愛しのユーロ(最終回)〜2012年、2016年

 6月14日(現地時間)、ドイツ対スコットランドで幕を開けるEURO2024(欧州選手権)。コロナ禍で1年延期された前回のEURO2020は、UEFA(欧州サッカー連盟)60周年記念の特別大会として11カ国での分散開催だった。オーソドックスな本大会が行なわれるのは8年ぶりとなる。そんなEUROの歴史をベテラン記者が私的に振り返る連載。最終回の今回は2カ国での共催となった2012年大会と、2016年フランス大会をピックアップする――。

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 ウクライナとポーランドで共催されたEURO2012は、過去ふたつの大会の共催とは、ずいぶん趣を異にした。

 EURO2000のオランダとベルギー、EURO2012のオーストリアとスイスは、言ってみれば親戚のような関係にある国だ。地域的に前者は「ベネルクス」として、後者は「アルプス」としてくくることができるが、ウクライナとポーランドにそういう共通項はない。かつて共産圏を構成する国同士であったことぐらいか。加えて両国はともに国土の面積が広い。ポーランドは日本の約80%だが、ウクライナは約1.6倍ある。小国が舞台だった過去2回の共催大会に比べ、移動に労力を強いられることになった。

 電車が遅い。高速道路も整備されているとは言い難く、移動時間は、同じ距離でも他の欧州の先進国と比べて倍以上掛かった。飛行機も、両国をまたいで移動しようとする際、不便極まりなかった。直行便があるのはキーウ、ワルシャワの首都間ぐらいで、第三国を経由しなければならないケースも珍しくなかった。

 筆者が経験したのはドルトムント(ドイツ)経由、リガ(ラトビア)経由の移動で、東京からソウルに行くのに香港を経由するような、常軌を逸した飛行ルートである。サポーターも同様だ。観戦者は、苦行かと言いたくなるサバイバル旅行を強いられた。日本人は少なかった。観光旅行にあまり適さない国なので、その姿がなくても特に驚くことはなかった。

【現状を憂うしかないEURO2012の記憶】

 ただし、それは前回のEURO2008からすでに始まっている傾向だった。

 日本がW杯初出場を決めた1998年フランスW杯には、10万人もの日本人が現地を訪れている。2006年のドイツW杯も観戦熱は旺盛だった。日本のサポーターは世界的に見ても多いほうだった。ポルトガルで行なわれたEURO2004しかり。日本人の観戦者は出場していない国のなかでは断トツ一番の多さだった。

 EURO2008は、それが下り坂を迎えた瞬間だった。続く2010年W杯は南アフリカ、そしてこのEURO2012と、日本人が行きにくい場所で2大イベントは開催されたので、その数の激減に問題意識を抱くことはなかった。さらに2年後の2014年W杯の舞台はブラジルだ。サッカーの本場で開催されるW杯を観戦してみたいとの声は一瞬、高まったが、実際に現地に足を運んだサポーターは決して多くはなかった。とはいえ地球の真裏だ。他国のサポーターとの比較において、特段、少なさが顕著だったわけではない。

 それだけに、2018年ロシアW杯のスタンド風景はショッキングに映った。日本の初戦、コロンビア戦でスタンドを占めたのはコロンビア人サポーター。その数は2万5000人と言われた。日本人サポは辛うじて塊になっていたという程度だった。サポーターの数では出場32カ国中、ベスト16に遠く及んでいなかった。

 その2年前に行なわれたEURO2016はフランスが舞台だった。いやでも10万人の日本人が訪れた18年前と比べざるを得ない。海外サッカーへの関心が低下したのではないだろう。外国に足を運び、現地でサッカーを観戦しようとする意欲が低下したのだ。このサッカーファンの現状は、日本社会の現状を示すものでもある。

 EURO2024は、2006年W杯の舞台と重なる。比較するにはわかりやすいイベントだ。「18年前の日本人は元気だった」と述懐することになりそうである。サポーターの数が激減するなか、日本の選手は欧州でよく頑張っている。そんな見立ても大いにできる。

 EURO2012で優勝したのはスペインで、EURO2008、2010年の南アフリカW杯に続く3大会連続優勝という快挙だった。一時代を築いたことを世に知らしめる優勝だった。

 だが、この大会をいま思い出すと気が滅入る。当時の写真を見ると、現状を憂うしかない。
 
 たとえば、優勝したスペインが準々決勝・フランス戦と準決勝・ポルトガル戦を戦ったドネツクのドンバスアレーナだ。最新式スタジアムとして抜群の観戦環境を我々に提供したスタジアムである。筆者はその魅力をせっせとカメラに収めたものだが、ニュースを見ていて言葉を失った。遺体の安置場所になっていると報じられたのだ。

 12年前、スタジアムの周りに広がる草原のようなスペースは、各国サポーターが開放的なムードを満喫し、交流を深める場所だった。だが現在、その一帯には多くの戦車が乗り入れ、景色を一変させていた。滞在したホテル、入ったレストラン、メディアセンターで世話になったボランティア......数々の記憶が蘇るたびに心配になる。

【抜群だったポルトガル指揮官の采配】

 EURO2016はフランスで開催された。それまで16だった本大会出場国は24に増大。まるまる1カ月間に及ぶ、まさしくW杯級のトーナメントになった。フランス全土を旅して回った1998年W杯とイメージを重ね合わせながら、EURO2016の取材旅行の計画を練ったものだ。

 フランスW杯の時に拠点にしたのは、パリのマレ地区にあるプチホテルだった。18年後は趣向を変え、エッフェル塔に近いパッシー通りにあるアパートメントにした。

 もし日本でW杯があれば、宿も日本各地を転々とすることになる。東京から日帰りできる範囲は限られている。静岡でナイターの試合があれば、旅行者は現地に泊まらなければならない。だがフランスは、パリから遠く離れたトゥールーズやマルセイユにいても、試合後、パリに戻ることができた。新幹線を増便するからだ。

「サポーターがホームに残っている限り、列車を動かし続ける」と、フランスW杯の事前取材で、筆者はトゥールーズの駅長から聞いた。それで旅程はずいぶん楽になった。4年後に韓国とW杯を共催する日本でも、新幹線を夜どおし動かすべきと願ったが、結局、そんな話はいっさい、出なかった。


開催国フランスを破ってEURO2016で初優勝を飾ったポルトガルの選手たち photo by AP/AFLO

 EURO2016ではスロバキア、アイスランド、ウェールズ、北アイルランド、アルバニアの5カ国が本大会初出場組だった。出場枠増大の恩恵を受けたチームといって過言ではない。

 ベスト4進出のウェールズをはじめ、その多くは善戦健闘したが、その分、中身が薄まったという印象だった。「16のほうがよかった」と言いたくなるが、本大会出場枠が16どころか、24の時代でも日本はW杯に出場できなかった。初出場は32になってからだった。48チームで争われる2026年W杯を、「それでは中身が薄まる」とつい嘆きたくなるのだが、自分のことを棚に上げて......という話だろう。

 優勝したのはポルトガルだった。フランスとの決勝戦で、クリスティアーノ・ロナウドが前半の途中、ケガで退場。本命に推されていた開催国相手に、絶体絶命のピンチに陥った。

 そんななかでのポルトガルの優勝は、番狂わせと言ってよかった。振り返ればポルトガルはグループリーグの3戦をすべて引き分け、勝ち点3で3位通過していた。6グループの各3位チームのなかでポルトガルは3番目の成績だった。それは決勝トーナメント1回戦に駒を進めた16チーム中、15番目に相当する。ギリギリで通過したにもかかわらず、尻上がりに調子を上げ優勝した。決勝戦(=7試合目)から逆算するようなフェルナンド・サントス監督の采配に感心せずにはいられなかった。

 多くの選手を使い、戦術的交代を駆使しながら思慮深く勝ち上がっていくポルトガルの姿を学ばせたくなる日本人監督は多々存在する。指導者ライセンスの講習会でもお手本となるような采配だった。