銭湯と酒、酒場を愛するのんべえライター・本郷明美がニッポン各地で見つけた「遠くておいしい店」を巡ります。今回は、岩手県滝沢市へ。小岩井駅前にポツンとたたずむ焼鳥屋さんです。 おまかせコースで楽しめる“うれしい驚き” そこ…

銭湯と酒、酒場を愛するのんべえライター・本郷明美がニッポン各地で見つけた「遠くておいしい店」を巡ります。今回は、岩手県滝沢市へ。小岩井駅前にポツンとたたずむ焼鳥屋さんです。

おまかせコースで楽しめる“うれしい驚き”

そこで呑むためだけに旅をしたくなる、そんな一軒があります。

岩手県の小岩井駅前にぽつんと建つ焼鳥屋さん、名前は『焼処いっく』。北国の店だからこそ、冬になると隙あらば「行きたいなあ」と思う。雪景色が似合う、あの店に。

JR田沢湖線小岩井駅

盛岡駅から田沢湖線に乗り継ぎ、10分ほどの小岩井で降りる。小岩井駅は、小岩井農場へ向かう宮澤賢治がたびたび降り立った駅だという。1922(大正11)年創業当時、つまり賢治が乗り降りした頃の姿に復元した、可愛らしい木造の駅舎である。

創業当時のまま再現された待合室
宮澤賢治が幾度も降り立った駅

駅舎を出れば、『いっく』は目の前。温かな灯に包まれた一軒が、雪の中に現れる。窓からもくもくと漏れ出る煙を見れば、もうたまらない。「焼いてる、焼いてる」と心わくわくである。 

『焼処いっく』

「いらっしゃいませ。お久しぶりです。寒かったでしょう」と出迎えてくれる、店主・佐々木郁希さんと女将・りか子さん、スタッフの工藤諒太さんの笑顔がうれしい。カウンターは4席、奥に小さい部屋がひとつきり。盛岡を気に入って移住したいとこ夫婦のご縁で「いっく」を知り、訪れるのは今回が3度目だ。

奥左から、スタッフの工藤諒太さん、店主・佐々木郁希さん、女将・りか子さん。手前は本郷さんのいとこ・塩田博さん

『いっく』にはその都度うれしい驚きがある。おまかせコースの先付は、カブのすりおろし。上品なダシにカブの甘みが溶け合って、思わずほ〜っと息が出る。

続いて出された刺身も、とびきりおいしい。郁希さんは東京の和食店で修業をした後、故郷滝沢市で焼鳥屋を開いた。焼鳥以外の一品一品もまた楽しみなのである。

カブのすり流し

合わせるお酒も、多彩な銘柄が次々と繰り出される。

元気過ぎる「宗玄」の濁り酒

ある時「濁り酒が好き」と伝えると、「宗玄」の活性にごりが現れた。少し栓をゆるめると、とたんにシュワ〜ッと来る。強力な発酵力。ボールを用意し、フキダシ覚悟で必死に開けてくれるのが楽しく、うれしかった。

噴き出す濁りを必死で開けてくれる郁希さんとりか子さん

さて、この日はビールをいただきながら焼鳥を待つ。「おまたせしました!」と、気持ちのよい声とともに「ねぎま」がやってきた。焼きたて熱々をかじれば、鶏の旨みがあふれ出る。

次は「皮」。皮なのだけど、肉もしっかりと付いている。香ばしく焼き上がった皮目と弾力のある肉。こんな「皮」は初めて。

焼鳥「皮」

「白レバー」は濃厚なのにくどさがまったくない。埼玉県産タマシャモ、青森県産シャモロックなど鶏肉のよさも、備長炭の力もある。

焼鳥「白レバー」

けれど郁希さんの「一番おいしく食べて欲しい」という気持ちと、「今だ!今が一番うまい」という見極め力がものすごいのではないかな、なんて思う。

焼鳥「ハツ」
焼鳥「手羽」

春から秋の日曜かつ晴天時はテラス席を開放

「風の森」「新政」……おいしい焼鳥とともに、お酒ももちろん進む。幸せを噛みしめながら、キッチンを見れば、郁希さんとりか子さん、諒太さんの笑顔。諒太さんは、近所で生まれ育ち、『いっく』の焼鳥をよく買いに来ていたそうだ。その少年が、大学生になってアルバイトをすることに。3人の和やかさが、焼鳥をいっそうおいしく感じさせる。

岩手の酒「奥六」が焼鳥によく合う

店先に小学生くらいの男の子が焼鳥を買いにきた。

「お、ちょっと待っててね」と、焼き立ての焼鳥を包んで渡す郁希さん。諒太さんもあんな感じで買いに来ていたのだろう。実は『いっく』は持ち帰りがメインの焼鳥店。真空パック焼鳥の無人販売もあり、こちらも大人気だ。

はじめは、現在の場所から近い、郁希さんの実家の庭に小屋を建て営業を始めたという。おいしい焼鳥を食べて、立ち飲みができると、あっという間に大人気に。その頃の『いっく』でも飲んでみたかったなと思う。トイレもない建物で、「トイレに行きたくなったら、そろそろ帰る頃ということでした……」と笑う郁希さん。

ただ、あまりに忙し過ぎて「焼鳥をちゃんと楽しんでいただけない」と、小岩井駅前移転とともに持ち帰り専門店に。その後、予約限定で再び店内の飲食を始める。焼鳥とともにお酒やワインもゆっくり楽しんでほしい、郁希さんとりか子さんの願いが実現したのだ。

そして、コロナ禍も落ち着きを見せた2023年、テラス営業を始めた。春から秋の晴天の日曜に限り、テラスで焼鳥で一杯ができるのだ。かつての『いっく』を私は見ていないけれど、その頃の「わいわい」感が復活しているに違いない。店内ももちろんいいが、今度はテラス席で飲みに来よう、と誓う。

私たちもそうだが、盛岡からやってくる客が多い。

「電車か、たまにタクシーで来るお客様もいらっしゃいます」とりか子さん。盛岡から約10分という、この距離感がとてもいいんだろうなあ。わくわく感が増す10分間。おとなの遠足気分だ。私たちの遠足もあっという間……盛岡行き終電の時間21時22分が近づいていた。

慌てて身支度をして店を出る。郁希さん、りか子さん、諒太さんが雪の中を外に出て手を振ってくれている。「またいらしてくださいね〜」。ちょっと涙が出てしまう。「また来ますね〜」と叫んで、「賢治の駅」へと飛び込む。

見送ってくれるみなさん

岩手に来ると「人があったかいなぁ」と思う。『いっく』もまた、とびきりあったかい。滞在は4時間足らずのはずなのに、宿に泊まったような気分になっている。

取材・撮影/本郷明美

福島県古殿町出身。 自称のんべえライター。酒と酒場、銭湯と浸かった後の「湯上りビール」をこよなく愛する。
初めて吞んで以来盛岡周辺が大好きになり、年に数回訪れる。著書『どはどぶろくのど』、『ブラ酒場』(共に講談社)あり〼。