メンバーとの差「素直にメンタルがすごい」
グループステージ第3節のU-23韓国代表戦のみの出場に終わったU23アジアカップで、田中聡は同ポジションでプレーする選手たちから「大舞台でもパフォーマンスが出せるメンタリティー」を実感した。
自信、あるいは自負とも置き換えられる精神力の強さは、彼自身がここまでのキャリアで痛感してきたものだった。
「大切なのは、メンタルです」
インタビュー中、まるで合言葉のように繰り返したのも、時には自信を持つことで、場合によっては自負を抱くことで、彼自身が成長してきたからだった。
田中聡にパリ五輪前の心境を語ってもらった photo by Sano Miki
生まれ育った長野県を離れ、15歳で湘南ベルマーレの育成組織に加入した田中が、トップチームでデビューを飾ったのは、まだ高校3年生の2020年だ。
湘南U-18で指導を受けていた浮嶋敏監督(当時)が前年途中からトップチームの指揮官に就任していたこともあり、田中は試合に臨むメンバーに抜擢される。新型コロナウイルス感染症の拡大により中断されていたリーグ戦が再開して間もない7月8日のJ1第3節、横浜F・マリノス戦だった。75分に齊藤未月(現ヴィッセル神戸)と交代すると、ピッチに立った。
「ボールを持ってもそんなに慌てることもなかったし、攻撃でも積極的にプレーできました。でも、守備はフィジカルも含め、まったく強度が足りなかった。たった15分なのに、かなり試合中にバテましたから。ボールを奪えないし、かといってボールに寄せても簡単にはがされてしまう場面もありました」
ユースになり、守備に自信を持ち始めていただけに、なおさらだった。
さらなる手応えを掴んだのは、先発したJ1第19節の川崎フロンターレ戦だ。試合は敗れたものの、この年リーグ優勝する相手に3バックの一角として1失点に抑えたことに、確かな感触があった。
「DFの選手が何人も負傷して、チームとしては苦しい状況で先発に抜擢されたんです。実際、試合をしてみたらフロンターレを相手に、攻撃でも、守備でも通用した感覚を得られて、楽しむことができたんです。そこからコンスタントに出場機会を得られるようになったんですけど、その時は自信を持ってプレーできていました。3バックですからね。今、思うとよくやっていたなって(苦笑)」
【怖くてDFからパスを受けたくない】高校生にしてJ1で17試合を経験。正式にプロになった2021年は、さぞ自信を持ってプレーしたことだろう。
「2021年ですよね。それが夏くらいまでは全然、ダメだったんです」
なぜと聞くと「メンタルです」と即答した。
「前年に比べると、相手からボールも奪えなくて、攻撃参加もなかなかできなかった。3バックだけでなく、ボランチで起用してもらった時も、自分のプレーはよくなくて......。それでも敏さん(浮嶋監督)は試合に使い続けてくれる。ダメなのに試合に起用してもらえるから、ついには『俺、試合に出るのか』みたいなネガティブな思考になりました」
田中聡の存在なしに湘南ベルマーレの飛躍はない photo by Sano Miki
誤解を恐れずに言えば、試合に出るのが怖くなる感覚──。
「ほかの選手のほうが絶対に調子もよかったし、ほかの選手が試合に出るべきだったんですよね。何より、周りの人たちが『何であいつが出ているんだ』って言っている声が耳に入ってしまって......。それもあって余計にしんどくなって、精神的にも苦しかったですね」
思考がネガティブになれば、プレーもマイナスに作用する。
「当時はボランチで試合に出ることが多かったのですが、DFからパスを受けたくないから、隠れていましたね。ミスをしたくないからセーフティーなプレーばかりを選択していたし、いざボールが来てもすぐに失う。悪循環そのものでした」
当時の浮嶋監督からは、戦術的な話こそあったものの、精神的な部分には一切、触れてこなかったという。言葉で直接的にアドバイスするよりも、自分で乗り越えなければならない問題であることをわかっていたからだろう。
事実、きっかけはどうであれ、田中は自ら乗り越えた。覚えているのは、解き放たれた確かな感覚があったからだ。
「FC東京戦(第22節)で、途中から出たにもかかわらず退場してしまって、次節が出場停止になったんです。そのタイミングでリーグは中断期間に入り、キャンプを行なったんです。再開後は出場停止だから、控え組で練習することになる。そうしたら気持ちもラクになり、本来のプレーを取り戻すことができました」
【調子がいい時は何も考えなくなる】田中は、「本来はあってはならないこと、してはいけない考え」とも前置きした。
「リーグ再開後、自分が出場したのは名古屋戦(第24節)ですが、うしろからのパスも積極的に受けて、ミスも何度かしましたが、ミスを気にすることもなくなりました。その勢いのまま、いいプレーが続けられて、シーズン終了まで駆け抜けることができました」
そして、言う。
「そこで、メンタルの大切さに気づいたんです」
心の充実は、プレーにもプラスに作用した。
「調子がいい時は、自然と顔が上がるので、視野も広くなって、効果的なパスが出せるんですよね。それに調子がいい時は、自分の調子がいいとか、悪いとかすら考えなくなるんです」
プロ1年目の2021年にJ1リーグで36試合に出場した田中は、翌夏にKVコルトレイク(ベルギー)に期限付き移籍する。ヨーロッパでも実感したのは、メンタルの強さだった。
「加入した当初は試合に起用してもらっていたのですが、シーズン途中から試合に出られなくなり、出場機会を得られないまま、1年でベルマーレに帰ってきました」
なぜと、その理由を自身がどうとらえているのかを聞いた。「やっぱりメンタルです」と、苦笑いを浮かべながら即答する。
「純粋に自分のプレーが出せなくなっていきました。加入した当初はできていたプレーができなくなり、試合に出られなくなると、さらにヤバイと思って、本来のプレーを見失ってしまって」
自身にとって初のヨーロッパでは、強靭な精神力を持つ選手たちのなかで揉まれた。
「コルトレイクは規模としては小さなクラブだったので、ベルギー以外の国籍の選手もいれば、日本でいう大学生のような選手もいて、実力差もバラバラでした。それでも、それぞれに野心があって、だからたとえ自分がミスをしたとしても、自分の非を認めないくらいの強さを持っていました。何があっても這い上がってやると思っている選手に競り勝っていくには、なおさら強いメンタルが必要だなって感じました」
【山口智監督から与えられた新たな課題】わずか1年の欧州挑戦だったが、異なる文化、サッカー、メンタルの在り方に触れた経験は無駄ではないだろう。成長曲線によっては、再び挑戦する機会を掴みとれる21歳である。
何より、欧州で揉まれてベルマーレに復帰してからは、確実に意識は変わっている。
「戻ってきてからはシュート。ゴールに直結するプレーが少ないと感じて、そこに取り組んできました。それでも昨季は得点を決めることもできなければ、アシストもできなかったので、さらにたくさん練習した結果が、今季のプレーにつながっているのかなと思っています」
精神的にたくましくなった田中は、次なる成長段階へと進んでいる。それを見越す山口智監督からは、さらに殻を破るための課題をぶつけられている。
「お前からチームに発信しろ」
アンカーとして、守備ではどのようにチームとして対応し、攻撃ではチームとしてどう崩していくかを示すために、プレーだけではなく声で、言葉で、導くように求められている。
「以前は、本当に何もしゃべっていないくらい、試合中に声を出すことはなかったのですが、今は少しずつですけど、近いところにいる選手たちには、自分の考えや指示を伝えるようにしています。
感情的に話したり、熱い口調で伝えたりすることは、性格的にできない。なので、そこはキャプテンの(キム・)ミンテさんや(鈴木)雄斗くんに任せて、自分は冷静に伝えていければ。でも、自分がもう一歩、上のレベルに行くために、どうしたいかを伝えていく行動は必要なことだと思っています」
今季、後方から熱い言葉で、チームに発破をかけてきたキャプテンのキム・ミンテは、負傷により離脱中だ。なおさら、チームの中央でどっしりと構える田中のプレーと指示が、チームの明暗を握っている。
田中もまた、チームのためにそこに挑もうとしている。
「かつてのように今は、精神的に弱気になったりすることもなくなり、ブレや波もなくなりました。何より、隠れていないですからね(笑)」
目指す選手像は、日本代表のキャプテンであり、リバプールで活躍する遠藤航だという。
自分と同じく湘南の育成組織を経て、トップチームに昇格し、チームを大きく引き上げて世界へと羽ばたいていった先輩である。今は遠いその背中に追いつくためにも、現状17位に苦しむベルマーレを上位へと引き上げることが、殻を破るためのミッションになる。
<了>
【profile】
田中聡(たなか・さとし)
2002年8月13日生まれ、長野県長野市出身。AC長野パルセイロU−15を経て湘南ベルマーレU−18に加入。2020年7月、横浜F・マリノス戦でJリーグデビューを果たす。2022年8月にベルギーのKVコルトレイクにレンタル移籍して15試合に出場。2023年6月に湘南に復帰した。日本代表では2019年のU−17ワールドカップメンバーに選出、2024年4月のU23アジアカップにも出場した。ポジション=MF。身長175cm、体重73kg。