“マスコミ嫌い”中田英寿が残した「伝説」 不信感で驚きの行動…記者仰天「その手があったか」【コラム】
レジェンド中田英寿氏、現役時代の言動からパーソナリティ−を紐解く
日本サッカー界はこれまで数々の名プレーヤーを輩出してきた。
日本代表や欧州クラブで輝かしい実績を残した中田英寿氏はその1人。ワールドカップ3大会に出場したレジェンドは早くから世界に目を向け、21歳でイタリア1部セリエAへの挑戦を決断。その後、ワールドクラスの選手へと成長を遂げた。
2006年夏に29歳で現役を引退した「孤高の天才」は、一体どんな人物だったのか。「FOOTBALL ZONE」では改めて、中田氏が現役時代に示した言動を振り返り、秘めたるパーソナリティ−を紐解く。
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卓越したフィジカルとテクニックで日本を初のワールドカップ(W杯)に導いた、当時世界最高峰のセリエAで活躍して続く選手たちに道を開いた……。ピッチの中の中田英寿は、日本サッカーの歴史を変えた。ただ、ピッチ外での影響力もすごかった。マスコミを通さず、自らが発信者になるという新しいスタイル。日本のサッカー界、いやスポーツ界にとっても、衝撃的なことだった。
「何も話してくれません」。記者から泣きの電話が入る。試合後の取材エリアとして設けられているミックスゾーンを無言でスルー。何を聞いても目を合わすこともないという。デスクだった私は「話を聞いてこい」とは言うが、現場からは「無理です」。プロになった直後の「話好き」なイメージとは180度違った。
中田のマスコミ嫌いは、試合後の「攻撃に専念するために守備を犠牲にした」というコメントを切り取られ「守備を放棄した」と書かれたことが発端だと言われる。大きな原因だったのかもしれないが、それだけだとは思えない。もともとメディアに対する不信感があり、それが募っての行動なのだろう。
自戒を込めて振り返れば、確かに当時のサッカー取材には無茶な部分があったようにも思う。Jリーグブームは落ち着いたとはいえ、初のW杯出場に向けて日本代表ブームが訪れていた。代表選手の言動は、どんな小さなことでも原稿になった。人気も実力もある中田ならなおさら。コメントの中から一部を切り取り、無理にセンセーショナルな原稿に仕立てることもあったのではと反省する。
もちろん、しっかりとした取材は必要だし、正確性はさらに大切だ。それでも、ギリギリを「攻めた」報道もあった。言い訳がましいと思われるかもしれないが、根底にはサッカーを盛り上げたいという思いがある。専門誌と違って、新聞のように不特定多数を相手にするマスコミには、サッカーに関心がない層の興味を引くことも重要だった。ただ、的を外した原稿が選手やクラブ、関係者から大目玉を食らうことも決して少なくはなかった。
マスコミの報道に身勝手な部分があったのは否めない。ただ「選手の声を多くの人に届ける」唯一の方法が新聞やテレビだったのは確か。実際「取材拒否」にあってもわずかな時間で関係は修復された。選手やクラブにとって、ファンとつながる、一般に発信する術がマスコミしかなかったからだ。スポーツの現場とマスコミには、そんな関係性があった。今にして思えばかなり傲慢にも思えるが「そのうち、話してくれるようになるだろう」ぐらいに考えていた。
「自ら発信する」という時代を先取りした中田独自の発想
ところが、中田はそんな時代遅れの「常識」をぶち壊した。インターネット上に自身のサイト「nakata.net」を立ち上げ、自ら発信する道を切り開いた。サッカー選手としての活動はもちろん、プライベートなことまで発信した。これまでは新聞やテレビがニュースとして報じてきたことも、1人称で直接ファンに伝えた。
正直、驚いた。まだフェイスブックもツイッターもない時代だった。「その手があったか」と感心こそしたが、とても長続きするとは思えなかった。スポーツの世界では誰もやっていなかった発信方法。あまりに先鋭的過ぎると思った。
ところが、時代は中田に追い付いた。SNSの急速な発展で、誰もが自由に発信することができるようになった。サッカーだけでなく、多くのスポーツ選手の発言が、既存メディアのフィルターを通すことなくファンに伝わるようになった。スポーツの現場とマスコミの「なあなあな関係」は崩壊した。そのきっかけが中田だった。
もちろん、自分の考えを言葉にして伝えるのは簡単なことではない。しかし、中田は言葉を持っていたし、伝える能力もあった。自らの考えを周囲に伝えるための言葉の鋭さは、ピッチの中で自分の考えを周囲に伝えた鋭いパスと同じだった。「いつか話すようになる」という予想は大外れ。結局、使い古された「マスコミ嫌い」という言葉とともに、ピッチに数々の栄光を残して引退まで走り続けた。
引退後、中田は「旅人」になった。「なんだそれ?」と思わないでもなかったが、それも中田らしかった。語り尽くされたプレーだけでなく、サッカーを離れてもなお唯一無二の存在なのだ。サッカー界だけでなく、すべてのスポーツ選手に影響を与えたその言動。「自ら発信する」という時代を先取りした発想は、間違いなく「中田伝説」の1つだった。
(文中敬称略)(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)