「サッカーどころではなくて喧嘩のよう」「私のレフェリングがダメだった」元レフェリー・村上伸次が審判目線で語る思い出に残る3試合
2021年シーズンを最後に、サッカーのプロレフェリーを引退した村上伸次さんが、ピッチ上の「審判目線」から印象深かった試合を語る。今回は村上さんが担当したなかで、思い出に残る試合を挙げてもらった。
【思い出深い国立でとくに印象に残っている】2012年9月29日/J1第27節
柏レイソル 1−2 浦和レッズ
改修前の国立競技場は多くのサッカーファンにとってもそうだと思うんですが、東京出身で大学まで東京にいた私にとっても思い出深い場所です。例えば1977年のペレさんの引退試合や1984年の釜本邦茂さんの引退試合など、世界的な名プレーヤーの最後の晴れ舞台を見てきました。
元審判・村上伸次さんが思い出に残っている担当試合を語ってもらった photo by Getty Images
また、1985年のトヨタカップでは、ユヴェントスのミシェル・プラティニのゴールがオフサイドで取り消され、ピッチに寝転がるあの名シーン。当時、高校生だった私は会場整理をしていて、間近で見ることができました。
その国立にレフェリーとして立つのも、私にとって特別なことでした。思い出深い試合もたくさん担当してきました。とくに印象に残っているのは、2012年のJ1第27節の柏レイソル対浦和レッズ。この年に国立が改修されることが決まったんですよね。
前半15分にオウンゴールで柏が先制して、浦和は前半39分に梅崎司選手が同点弾を決め、後半はスコアが動かずにそのまま試合が終わるかと思った時でした。
柏のFKのボールを浦和のGK加藤順大選手がキャッチ。そのあとパントキックではなく、ロングスローでハーフウェーラインあたりまで投げたんですよ。ボールの行方を追いかけながら「サッカーボールってロングスローでこんなに投げられるもんなんだ」とびっくりしましたね。
そのボールを矢島慎也選手がヘディングで後ろへ逸らして、ペナルティーエリア手前にボールが落ちたんです。そこへ戻った柏のMF栗澤僚一選手と、飛び出したGK稲田康志選手が接触しそうなところを、浦和のポポ選手が先に触ってゴールへ押し込んだんです。
レフェリング的には今のシチュエーションでいうDOGSO(決定的機会の阻止)の可能性があるので、レフェリーとしては絶対に見落としてはいけない場面。3人が接触するかもしれないというのは、レフェリング的には見極めが非常に難しいんですよ。
まず接触があるのか、その時どちらがファールをしているのか。DF側がファールをした時にDOGSOに該当するのか。FW側もハンドをしているかもしれない。そういうところをあの時間帯に80mくらいをフルスプリントしながら全部見なければいけない。まだVARもないし、当時43歳だったので、正直きつかったですよね(笑)。
そうした流れのなかで、このプレーが切れたら試合終了の笛を吹こうと思っていたところでの逆転ゴール。会場は「We are REDS」の大合唱で、国立全体が揺れるような大声援をあげる浦和サポーターの歓喜は忘れられませんね。
それからポポ選手は柏が古巣で、得点をしたことで感無量だったのか、涙を流していたんです。それもすごく印象に残っています。
【神経を使う試合で記憶に残っているシーン】2013年12月8日/2023 J1昇格プレーオフ決勝
京都サンガF.C. 0−2 徳島ヴォルティス
2013年のJ1昇格プレーオフ決勝、京都サンガF.C.対徳島ヴォルティスは、徳島が初めてJ1昇格を決めた試合。改修される前の最後の国立での試合でもあり、そういった意味でも特別なゲームでした。
この試合は、言葉で表すのが難しいくらいピリピリとしたムードでした。J1昇格プレーオフはどの試合もそんな感じで、審判員も正直いつも大きなプレッシャーを感じますよね(笑)。一つのジャッジで試合が変わってしまうので、本当に神経を使うんですよ。
たとえそれが正しいジャッジだったとしても雰囲気が変わってしまうので、正当なジャッジでさえ気を遣いました。副審は国際審判としても活躍した相樂亨さんと山内宏志さんだったので、"助さんと格さん"はばっちりでした。
試合の前には、両チームがどんな戦術を取るのか予想します。この試合では京都がボールを握って、徳島が堅守速攻を狙うというわかりやすい構図だったと思います。だから徳島のカウンターに備えたポジションを取りながら、京都のポゼッションを見るようになるだろうと思っていました。
それから守勢に回ることが多くなりそうな徳島のほうが、チャージは激しくなるだろうと予想していて、実際に徳島のファールが16回、京都が9回で予想通りの展開になりましたね。
そうしたなかでキーとなる選手は誰なのか、選手たちとどんなコニュニケーションをとって試合を進めていこうかなど、いろんなことを考えていました。
試合会場に着いたら、副審の2人と「早く帰ろうな」と言っていました。それはつまり良いレフェリングをして、両チームともに納得できる試合にしようということですね。
そんななか、前半39分に徳島が先制をして、直後の43分にも徳島の津田知宏選手が追加点を奪ったんです。
それが山内さんサイドだったんですけど、オンサイドのギリギリだったんです。普通であったら旗が上がってしまってもおかしくない。どちらかと言えば「上がっちゃうんだろうな」という状況でした。
そこで山内さんがオンサイドの正しいジャッジをして、津田選手が抜け出して2点目を決めました。あれは私よりも山内さんのほうが、すごくしびれた状況だったと思いますね。当時は今のようにVARはないので、自分の目だけを信じてすばらしい判断ができたということで、非常に記憶に残っているシーンでした。
【苦い思い出で記憶に残っている】2004年9月26日/J2第36節
水戸ホーリーホック 1−2 川崎フロンターレ
3つ目は2004年のJ2第36節、水戸ホーリーホック対川崎フロンターレ。当時の川崎はダントツに強くて、明らかにJ2レベルのチームではない感じでした。試合前の段階で川崎は勝ち点84、水戸は勝ち点29。圧倒的な差がありました。
この頃のJ2は第4クールまであって、12チームが4回戦総当たりという試合数をこなしていました。ただ、まだ9月だというのに川崎はこの試合に勝てば昇格が決まり、優勝もほぼ確定の状況でした。
一方で私の状況は、この年からJ2の主審を担当するようになって、つまり主審として初年度だったわけです。そんなレフェリーに通常は川崎絡みのカードが任されることはなく、ベテランの方が担当するという感じだったんです。それがなぜか私に任されたんですよね。
水曜日ナイターの試合で、会場はケーズデンキスタジアム水戸ができる前なので、まだ笠松運動公園陸上競技場。そこに観客が3751人。その3分の2が川崎のサポーターで、笠松なのに川崎のホームのような異様な雰囲気でした。
そんななかで水戸は、目の前で昇格のお祝いなんてさせるかと燃えていました。対して川崎はちょっと油断していたところもあったと思います。普通にやれば勝てるとリラックスムードもどこか漂っていました。
前半は川崎のマルクス選手が先制して1−0でしたけど、後半2分になると関隆倫選手のゴールで同点に追いついたんですよ。そこからはもう試合の温度が一気にヒートアップしちゃったんです。
水戸の選手たちが川崎のエースのジュニーニョ選手を削りまくって、ファールを取るんですけどまったく収まらない。本当はカードを出してもいい場面が3シーンくらいあったんですけど、1枚しかイエローカードを出してないんですよね。
その1枚が後半18分の水戸の小椋祥平選手へのものでした。そこからはもうサッカーどころではなくて、喧嘩のようになってしまいました。ベンチも「ファールだろう!」という声が飛び交って、まったく収拾がつかなくなりました。
その後、後半26分にマルクス選手が2点目となるFKを決めて川崎の勝利で試合が終わりました。
川崎のサポーターは昇格が決まって喜んでいたんですけど、ジュニーニョ選手が水戸の選手たちに掴みかかる勢いで激怒していて、喧嘩になりそうになってしまったんです。
本当に自分のフェレリングの未熟さを痛感した試合でしたね。試合後に映像分析をすると、やっぱりファールを取りきれていなかったし、ファールを取っているけどカードが出せなかった。そういうことも含めてマネージメントができていなくて、課題がたくさん出てきました。
今であればもっとうまくイエローカードを使って、選手を抑えながらマネージメントできますけど、当時はそういった術をなにもわかっていなかったんですね。私のレフェリングがダメだったちょっと苦い思い出という意味で、記憶に残っている試合でした。
後編「元審判・村上伸次さんが語る、忘れられない3試合」につづく>>
村上伸次
むらかみ・のぶつぐ/1969年5月11日生まれ。東京都目黒区出身。帝京高校−立正大学と進み、JFLの西濃運輸でプレーしたのち、28歳からレフェリーの道へ。2004年からJリーグの主審として活動。2008年からスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー/PR)となった。2021年10月のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦で、Jリーグ通算500試合出場を達成。この年を最後に㏚を引退し、現在は後進の指導にあたっている。