「見とけよ、俺は変わったぞ」トム・ホーバスHCに猛アピール 「リアル桜木花道」川真田紘也がバスケW杯メンバーに入るまでどう過ごしたのか
W杯の経験を経てさらなる成長を誓う川真田紘也 photo by SHIGA LAKES
「リアル桜木花道」川真田紘也インタビュー 前編
バスケットボールを始めたのは中学校から。大学まで全国大会出場の経験なし。しかし、204cm、110kgの恵まれた体躯とどんな相手にも臆さないメンタルの強さで12名の2023年FIBAバスケットボール ワールドカップ日本代表メンバー入り。川真田紘也(滋賀レイクス)は、ワールドカップ・アジア最上位(19位)の成績でパリ五輪出場権を獲得したチームにおける"シンデレラボーイ"だった。
非エリートの出自とインサイドでの泥臭いプレースタイル、ワールドカップ前に染めた赤髪から「リアル桜木花道」として話題を集めた川真田にとって、昨夏のワールドカップは初めて尽くしの経験。過酷な選考のプロセス、渡邊雄太(フェニックス・サンズ)や比江島慎(宇都宮ブレックス)らメンバーたちから学んだこと、晴れ舞台で手に入れたさまざまな経験について聞いた。
――約4カ月近く時間が経ちましたが、あらためて昨夏のワールドカップはどんな大会でしたか?
「僕は代表候補に"入っては落ちて"の繰り返しだったので、まずはワールドカップのメンバーに入ることが最大の目標でした。なので、12人に選ばれたこと自体が自分にとってとても大きなことでしたし、日本が自力でパリ五輪を決めるという歴史的瞬間に立ち合えてすごくうれしかったです。ただ、一方で試合にあまり出られず(1試合平均出場時間は6.4分)、プレーで貢献できなかった悔しさもありました」
――約1年4カ月(2021年11月から23年2月まで)、計6ウィンドウ(節)にわたって行なわれたワールドカップのアジア予選で(日本は開催国枠でのワールドカップ出場権を保持した上で予選に参加)、川真田選手が代表候補入りしたのはウィンドウ3(2022年6月27日―7月5日)と4(2022年8月22日―30日)のみで、いずれも候補止まりでした。正式メンバーからの落選が判明した時は落ち込みましたか、それとも逆に奮起されたのでしょうか。
「落ちる時って絶対に(ヘッドコーチの)部屋に呼ばれるので、呼ばれた瞬間に"ああ、落ちたな"ってわかるんですけど、めちゃくちゃ落ち込むことはなかったです。落ちるのには理由があって、何かが足りないから落ちる。トムさん(ホーバス・ヘッドコーチ)はその都度、『もっとこうしてほしい』ということを言ってくれて課題を明確にしてくれました。だから、 "次の選考までにここを頑張ろう"と考えることができたのは、大きかったと思います」
――ウィンドウ6(2023年2月20日―28日)は直前合宿招集メンバー発表のリリースに「川真田選手は育成強化合宿として参加」と注釈をつけられていました。いい気持ちはしなかったのではないでしょうか。
「候補メンバーには大学生もいたのに、僕だけ練習生。その時はいつも以上に"やったるぞ、なめんなよ" "絶対に俺のほうが(やれる)"って思いました。プロとして、大学生には負けんぞって。合宿に呼ばれるのは、練習生の立場であっても、何かきっかけさえあれば絶対メンバーに入れる可能性があると思って、エネルギーを持って合宿に参加しました(実際のこの時、代表メンバー入りを果たす)」
――渡邊、比江島、富樫勇樹(千葉ジェッツ)といったベテラン3人をはじめアンダーカテゴリーから豊富な代表経験を持つ選手が多くいる中、川真田選手がA代表候補に初選出されたのは2022年。アンダーカテゴリーの経験もなく、Bリーグで目覚ましい活躍をしていたわけでもありません。落選を「仕方ない」ではなく「次こそ頑張ろう」と前向きにとらえられた理由は?
「なんで、でしょうね......。でも、最初に候補に入ったころはワールドカップなんて全く視野に入っていなかったですよ。ウィンドウ1に練習生として呼ばれたときも、本当に「なんで呼ばれたん?」みたいな感じでした。僕は周りを知ってるけど、周りは僕を知らない。Bリーグで戦うことだけで必死で、日本代表にはなかなか気持ちが持って行けなかったですし、その時は、いい経験ができたな、くらいでした。
ただその後、ウィンドウ3、4とまた候補として呼ばれて、"何かがあるから呼んでくれている" "何かができればメンバーに選ばれる"と思うようになりました。よくわからないですけど、選ばれている以上は(全力で)やり切りたいみたいなメンタリティだと思います。すいません、うまいこと言えなくて」
【代表メンバーから学んだこと】――いえいえ、大丈夫です。落選時にホーバスコーチから言われた言葉で、自分がいい方向に行くきっかけになったことはありますか?
「ウィンドウ4の時にバスケ以外のところでけっこう怒られまして......。『それでは選ばれないです』と、24歳にもなって久しぶりに怒られました(笑)。そのせいでウィンドウ5(2022年11月7日―15日)に呼ばれなかったかもしれないですけど、ウィンドウ6は練習生とはいえ呼んでもらえたので、"見とけよ、俺は変わったぞ"ってアピールしていました」
――技術面ではどういう部分を磨くことを心がけましたか。
「トムさんのバスケは3ポイントが主体で、僕も『打っていいですよ』と言われていました。でも、僕はシュートがうまい人たちに3ポイントを打たせるためのスクリーン、リバウンド、ディフェンスをしっかりやることがメンバー入りへの近道と考えて、そこを重点的に取り組みました」
――体を使って相手ディフェンスを抑え、河村勇輝選手(横浜ビー・コルセアーズ)や比江島選手のドライブのコースを開ける「クリアアウト」も素晴らしかったです。
「僕たちはチームスポーツをしているので、自分が点を取ったり試合に出て勝つのが一番うれしいですけど、その次にうれしいのは仲間が点を取ってチームが勝つこと。ワールドカップはそういうプレーが僕の生きる道だと思っていたので、得点につながってすごくうれしかったです」
――経験豊富な先輩たちと共に過ごす中で、学んだことや感じたことはありますか?
「これは代表メンバー全員に言えることですが、1個のミスでも『なぜミスしたのか』『もっとこうすればいいんじゃないか』という話し合いをしている。それを一つひとつ積み重ねている姿を見て、やっぱりうまい人は探求心が強いんだなっということを学びました。でも、オフは結構ワイワイして、そういうのも大事なんだと(笑)。
それは先輩だけでなく後輩も同じで、富永(啓生=ネブラスカ大)や河村は後輩とは思えない落ち着きっぷりがあったし、自分の芯があって意見もはっきり言う。すごいなと思いました。先輩・後輩関係なしに尊敬できる人がいっぱいいたチームでした」
――中でもチーム最年長(33歳)で得点面で際立つ活躍を見せた比江島選手とは非常に親密になったようですね。比江島選手が川真田選手のことを「僕のメンター」と言っていて驚きました。
「出会って1年くらいなんですけどね。確か、西田(優大、シーホース三河)か吉井(裕鷹、アルバルク東京)が比江島さんに冗談を言っていて、僕も絡み出したのがきっかけだと思います。本当に面白い人なので......いや、内心では怒っているかもしれないですけど(笑)、後輩につき合ってくれていました。僕はもう金魚のフンのように比江島さんの横にいましたから(笑)」
代表では体を張ったプレーで存在感を示したphoto by YUTAKA/AFLO
――ワールドカップは、世界規模の国際大会を経験されるのは初めての機会。会場の雰囲気や試合の高揚感はいかがでしたか。
「日本開催ってことで会場にはすごい力がありました。試合自体は......緊張しないと思っていたら、思ったより緊張してしまいましたね。ドラマのようにはうまくいきませんでしたけど、本当にいい経験ができたと思っています」
――対戦国はフィンランドを筆頭に、日本より高さのあるチームばかりでしたが、ここは通用するなと感じた部分はありましたか?
「僕よりもでかくてうまいのが当たり前だったので、技術的な部分ではなかなか通用しないと思っていました。とはいえ、僕もワールドカップ出場までにたくさん試合を経験してきたので、短い出場時間の中で泥臭くやることはできたと思います」
――大会を終えて「やり尽くしたな」と「もっとやれたな」、どちらの印象のほうが強かったですか?
「もっとうまいことやりたかった、試合に出たかったって気持ちはもちろんありました。ただ、あの大会、あのメンバーでの僕の仕事はジョシュ(・ホーキンソン、サンロッカーズ渋谷)を休ませることだと思っていたので、少しでもジョシュが休めるようにという気持ちで臨んでいました」
――ベンチでもコートの選手を鼓舞したり喜んだりと全力で躍動されていましたが、多少はコートに立てない悔しさもありましたか?
「試合中は全然思ってないです。と言うのも、僕たちはチームだからです。いつジョシュがケガして僕が出ることになってもおかしくないので、いつも準備はできていました。僕らが騒げばファンの人も絶対にそこに乗っかってくれると思いましたし、コート上の選手には『あの選手はこういうプレーしてくるよ』みたいな声かけもしていました。そういうことが少しでもコートに届いて援護になればいいと思い、もう全力で応援して、コートでも出る時間は短くても全力でやる――それを必死にやった感じですね」
――「相手が世界だから」というようなことは考えず、自分が置かれた立場で全力を尽くした。
「そうですね。相手は相手って感じですね。世界とはいえ、相手は相手。Bリーグだろうが世界だろうが、もう自分のやれる仕事をやるしかないと思っているので。滋賀では15分とか20分ぐらい出場時間をもらっているけれど、ワールドカップのメンバーの中ではそうではない。だったらベンチで応援する。そこはもう割り切って、という意味ではなく、自分でできることは全力でやるだけです」
――全力を出して最終メンバーに残り、最後まで戦った。パリ五輪もあります。
「僕の選出はたぶん、渡邉飛勇(琉球ゴールデンキングス)のケガや八村塁さん(ロサンゼルス・レイカーズ)の欠場も影響しています。そうしたこともありつつ、いろいろなことが重なって僕が選ばれた。だからこそ"選ばれた以上は全力で"という気持ちが強かったと思います。パリではもっと試合に出たい、もっと活躍したい、自分が出て勝ちたいと思っているので、それだけの力をつけて選考に臨みたいです」
【Profile】川真田紘也(かわまた・こうや)/1998年6月16日生まれ、徳島県出身。城南高(徳島)→天理大→佐賀バルーナーズ→滋賀レイククスターズ(現・レイクス)。中高校時代は全国大会の経験はなし。天理大では主力として活躍し、名を馳せたのは大学4年時で、インカレでは優勝することになる東海大相手に奮闘。Bリーグの佐賀と特別指定選手として契約し、卒業後の2021年に滋賀とプロ契約を果たす。2022年に日本代表候補に名を連ねると2023年2月に行なわれたワールドカップ・アジア地区ウィンドウ6のバーレーン戦で初の日本代表入り。同年夏のワールドカップ日本代表最終12名のメンバー入りし、4試合に出場を果たした。愛称は「マイキー」。