北海道、東北、信越から撤退するイトーヨーカドー。栄華を極めたGMSは、一体どこでつまずいてしまったのでしょうか(筆者撮影)

GMS大手の「イトーヨーカ堂」が、北海道と東北、信越にある「イトーヨーカドー」の全17店舗を、今春から順次閉店することがわかった。

近年、GMSは苦境を強いられており、特に地方立地店舗では郊外型店舗への客足流入などで苦しい状況が続いている。撤退店舗の半分は譲渡先の企業が決定したというが、まだ半分は譲渡先が決まっておらず、もし完全閉店となれば、買い物難民が生まれる恐れもある。

一時は日本を代表するGMSとして名を馳せたヨーカドー。そんなGMSの王者は、どこで道を誤ってしまったのか。今回は、ヨーカドー拡大の歴史を追いながら、その立地戦略に注目してヨーカドー苦境の理由について迫っていこう。

ヨーカドーの前身は「羊華堂洋品店」

ヨーカドーの前身である「羊華堂洋品店」は1920年、東京・浅草に誕生した。創業者は吉川敏雄で、後にヨーカドーを立ち上げる伊藤雅俊の叔父にあたる人物。太平洋戦争ののち、この洋品店を引き継ぐ形で、雅俊は足立区・千住で羊華堂の事業を再開する。

1948年に法人化、1965年に株式会社・伊藤ヨーカ堂を設立し、店名もイトーヨーカドーとする。折しも日本は高度経済成長期の只中にあり、その中でヨーカドーは出店攻勢を続け、大きく営業を拡大していく。

1970年代には業務提携に積極的に動き、札幌の「山の手ストアー」や長岡の「丸大」、平塚の「ダイクマ」などと手を組み、こうした提携を通して、特に関東、東北、北海道にその店舗を集中させていくやり方で成長を重ねていく。

そのやり方は同時期にGMSとして拡大を続けていたダイエーと比べると特徴的だ。『総合スーパーの興亡』(三品和広・三品ゼミ著/東洋経済新報社)では、「拡大のダイエー」に対して「集中のイトーヨーカドー」と書かれている。

出店地を慎重に選び、なおかつ近隣地域に多数出店するドミナント方式を選択することで、その地域でのプレゼンスを上げ、存在感を高める方式を選択していたわけである。


現在のイトーヨーカドーの店内(筆者撮影)/配信先では写真をすべて見ることができません。本サイト(東洋経済オンライン)内でご覧ください

イトーヨーカドーの立地は基本的には「駅前出店」を柱としている。駅前の一等地に大きく建物を構え、駅前集客を狙うやり方である。そのため、かつては出店にあたって地元商店街や地域の小売店ともトラブルになるケースが多く、1986年には『イトーヨーカドー残酷物語』なる書籍まで出版されるほどであった。

業界トップに躍り出た「イオン

とはいえ、すでに多くの論者が指摘している通り、現代での移動手段は、鉄道から車に移り変わってきている。特にモータリゼーションの文脈でいえば、戦後から現在に至るまで自動車保有台数は増加の一途をたどっており、車社会化の進行が著しい。

それに併せて小売店も変化を遂げてきた。特に、2004年にイトーヨーカドーの利益率を抜いて業界トップに躍り出た「イオン」は、「イオンモール」を中心としてロードサイド沿いにイオンモールを展開、全国各地にイオンモールが誕生し、いまやイオンは、我々日本人には欠かせない商業施設となった。


もはや日本人に欠かせない商業施設となったイオン(撮影:今井康一)

また、いわゆる、1ジャンルの商品に特化した「カテゴリーキラー」と呼ばれる小売店もロードサイド沿いに集中的に出店が相次ぐ。

「ヤマダ電機」をはじめとする家電量販店や、家具の「ニトリ」、アパレルの「ユニクロ」など、ある種類の商品に特化しているために品質は高く、また、値段も安価で手に入ることから、わざわざ駅前にあるイトーヨーカドーに行かなくてもこうした店で顧客のニーズは十分叶えられるようになった。

食品から衣料品、雑貨まで多種多様なものが一つの場所で手に入ることがGMSの強みではあったが、逆にそうした総花的な品揃えが、品質、値段ともにカテゴリーキラー、そしてそうした、カテゴリーキラーを多く有するショッピングモールに負けているわけだ。

こうしてみると、駅前立地のヨーカドーの厳しい状況が見えてくる。

19期連続の増収と好調が続く「ライフ」

一方で、こうした都心の駅前立地を守りつつ、好調なGMSがある。「ライフ」だ。


食品スーパーの「ライフ」。競合たちが衰退していくなか、改革に成功して増収を続けている(撮影:今井康一)

ライフの業績は好調で、2023年には、実質利益で19期連続の増収を果たしている。中井彰人はその好調の理由を、「主な品揃えを食料品に絞ること」と「関東・関西の二大都市圏に出店を絞る」に求めている(数あるスーパーで「ライフ」が勝ち残った納得理由)。

すでに述べてきたように、衣料品や家電など、GMSが扱う非食料品部門はカテゴリーキラーが強く、GMSにとって弱みとなっている。そのとき、まだ勝ち目のある食料品部門の扱いを大幅に増やすことに舵を切ったのが、ライフであった。

また、出店立地に関していえば、モータリゼーションの影響を地方ほどには受けない、東京・大阪という二大都市圏に集中して出店を行ったことが、ライフの強みとなった。

それによって、モータリゼーションが進み、ロードサイド沿いのショッピングモールやカテゴリーキラーが猛威を振るう時代においても順調に経営を続けることができたのだ。

先ほど見た通り、ヨーカドーもまた、「集中のイトーヨーカドー」と呼ばれるぐらいには、出店地域を絞ってはいた。とはいえ、それはライフほどには徹底されていなかったのである。


大きな店内だが、大きすぎてスペースが余っており、寂しさを感じさせる店内(筆者撮影)

今回、ヨーカドーが撤退を決めた北海道、そして東北、信越の店舗はまさに、こうしたモータリゼーションの煽りを受けたのであり、その点で「集中」がライフほどにはうまく機能していなかったことがわかるのである。

こう見ていくと、ヨーカドーに足りなかったのは店舗立地戦略の「徹底」だったと思えてくる。

土地のニーズに応えた「ドン・キホーテ

もう一つ、駅前にも多く店舗を展開して、好調なのがパン・パシフィック・インターナショナルが運営する「ドン・キホーテ」だ。

創業からしばらくはヤンキーたちが集まる怪しげな店、というイメージが強かった同店だが、現在ではユニーをはじめとするさまざまなスーパーを買収して「MEGA ドン・キホーテ」などに変え、32期連続増収を達成している。

ドンキの強みは徹底した「個店主義」で、現場社員に、売り場に関する決定権を与える「権限委譲」を行っている。このやり方で、全国各地、津々浦々でその土地のニーズに見合った店舗空間を誕生させてきた。

実は、ヨーカドーも「新個店主義」を掲げ、「7id」のデータを活用してそれぞれの店舗ごとでの店舗展開を行おうとしている。

しかし、ドンキとヨーカドーではそもそもの社風がまったく異なる。ドンキは創業当時から、創業者の安田隆夫を先頭に、徹底して社員に権限を持たせる社風を築き上げてきた。だからこそ、店舗数が増加した現在でも、「チェーンでありながら、個人経営の商店のようである」というバランスを保っている。


北海道・苫小牧にある「MEGAドン・キホーテ」はもともと、「ファンタジードーム」というテーマパークだった。柔軟な企業風土が居抜き出店にも表れている(筆者撮影)

一方、ヨーカドーは一般的なチェーンオペレーションを忠実に守ることで利益を伸ばしてきた。つまり、本部のやり方を全国に増やしていくやり方で店舗を拡大してきた。

本部主導、中央集権的なトップダウンの社風を、いきなり草の根的なボトムアップ型の経営にするのは非常に難しいし、おそらくその方向でいっても、ドンキには勝てないだろう。

ちなみに閉店したイトーヨーカドーの店舗が居抜きでそのままドンキになる例は多く、それもまた、ドンキとイトーヨーカドーの現在の姿を表しているような気がする。

時代の波についていけなかったのが敗因か

イトーヨーカドーの歴史を紐解いていくと、ある段階から時代の波についていけなかったことがわかる。

そして戦略の変更を行おうと思ったときには、時すでに遅し、「個店主義」ではドンキがすでにリードしていたし、ヨーカドーの強みでもあった「集中」でいえばライフのほうが徹底していた。


ある意味で、すべてが中途半端になってしまったのが、現在のイトーヨーカドーの姿なのであろう。

北海道・東北の店舗を閉鎖し、都心店に注力するというのが、今回のイトーヨーカドーの施策である。それはある意味で、下町から出発した、地元密着型のスーパーに先祖帰りするということを意味しているのかもしれない。

今回の記事では、日本の商業の歴史の中でイトーヨーカドーについて、マクロな視点から見てきた。では、実際に都心店を中心にしたとき、ヨーカドーにはどのような「勝ち筋」があるのか。

次の記事では、東京23区にあるイトーヨーカドー全15店を回って見えてきた、ミクロな視点でのイトーヨーカドーの「勝ち筋」について考えてみたい。

(16日19時、編集部追記)後編が公開されました↓

イトーヨーカドー、23区全店訪れて見えた"厳しさ"

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)