池上季実子、今も抱える新型コロナの後遺症。映画の撮影は酸素ボンベ持参、初ミュージカルも控え…「いただいた命なんだから何でもやるのよ」
映画『陽暉楼』(五社英雄監督)で第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、映画『華の乱』(深作欣二監督)で第12回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞し、妖艶な美貌と確かな演技力を兼ね備えた実力派女優・池上季実子さん。
1987年に海外ロケ中に遭遇した大事故の後遺症に苦しめられながらも第一線で活躍を続け、多くの映画、ドラマ、舞台、CMに出演。2024年5月に舞台『後鳥羽伝説殺人事件』の公演を終え、初の老け役に挑んだ映画『風の奏の君へ』(大谷健太郎監督)が現在公開中。11月には初のミュージカルにも挑戦する。
◆マスクは二重、外出も極力控えていたのに
『不倫調査員・片山由美』シリーズ(テレビ東京系)をはじめ、多くの2時間ドラマの主演シリーズを持ち、『科捜研の女 第15シリーズ』(テレビ朝日系)、映画『ミックス。』(石川淳一監督)などに出演。2018年に個人事務所を設立し、昨年芸能生活50周年を迎えた。今年3月、『徹子の部屋』で2022年に新型コロナに感染し、死にかけたということを初めて明かした。
「2022年の2月、ある朝起きたら熱が40度以上あって。もともと慢性気管支炎持ちだったので、年末年始に風邪をひいて熱を出すことはあったんです。夜になると熱が上がるというのが2日間続いたので、これはいつもと違うなと思い、(コロナの)検査キットを買ってきてもらって調べたら陽性。
マスクを二重にしていましたし、買い物も深夜に24時間スーパーに行って、なるべく人に会わないように気をつけていたのでショックでした。その頃、テレビなどでは『すぐに救急車に電話するのではなく自宅療養を』と推奨していたので、自宅療養することにして。
自宅療養して8日か9日経ったときに朝起きたら熱が下がっていたから治ったと思いました。本当に1週間くらいで治るんだなあって。でも、お手洗いに行こうとしたら息が苦しくて…。血中酸素濃度を測るパルスオキシメーターは持っていたので測ってみたら、前の晩は96あった血中酸素が80まで低下していたんです。
そのとき、ほぼ同時にコロナになった歯医者の先生が電話をくれて、『俺は入院させられたから心配になって電話した』って。それで血中酸素が80だと言ったら、『すぐに救急車を呼ばないと死ぬぞ』って言われました。
でも、うちの前の道は狭いし目立つから救急車呼ぶのはイヤだなと思って(東京都の)相談室に電話したら、『すぐに救急車を呼んでください。死にますよ』って同じことを言われて。救急車を呼んだときには血中酸素濃度は76に落ちていました。
コロナの患者が多い時期だったので病院がなかなか見つからなくて。夕方救急車を呼んで病院が見つかったのは夜10時過ぎ。それも遠いところで、結局病院に着くまでに6時間くらいかかりました。すぐに集中治療室(ICU)に入れられて、医師からは『今日が峠です』って2回言われました。『コロナは良くなったと思ったら急激に悪化することもあります』って。
『私は死ぬんだ』って思った。娘も結婚して独立したし、やりたいこともいろいろやって来ましたけど、『もうちょっとだけ舞台、お芝居がやりたかったな』って思いました」
――それから2カ月間入院ですか?
「途中でリハビリの病院に転院しましたけどね。これで一応コロナのほうの治療は終わりましたけど、肺に傷がついているので、酸素マスクを必要としなくなるまでは、まだしばらくかかりますと言われて。
だから、先生は酸素マスクを外せとは1回も言わなかったですね。今でも天候や気圧の関係などで95を切るときはありますから。だから、完全に健康な肺というわけではないわけですよ」
――それでも2カ月で退院できたのですか?
「22年の2月に入院して、4月の末にこの映画(風の奏の君へ)の撮影があるというので強引に退院して。先生はゴールデンウィーク明けまで退院させたくなかったみたいですが、絶対に映画に出たいからと言って退院させてもらいました」
©2024「風の奏の君へ」製作委員会
※映画『風の奏の君へ』全国公開中
配給:イオンエンターテイメント
監督:大谷健太郎
出演:松下奈緒 杉野遥亮 山村隆太(flumpool) 西山潤 泉川実穂 たける(東京ホテイソン) 池上季実子
◆撮影本番以外は酸素ボンベを使用して
2022年4月末に退院した池上さんは、岡山県美作市で映画『風の奏の君へ』のロケに参加。茶葉屋を営む兄の淳也(山村隆太)と浪人生の弟・渓哉(杉野遥亮)の元に突然淳也の元恋人でピアニストの里香(松下奈緒)が現れ、渓哉は彼女に淡い恋心を抱くが、この微妙な三角関係にはタイムリミットが…という展開。池上さんは淳也と渓哉の祖母・初枝役を演じた。
「この映画は2020年の5月に撮影するはずでしたが、コロナで延期になって。あらためて2024年撮影のスケジュールが具体的に決まって退院の目標ができました。神さまが『これをあげるから元気になりなさい』って言ってくれている気がしてリハビリに励みました。
衣装合わせのときには酸素ボンベが放せない状態でしたから、それを見てみんなビックリしていて。最初はスタッフが『そんな病気だった人を撮影で岡山まで連れて行って何かあったらどうするんだ?』って、プロデューサーがすごく責められたみたいです。
みんな心配してくださっているってわかったから、衣装合わせのときにスタッフを集めていただいて、元気な姿をお見せして納得していただきました」
――撮影はいかがでした?
「酸素ボンベを持参して、本番が終わると酸素を吸って…みたいな感じでした。退院したてでまだ体力もついていないから、本当にちょっとそこまで歩くにしても、休んでからまた動くという感じで」
――映画を拝見させていただきましたが、初の老け役ということで、髪の毛を6回もブリーチしたとか。
「せっかくブリーチしたので、まだ残していてちょっと紫色にして遊んでいます(笑)。美容師さんが『6回もブリーチしたら、普通はこんなもんじゃすまない。ポロポロ、ポロポロ、切れてきちゃう』って言っていました。私はおかげさまで大丈夫だった。これは親に感謝ですね」
――包容力があって芯の通ったステキなおばあちゃんでした。
「ありがとうございます。すべてを受け止めるというか、わかっているおばあちゃんでね。あの3人が主役だから、あまり邪魔してもいけないし。
かといって、やっぱり長男がおばあちゃんを放っとけないからって、地元に帰ってきて茶葉屋を継ぐことにしたと思えるようなおばあちゃんじゃなきゃいけないし…という、その辺の兼ね合いをさりげなく出せたらなと思ってやっていました」
――すぐには池上さんだとわからなかったです。
「良かったです。地元の皆さんも最初はわからなかったみたいです(笑)」
――出来上がった作品をご覧になっていかがでした?
「良い作品だなって思いました。茶かぶき(一度飲んだお茶の味を記憶して、あとで飲んだお茶の中からそのお茶がどのお茶なのかを当てること)のシーンもおもしろかったし、渓哉(杉野遥亮)が里香(松下奈緒)さんにお煎茶を出してあげるシーンも良かった。さりげなくお煎茶を入れる作法をちゃんとやっていて。
この子はおばあちゃんと一緒に住んでいて、おばあちゃんからこれを自然に学んで覚えたのをやっているんだなっていうことがわかるような撮り方だったんですよね。また杉野くんがいいじゃない?」
――お兄ちゃんも、このおばあちゃんだから戻ってきて茶葉屋を継ぐことにしたんだなって納得でした。
「そう思っていただけたらうれしいですね。今の過疎化の問題もさりげなく出しているし、日本のお茶というものは、本来こうやって飲むものなんだということもわかってもらえると思いますし。
私は京都から東京に出てきて驚いたのは、京都というのは普段ほうじ茶なんですよ。それで、お客さまがみえると煎茶なの。ところが東京はどこに行っても煎茶。本来はお客さまに出すものだったから、すごく不思議でしたけど、本来煎茶はこうやって飲むんだということが描かれているのはいいですね」
――実生活でもああいう作法で飲んでいらっしゃいます?
「煎茶はね。全然旨味が違うんですよ。あそこまで丁寧じゃないにしても、これから飲もうというお茶碗に1回お湯を入れて、お湯が少し冷めたぐらいになってからお茶っ葉を入れた急須に入れて、それで入れるとお茶の味が全然違うの。お茶の旨味がちゃんと出ていて。
だから、ああいうのを何気なく若い子が見て吸収してくれるといいなって思いますね。本当はお茶ってこうやって飲むんだよって、知ってくれるとうれしい。やっぱり日本人の良さというものは、受け継いでいってほしいなと思いますよね」
◆無理をしすぎるのが悪い癖
2022年の12月には、日本橋・三越劇場で舞台『25Magic』に出演。池上さんは、まだ酸素ボンベが必要な状態だったという。
――担当医の先生も舞台を見に行かれていたそうですね。
「先生が呆れちゃってね(笑)。『あんなに動いているなんて信じられない。(舞台)袖から出てきて客席に1回降りて、また客席からステージに階段を上がって、そのあとずっとしゃべっている。この状態で信じられない。奇跡だ』って。
それで、『ここまで肺が傷むとなかなか正常には戻らないものだけど、池上さんにとって舞台はリハビリなんだと思いますから、あまり無理をしないように気をつけて頑張ってください』って言ってくださいました」
――カナダロケの事故のときもですけど、痛みなどに我慢強いですね。
「だからいけないんですよね。倒れるまでやっちゃうから、リハビリの先生にも叱られたんですよ。『休みましょう』と言われても、私は『先生、どうせならあそこの柱までやりましょう。もうすぐそこだから』って言ってしまう。
先生は酸素の数値などを見ながらやっているので、『池上さんは、それで頑張っちゃうからいけないんですよ。血中酸素が低い状態で無理をすると心臓に負担がかかる。今はまだいいけど、70過ぎて心不全になりますよ。だから頑張りすぎるのはやめてください』って言われたので、『わかりました』みたいな感じで。でも、やっぱり癖なんですよね。
先生が毎日リハビリをしてくださり、座ったまま軽く足を上げたり、手を上げたり…酸素飽和度が下がったら96以上になるのを待って、またやって。最初は1、2回やっただけで90を切っちゃって。要するに足をちょっと上げるだけで、いかに人間の体が酸素を使っているかということなんですよね。知らないで体に負担をかけているんです。
それで次は棒を持って…ってやってみると、最初は98なんだけど、3回くらいでガクッと下がる。だから、これが10回できるようになったらって、様子を見ながらやっていったんですけど、ここが一番苦しかった。
『肝硬変は肝臓が固くなるんですけど、コロナは肺硬変だと思ってください』って。肺が硬くなってしまうから酸素が吸えなくなる。組織的に肺がダメージを受けるんですけど、肺自体も肺の周りの筋肉、外側の筋肉も硬くなってしまう。
だから、腕を上げたりして運動することで、硬くなった筋肉をほぐしていく。大変だけど、ゴルフとか、手を上げる運動はいいみたいです。
私がコロナで最初にECMO(体外式膜型人工肺)って言われたとき、仰向けになると肺に負担がかかるからって、うつ伏せにされたんです。うつ伏せになると横隔膜が浮くから肺にいいんだと言われましたけど、ECMOは下手をすれば声帯も切られてしまうことがあるのでやめてもらいました」
2022年は、新型コロナで苦しんでいる最中、両親が相次いで亡くなるという悲しい出来事も重なったという。
「2020年の3月に新型コロナウイルスが流行してすべてが大きく変わりました。2018年に独立してエージェントスタイルにして、理想の形になってきたところだったんですよね。
6月に『八つ墓村』の双子のおばあちゃん、4月が『寺田屋お登勢』、坂本龍馬の寺田屋のお登勢、色っぽい役、そして7月、8月がマクベス夫人…全部違うところから入ってきた話で、その間にこの映画の撮影が入る予定でした。それがこれからというときにコロナで全部ダメになってしまって…ショックでした。
今、またようやくという感じで、今年は11月から来年1月までミュージカルに初挑戦します。初ミュージカル。最初に青森、その後東京、そして地方公演です」
――池上さんのミュージカル、楽しみですね。
「ワクワクしています。コロナでは先生に『今夜が峠です』って二度も言われて、お花畑も見てきましたからね。もうダメだと思いました。何かやり残したことがあるから、今はまだ来ちゃダメだって言われたんだなって。カナダでの事故のときもそうですけど、普通は死ぬでしょう? カナダでもう死んでいるはずなんです。
命が助かったのは、娘をちゃんと育てなきゃいけないというのがあったんだなと思うんです。今はその娘も結婚したし、役目は終わったと思ったのに生かしていただいたのだから、やってないことをやるしかないよなって。基本何でも受けるぞみたいな感じです(笑)。
この間も一緒にやった子たちがみんな『季実子さん、小劇場にも出るんですか?』って不思議がっていたんですけど、『私はいただいた命なんだから何でもやるのよ』って言ったの。だいたいにして、小劇場だからとか大劇場だからって分けるのもナンセンスだし、芝居なんだから、小も大もないだろうって思う。
人が何をどう言おうが関係ない。自分は芝居がしたいのだから、芝居にいいも悪いもないって。悪い状況だったら、いい状況に持っていくようにするのが自分の仕事だからって思っています」
――今現在の体調はいかがですか?
「今でも天候や気圧の関係など咳が出ることはありますから、完全に健康というわけではないです。でも、コロナじゃなくてもある程度年齢を重ねると、どこかしら具合の悪いところもありますしね。だから、体をケアしながらいろいろなことにチャレンジしていこうと思っています」
池上さんに会ったのは25、6年ぶりだが、妖艶な美貌は変わらず、新たなチャレンジに目を輝かせる。初ミュージカルも今から楽しみだ。(津島令子)
メイク:大野志穂
スタイリスト:森本美砂子