帝京大を1年でシード校復帰に導いた中野孝行監督 photo by Wada Satoshi

帝京大・中野孝行監督インタビュー 前編

 今回の箱根駅伝に17年連続での出場となった帝京大は、往路12位から復路6位としぶとくタスキをつなぎ、総合9位に入り1年でシード権を再奪取。大エースがいるわけでもない。主力の欠場もありながら、予選会、本戦と、いかにハイレベルな争いを戦い抜いたのか。指導歴18年目のシーズンを終えた中野孝行監督にあらためてこの1年を振り返ってもらった。

【その立場にならないとプレッシャーって感じられない】

――前回の箱根駅伝は13位に終わり6年ぶりにシード権を逃しましたが、今回は9位に入りシード権を取り戻しました。シード落ちした昨季と今季とでは、チームのどんな点が違っていたのでしょうか。

「今季は、みんながみんな、シード落ちしたことの重大さをすごく感じていたと思います。レギュラークラスの選手たちは特にそう。彼らは今まで予選会をいっさい経験しないできました。全日本大学駅伝も今の4年生が下級生の頃はシード校でしたから。それが昨年度は関東地区選考会で敗退してしまった。まず、そこで予選を通ることの大変さを感じたと思います。

 今季は箱根も予選会からの出発となりましたが、同じ失敗を繰り返さないように、彼らは必死になったんだと思います」

――合宿所の掲示物が、例年だと「箱根駅伝まであと○日」となっているのが、今季は「箱根駅伝予選会まであと○日」となっていたことがショックだったと選手の皆さんも口にしていました。

「"駅伝競走部"を名乗っているのに、今季は年度初めに何ひとつ(出場が)決まっていない状況でしたから、"駅伝競走部"ではなく、ただ単に"集まり"にすぎなかった。

 危機感って何なのかなと思いながら、その立場にならないと、プレッシャーって感じられないんですよね。これまで予選会がなかったから他人事のように思っていたのが、現実になったことで危機感を感じた。だから、時々は、予選会に回らないとダメなのかもしれませんね(笑)。でも、やっぱり予選会は経験したくないですよ。眠れなくなりますから」

――予選会から勝ち上がってシード権を獲るのも大変です。

「そうですね。今回は予選会からは2校だけ(帝京大、大東大)。やっぱりきつい。過去にはゼロの時もあったし、予選会トップ通過でも必ずシード権を獲れるとは限りませんから」

――第85回(2009年)から88回(2012年)は4年連続シード落ちもありましたが、それ以降は、5年連続シード権もありますし、2年続けてシード権を逃していることがありません。

「5年連続でシード権を獲っていたので、今回は予選会を経験しているのが指導陣だけだったんです。昨年度の全日本選考会で難しさを痛感したとはいえ、箱根予選会は選手全員が初めてですから、予選会を知らなすぎることが怖かった。

 私が学生の頃は、牧歌的な時代だったから予選会は走れば通るという変な自信がありました。確実に通るのがわかっていればいいけど、通るかわからないのはやっぱりストレスになります。今の予選会は、どんなに強い選手がいても、メンバーが揃っていても、落ちる可能性があるし、現に落ちているチームがある。今回は、ものすごい怖さがありました」

【毎年、シードを獲れると思ってスタートしていない】

――シード権を取り戻す以前に、予選を通過することに対して、そんな怖さがあったんですね。

「ただ、100回記念大会で、予選会からは13校が出られる、という運がありました。逆に言えば、13位以内で通ればいい。

となると、ひとり平均(ハーフマラソンの距離で)64分で通過できるという計算ができます。5kmを15分15秒ペースで押していけばいいということです。だから、思い切って12人全員で集団走をやろう、などと考えたこともありました。リスクを考えたら、貯金がほしいので、結局は何人かはフリー走行させましたが。

 それともうひとつ、夏休みが短かったので、大学の授業が始まっても選手たちには結構走り込ませました。全日本を考えれば走り込んでおきたかったんです。箱根予選会は通ればいいと考えていたので、疲れを残したままでも構わないと思っていました。

 ところが、走り込ませたおかげで抵抗力が弱くなったのか、9月20日頃に集団で新型コロナに感染してしまいました。罹患した選手は当然休ませないといけないし、誰がかかるかわからないから、罹患していない者も練習を落としました。方向転換せざるをえなかったので、結果として箱根予選会はよかったのですが......。そこで力を使ってしまったし、溜めもなかったので、全日本にとってはよくなかったのかな」

――予期せぬアクシデントではありましたが、その経験が箱根本戦に生きたところはあったのでしょうか。

「そうですね。逆に、箱根本戦は慎重になれました。いや、なっちゃった、と言ったほうがいいのかな。というのも、他の大学でインフルエンザが流行っているというのを噂に聞いたので。そんな噂は安心材料にはなりませんが、うちはそうならないようにと、より注意していました」

――慎重になった結果、箱根に向けてコンディショニングもうまくいったということでしょうか。

「はい。コンディションは良かったと思います。1週間前の10kmのトライアルも、過去最高のクオリティーでした。靴のおかげもあるので10秒、20秒は差し引いて考えなければいけませんが、この程度の練習でこんなに走れるんだ、って思うぐらいの出来でした」

――シーズン当初、1年でシード校に返り咲けるという見通しはあったのでしょうか。

「そうは思いませんでしたね。もっとも、毎年、シードを獲れると思ってスタートしていません。夏にしっかり練習ができれば、これなら10番から漏れることはないな、っていう好感触を得られることもありますが、自分たちの位置がどこになるかはギリギリまで分かりません」

【主将・西脇が果たした大きな役割】

――本番では、主将の西脇翔太選手(4年)が1区区間7位と好スタートを切りました。

「彼は真面目で責任感が強い。もうちょっと緩めてもいいんじゃないのと思うほどです。それゆえに一生懸命にやった結果、全日本では選考会でも本戦でも失敗してしまいました。でも、その失敗をそのままにしておきたくはなかった。重要なところでチャレンジさせたいと思っていたので、1区か7区かで考えていました。

 2年連続1区を走っている小野(隆一朗、4年)の調子も上がってきていたけど、(夏以降不調が続いていたので)不安がある。そこで、西脇に『1区は、お前か小野を考えている』と伝えると、西脇が『僕が行きます』って言ってくれたんです。悩むようなら、私も彼を1区に起用しなかったかもしれません。それを聞いて、"よし、いける"って思いました。

 彼は、混戦の中で、先頭が見える位置で来てくれました。種目は違えど、オリンピアンの三浦龍司選手(順天堂大4年)にも勝ってくれた。良い働きをしてくれました。彼は本当にキャプテンとしての役割を果たしてくれたと思います」

――1区に西脇選手は意外なオーダーでした。

「全日本で1区を走った福田(翔、3年)の調子が上がらず、1区がきついなと悩んでいた時に、コーチの杉本(昇三)が「西脇の1区はないんですか?」って提案してくれました。スタッフも選手たちをよく見てくれています」

――7区の小野選手も大きかったと思います。山でシード圏外まで順位を落としましたが、小野選手が区間2位と好走し、悪い流れを断ち切りました。

「7区は"復路の2区"ですから。今回、(区間ごとの)帝京大記録を更新したのも小野だけでした。本当は区間賞を獲らせたかったんですけどね。でも、彼は2週間前に「目標は区間10位以内」と言ってきたんですよ(笑)。それはダメだよ、と。そんなやりとりがありました」

――不調だった小野選手が好走した一方で、今季活躍が目立っていた福田選手が走れませんでした。

「11月下旬の1万m記録挑戦会の後、少し休ませたんですけど、その前に練習が積めていなかったこともあって、最後の調整で踏ん張りがききませんでした。練習ができていないなかで、どのぐらいで走れるかと思って1万m記録挑戦会には出場させたんですけど、結果として、あそこをスキップさせればよかったのかな。やめさせる勇気って、すごく必要だなと思いました。こんな歳(60歳)になっても、そんなことを思っちゃうんですよね。

 福田は予選会も全日本も頑張ってくれたし、西脇や小野が苦しんでいた時にも踏ん張ってくれた。考えれば考えるほど、福田を使いたかった。彼を走らせられなかったのは全部、私のミスです」

――総合9位という順位はどう評価されているのでしょうか。

「5位から13位の間だと思っていたので、ちょうど真ん中ぐらい。無難だったのかな。シード権を獲る苦しさはすごく感じました。シード権を獲れたことはほっとしています。でも、ああしておけばよかったっていう反省もありますし、やっぱり悔しさもどんどん出てきますね」

後編〉〉〉帝京大・中野孝行監督インタビュー

【Profile】中野孝行(なかの・たかゆき)/1963年8月28日生まれ、北海道出身。北海道白糠高→国士舘大。現役時代は箱根駅伝に4年連続出走。大学卒業後、実業団で競技生活を続け、引退後に指導者となる。2005年11月に帝京大駅伝競走部監督に就任すると、2007年から今年まで17年連続で箱根駅伝出場を継続中。最高順位は、総合4位(2020年)。2021年卒業の星岳(コニカミノルタ)は、オレゴン世界陸上マラソン代表。