関西風おでん(写真:yuri-px / PIXTA)

私が子供の頃、数十年前の東京のおでんといえば、醤油で真っ黒に煮染めたものでした。

一方、現在の東京におけるコンビニなどのおでんは、薄味の関西風おでんが主流を占めています。

そんな中、昔風の真っ黒なおでんの伝統を守っているのが、大正時代創業の「銀座お多幸」。


銀座お多幸のおでん(写真:筆者撮影)

ところがおでんの歴史を研究している新井由己の『日本全国おでん物語』によると、お多幸の創業者は元々神戸に在住しており、現在のおでんも昆布と薄口醤油を使用したおでんなのだそうです。

かつては真っ黒だった関西のおでん

「関東煮(かんとだき)」とよばれていた関西のおでんは、かつては東京のそれと同じく、真っ黒で濃い味でした。

新井由己によると、大阪の老舗「たこ梅」も甘辛の濃い味。大正時代生まれの大阪の人に聞くと、かつての家庭の関東煮もやはり「たこ梅」のような甘辛味だったそうです。

私が調べた戦前の大阪生まれの人々の証言においても、かつての関東煮は真っ黒で濃い味でした。

1923年大阪生まれの詩人・牧羊子の証言です。

“濃口は関東炊きの煮込みで代表されよう。蒟蒻のへりがチリチリと濃い醤油色に煮しまってこそ、関東炊きのかんとだきたる所以”

“たこ梅だけではない。戦前の大阪の街角では、名もない店、屋台のそれをすべて関東だきと正調でよんだものである。従って味つけも関東風にドドがらしくなくっちゃ駄目。うす味のおでんなんて得体が知れない”(牧羊子『味をつくる人たちの歌』)

1907年大阪生まれの歴史学者・宮本又次によると、大正時代の屋台の“煮え詰まった関東煮は黒ずんで見えた”(『関西と関東』)。宮本によると関西と関東のおでんの違いは、味や色の濃い薄いではなく、出汁を使うか否かなのだそうです。

1888年大阪生まれの画家・鍋井克之にとっても、子供の頃から関東煮といえば真っ黒。

“店先へ鍋を出して、ぐつぐつと煮詰めている大阪の関東煮は、どうしてこう黒っぽいのかと、昔からこれが気になっていた”(『大阪繁盛記』)

1962年に出版された『大阪ぎらい物語』においても、当時の造幣局の花見屋台、天王寺境内の屋台、海水浴の茶店、西宮球場周辺の店の関東煮は真っ黒だったと書かれています。どうやらこの頃(昭和30年代)までの関東煮は、まだ真っ黒だったようです。

そんな鍋井克之が薄味のおでんに出会ったのは、大阪ではなく東京の銀座においてでした。

薄味の関西風おでんは銀座生まれ?

“つい最近、東京の歌舞伎座の三階の『おでん』へ行ったら、白い色の味付けで、ツミレとかハンペンとか珍しかったが、あまり薄味なので、これはどこの何流やろかなどと、私達がしゃべっていると、給仕女の方できき取って、「これは関西流です」と、答えた。こうなると、何が何だかまごついてしまう”(鍋井克之『大阪ぎらい物語』)

上方の噺家桂米朝が 「関西風関東煮」という奇妙な店に出会ったのも銀座でした。

“一五年ほど前に、東京の銀座裏で「関西風関東煮」という看板を出した店を見たことありますな”(石毛直道『面談たべもの誌』)

牧羊子にとっても、薄味の関西風おでんは銀座あたりのもの。関西へは東京から逆輸入されたのだそうです。

“東京の銀座あたりで、関西風おでんと称して、うす味のだし汁の中で浮き沈みしている蒟蒻、揚げ、豆腐、竹輪というのくらい得体の知れないものはありません。それをまた、関西側が逆輸入しているのですから”(牧羊子『おかず咄』)

新井由己によると、薄味のおでんの老舗といえば1929年創業の銀座「一平」(現在は日本橋に移転)。

“薄味おでんは、実は東京生まれということは、ほとんど知られていない”(『NITTOKU NEWS』No.64 2014年新春号所収「おでん礼賛」)

どうも関西風の薄味おでんの元祖をたどっていくと、関西ではなく、東京の銀座に行き着くのです。

私は、関西風の薄味おでんの発祥地が東京である可能性はあると思います。

というのも、現在天ぷら界の主流となっている関西風天ぷらも、東京生まれだからです。

東京と関西風天ぷらの違い

 伝統的な東京の天ぷらは、

・ごま油で揚げる

・ころもが茶色く厚い

・濃い醤油味の天つゆで食べる

という特徴がありますが、現在主流の関西風天ぷらは以下のようなものです。

・植物油などの香りの薄い油で揚げる

・白く薄いころも

・薄味の天つゆや塩で食べる

銀座の天ぷら老舗「天國」2代目主人露木米太郎によると、この関西風天ぷらは、関東大震災後東京に進出してきた関西系料理店、あるいは関西料理の流行を取り入れた東京の店が始めたそうです。

“震災後料理方面(天ぷらを含む)では、特に関西人の進出が目立って多くなりました。昭和の時代には、江戸時代からの有名店でも、関西風を取り入れるようになったので、懐しい江戸前の味も、追々と無くなり”(露木米太郎『天ぷら物語』)

大正時代の関西で天ぷらを出していた店といえば、大阪の梅月か天寅ぐらいしか存在しませんでした(野村雄次郎『天麩羅通』)。

これらの少数の店が関西風天ぷらを生み出したという形跡はなく、東京に進出してきた関西系料理店は、どうやら東京において関西風天ぷらを生み出したようなのです。

天ぷらのように、昭和初期の関西料理ブームの影響を受けて、東京において関西風の薄味のおでんが生まれた可能性も、十分にあると思います。

(近代食文化研究会 : 食文化史研究家)