【藤本タツキ1万字インタビュー】漫画家・藤本タツキが語るジブリ作品の魅力とは。満席の映画館で『千と千尋』を立ち見した「原体験」から宮粼駿監督への想いまで【2023記事 5位】

2023年度(1月~12月)に反響の大きかった記事ベスト10をお届けする。第5位は、藤本タツキ氏が「ジブリ愛」を語るインタビュー記事だった(初公開日:2023年7月21日)。『スタジオジブリ物語』(鈴木敏夫・責任編集)の刊行を記念して、『ファイアパンチ』『ルックバック』『チェンソーマン』で知られる鬼才・藤本タツキが語る「スタジオジブリ」の魅力。圧倒の1万字インタビューを一挙にお届けする。

2023年度(1月~12月)に反響の大きかった記事をジャンル別でお届けする。今回は「記事ベスト10」第5位の、『チェンソーマン』で知られる鬼才・藤本タツキが、スタジオジブリを語るインタビュー記事だ。(初公開日:2023年7月21日。記事は公開日の状況。ご注意ください)

鮮烈な初連載を飾った『ファイアパンチ』、傑作読み切り『ルックバック』『さよなら絵梨』、そして現在は「少年ジャンプ+」にて『チェンソーマン』第二部が絶賛連載中の鬼才・藤本タツキ。藤本と言えば、SNS上等でたびたび言及される「映画愛」が印象的だ。中でも、スタジオジブリ作品には特に思い入れがあるようで、藤本ファンの間では有名な話になっている。

そこで本インタビューでは、『スタジオジブリ物語』(鈴木敏夫・責任編集)の刊行を記念して、はじめてまとまった形で「ジブリ」について、1時間ぶっ通しで語ってもらった。満席の映画館で『千と千尋の神隠し』を立ち見した「原体験」の個人史から始まり、『もののけ姫』の分析や宮粼駿監督への想い、そして自身の創作術まで、藤本タツキのエッセンスが垣間見えるインタビューを一万字の大ボリュームでお届けする。

満席の映画館で『千と千尋の神隠し』を立ち見した「原体験」

――藤本さんのスタジオジブリ原体験はどの作品でしたか?

藤本タツキ(以下藤本) 初めて観たのはテレビで、何の作品だったかはちょっと覚えてないんですけど、映画館で初めて観たのは『千と千尋の神隠し』(以下、『千と千尋』)でした。客席がぜんぶ埋まっていて、立って観たのを覚えてます。

――『千と千尋』公開当時の2001年って、定員入れ替え制のシネコンが広がり始めた頃ですもんね。

藤本 映画の立ち見は後にも先にも『千と千尋』だけだったので、すごく印象に残っています。子どもの頃だから、細かい部分でどこに感動したのかとかは記憶にないんですけど、「すごいものを観た」「おもしろかった」と感じたのは覚えています。今でも一番観返しているジブリ作品は『千と千尋』なので、やっぱり、それくらい記憶に残っているんでしょうね。

ちなみにジブリはドキュメンタリー作品も充実しているんですけど、その中では『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』という12時間の作品が一番好きですね。その次が『「もののけ姫」はこうして生まれた』。元ピクサーのジョン・ラセターについての『ラセターさん、ありがとう』も好きです。


――ドキュメンタリーの順位付けもされているとは、さすがですね。「ジブリはアニメ本編以上にドキュメンタリーがおもしろい」っていう意見もたまに耳にしますよね。

藤本 まぁ、それはうがった目で見ている人だと思いますけど(笑)。ただ、ジブリはドキュメンタリーもおもしろいというのは間違いないですね。

――藤本さんが選ぶジブリのベスト作品は『もののけ姫』とのことですが、どんなところが刺さったのでしょうか。

藤本 僕は(マンガの)原稿をやっているときにジブリ作品に限らず、いろんな映画をずっと流しているので、ほんとに誇張なしで『もののけ姫』を数百回と観てるんですよ。だから正直「記憶に残っているシーン」みたいなのを話すのってすごく難しくて……。

――映画の全編が血肉になりすぎている、と。

林士平(※藤本タツキの担当編集者。以下、林) 原稿作業中に、何度も観ている映画を流す作家さんはすごく多いんですよね。もちろん、バラエティ番組やニュース番組、他には音楽を流している方もいますけど、映画の中でもジブリ作品を流している作家さんはとくに多い印象があります。

――そう考えると、ジブリ作品が世のマンガ家に与えている影響は凄そうですね。藤本さんは一時期Twitterアカウントをご本人名義で運営されていましたが、そのIDが「@ashitaka_eva.」でしたよね。『もののけ姫』のアシタカはやっぱり特別なキャラなんでしょうか?

藤本 アシタカはジブリで一番かっこいいと思っているキャラです。好きなポイントはいっぱいあるんですけど、かっこいいわりには優柔不断というか、あの”定まらない”感じがすごい好きで。人物として定まってるキャラクターって、かっこいいんですけど親しみがなくなる部分もあるじゃないですか。でも、アシタカは人と森の間ですごい揺れるんですよね。

『もののけ姫』より アシタカ © 1997 Studio Ghibli・ND

――人と森、各勢力、複数の女性など、いろんなものの板挟みにあっていますもんね。

藤本 そういう定まらないところに「俺に近い部分がある」と感じられるし、その一方で「かっこいい」と憧れることもできるんですよね。そのバランスが、アシタカのいちばん好きなところです。

――かっこよさについての言及がありましたが、アシタカはジブリ作品の中でも特にアクションがかっこいいキャラですよね。

藤本 みんな好きな場面だと思うんですけど、アシタカが侍の放った矢を掴んで撃ち返すシーンがすごく好きですね。アニメとしても本当にすごい。

――名場面ですね。

藤本 でも、あの場面って、マンガで描くと小さめのコマになるシーンなんですよ。

――えっ?

藤本 僕たち観客のテンションとしては見開きくらいの勢いじゃないですか。でも、マンガだとそうはできないんですよね。見開きは「見せるシーン」じゃないといけないので。

――たしかによく考えると、見開きであの一連の流れを表現するのは無理がありますね。

藤本 どの映画にも「これはマンガにしたら成り立たないぞ」っていうシーンはあるんですけど、ジブリはそういう、小さいコマになるような細かいシーンが主役になっていることがすごい多いですね。そして、僕も含めてみんなそういうディテールを語りたがる特徴がある。

――ジブリ作品について話して盛り上がるときって、細かい話題について話していることが多い気がします。

藤本
だからテレビで何回放送してもみんな観るし、SNSで語られるんじゃないかと思います。

見落とされる作家性と、フラットな視点の不足

――藤本さんは映画好きとしても知られていますが、映画ファン目線から見たときに「ジブリ作品」ってどういう特徴があると思いますか?

藤本 「実は作家性が強い作品ばかりなんだけど、テレビ放送を通して国民的作品になり過ぎた結果、みんながその作家性に気が付きづらくなっている」というところですね。例えば『サザエさん』を映像的に見ると、カメラが常に三人称視点で奇抜な構図がないという特徴があるんですけど、そんなことは誰も考えないですよね。

――考えないですね。

藤本 リアリズムの観点でジブリ作品を観ると、セリフにはそこまでリアリティーはないものが多いですよね。現代においては誰も言わないような「~~だわ」みたいな女性口調も多いですし。とくに宮粼駿監督作品の場合、登場人物みんなが宮粼駿チックな人物になってます。例えば、キャラクターがおもしろいことを言った後に、それを受けた女性が「えっ、○○? アハハハハ」って、相手が言ったことを反復して精査してから笑ったり。

――なんとなく当たり前のものとして受け止めてましたが、言われてみれば、かなり特徴的な受け答えですよね。

藤本 僕も含めてなんですけど、みんなそういうジブリの作家性がよく分からなくなっていて、今改めて作品の文法とか作劇を語ろうとしても、けっこう難しいんですよね。そして、そこがおもしろいと思います。

――藤本さんが指摘したように表現の中にある作家性が見落とされがちな一方で、ジブリ作品を語るにあたっては、宮粼駿監督、高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーの3人とその周辺人物たちの関係性は切っても切り離せないという側面もあると思います。

藤本 そうですね。とくに「宮粼さんのフィルターを通した、高畑さんの目線」がどの作品にも流れている感じがします。でも、その一方で「そういうジブリ作品の見方は無粋なんじゃないか」って気もしているんですよ。そこで僕らが使う「視点」って、鈴木敏夫さんが書いた本や、ドキュメンタリー作品を通して僕らが受け取ったものにすぎない感じがするっていうか。

写真/shutterstock

――評伝などの書籍はもちろん、ドキュメンタリー映画も誰かの視点で撮影・編集される以上、ある種の創作ですからね。

藤本 僕自身もそういう「宮粼駿、高畑勲、鈴木敏夫たちの物語」的な視点でジブリ作品を観てしまう部分はあるし、その楽しさもあるんですけど、なるべく何も考えないで観るようにしています。

――「作品の中で描かれているものが全て」という観方ですよね。

藤本 そうです。特にジブリに関しては、できるだけそういう視点から観たいと思っています。

――「特にジブリに関しては」というのは、他の作品よりも周辺情報が多いからですか?

藤本 はい。『アメリカン・スナイパー』みたいな映画だったら、制作当時のアメリカの社会情勢などを踏まえて観たほうが楽しめるとは思うんですけど、ジブリの場合はちょっとまた別という感じがします。実際に、そういうことを考えずシンプルに作品を観るだけでおもしろいですからね。

同じ「物語を作るクリエイター」として感じる、
高畑勲と宮粼駿への畏敬

――ぜひマンガ家の視点から見たジブリについても伺いたいのですが、ジブリの特徴の一つに「絵コンテへのこだわり」があると思います。

藤本 はい。ジブリの絵コンテは本当にすごいですよね。「後から出版用に描き直してるんじゃないか?」って思うくらい、絵としてしっかりしていると思います。

――『スタジオジブリ物語』でも絵コンテへの言及が多いのですが、なかでも宮粼駿監督作品は、絵コンテを完成させないままスタッフによる作画が始まることが多く、非常に印象的です。ドキュメンタリーを観ていても、だんだん作画が追い付いちゃって、監督の絵コンテ待ちみたいになってる場面も……

藤本 ありますよね(笑)。『ONE PIECE』の尾田先生が「宮粼監督は絵コンテをマンガ連載のように切っていく」と仰っていたんですけれど、僕も本当にその通りだと思っています。

締切がどうこうっていうスケジュール面よりも、「仕事を発生させなきゃ」っていうプレッシャーがすごそうですよね。マンガ家のアシスタントどころじゃない人数のアニメーターを抱えているので、あの重圧は相当なものだろうなと思います。

――マンガの週刊連載的にコンテを切る宮粼監督は特殊な例としても、「監督自身が原作マンガのように絵コンテを描いて、プロデューサーがそれを読む」というジブリ作品の制作プロセスには、マンガ家と編集者の関係に近いものを感じるのですが、藤本さんはマンガ家としてどう感じていますか?

藤本タツキ氏

藤本 宮崎吾郎監督と鈴木敏夫プロデューサーの関係には、それをすごく感じますね。ただ、宮粼さんにとっての”マンガ編集者”は、どちらかというと高畑さんだったんじゃないかって気がしています。ジブリの中どころかアニメ界全体を見ても、宮粼さんより教養がある方って高畑さんただ一人しかいなかったと思うので。

――高畑さんと宮粼さんの、あの凄まじいほどの教養って一体なんなんでしょうね。あらゆる分野を見ても、あのレベルのクリエイターが他にいるのか、これから出てくるのかというと、首を傾げてしまう部分があります。

藤本 あれはもう別格ですよね。クリエイターの教養をめぐっては「アニメだけを観てアニメを作る世代」みたいな、オタク論みたいな話もありますけど、高畑さんと宮粼さんはそういうレベルの話じゃないと思うんですよ。だって、あの時代のアニメーターがみんなあれくらい頭がよかったかというと、絶対にそうじゃないですよね。たまたまものすごい教養を持っていた高畑勲という人がいて、宮粼駿が彼に出会い、たまたまついていく機会があった。それは奇跡ですよね。

――まさに。

藤本 例えば、宮崎監督はいろんな国のことを知っているから、特定の国やその組み合わせでファンタジー作品の舞台を作れるんですよね。でも、今の僕たちのような30~40歳ぐらいのオタクの人たちは「ファンタジーを描け」と言われたら、『ファイナルファンタジー』的なゲームの世界観になっちゃう。

――いわゆる「異世界転生もの」の異世界って、基本的にはRPGの世界が根底にありますもんね。

藤本 新海誠監督が日本を舞台に作品を作り続けているのって、日本を舞台にした作劇が、一番自分が戦える領域だと考えているからだと思うんですよ。それでいいと思うし、ゲームのような世界もそれはそれで間違っていない。

ただ、教養的な面で「宮粼駿監督みたいに作品をつくれる人は今後いなくなるんだろうな」とは思います。もちろん取材をすればそういう作品づくりもできるとは思いますけど、実感として、そういうお金をかけた取材旅行ができる人はもういなくなるだろうなって感じがします。

――『風の谷のナウシカ』(以下、『ナウシカ』)は宮粼監督本人によるマンガ連載を原作として映画化されていますよね。

藤本 マンガは一人でコントロールできるぶん、実写やアニメよりも作家性が出やすいんですけど、マンガ版『ナウシカ』はそうした楽しみ方もできますよね。宮粼さんはやっぱりマンガ家としても一流だと思います。構図力がすごくて細かいコマ割りをしているのに見やすいですし、話の作り方も本当に上手い。

あとは「線」が印象的ですね。僕も本当は自分のマンガでもっと線を描き込んで陰影をつけたいんですけど、週刊連載ではどうしてもそこまでできないんですよ。だから、月刊連載以下のペースじゃないとできないマンガ版『ナウシカ』の線の描き込みはうらやましいです。

――しかも『ナウシカ』を連載していた『アニメージュ』はマンガ雑誌じゃなくアニメ雑誌なので、「雑誌が売れる作品を」「毎回続きが気になる展開を」といった、連載マンガでは当たり前の要求もほとんどなかったはずですからね。そういう意味では、非常に特権的なマンガでもあったと言えると思います。

藤本 バンド・デシネ(注:フランス語圏を中心としたマンガ。日本のマンガと比べて描き込みや彩色などがきめ細やかで「アート性が高い」と言われる傾向にある)みたいでいいですよね。「妥協をせずに1冊描きたい」というのは、絶対にどのマンガ家も思っていることなので。

――藤本さんの作品だと『チェンソーマン』第1部終了の後に発表された長編読切『ルックバック』がまさにそういった作品ですよね。

藤本 そうですね。僕が『ルックバック』を描いたときは、『チェンソーマン』がヒットしたおかげでアシスタントさんに長期間お金を払ううことができる状態になっていたし、ついてきてくれる人たちがいたからできました。でも、新人マンガ家さんが1冊を好きなだけ時間をかけて描くというのは、絶対に金銭的に無理なんですよ。それをオーケーしてくれる出版社も……どうなんですか?

『ルックバック』(集英社)

今の出版社は、時間的に待つことは待てると思います。でも、先にマンガ家さんのお金がもたなくなってしまうんですよね。生活費も含めて。

藤本 やっぱりそうですよね。とはいえ、妥協なしで作る作品がベストなのかというと、別にそうでもないのがおもしろいんですけどね。

――そうですね。

藤本 そういう目線から見ても、やっぱりジブリってすごい特殊なスタジオだと思いますね。あの商業性と芸術性を両立させているバランス感というか……。だって、高畑監督のお金の使い方に関するエピソードとか、ものすごいじゃないですか。

――『風の谷のナウシカ』のヒットで宮粼さんが得たお金を資金として映画を作り始めたけど、予算オーバーして宮粼さんが自宅を抵当に入れかねない事態に陥ったとか、すごい話が残っていますよね。しかも、そこで撮った作品が『柳川堀割物語』という、福岡県にある川を題材にした実写ドキュメンタリー映画ですから。

藤本 そう(笑)。僕は結構ドキュメンタリー映画が好きなんですけど、それでもあれはなかなか観るのが大変な内容でしたね。まさに「記録映画」って感じで。

――エンタメ性が皆無に等しい内容ですからね。ソフト化に際しても「ジブリ学術ライブラリー」というシリーズに入っています。

藤本 でも逆にいえば、宮粼駿監督のすごさの一つは「商業性と芸術性を両立させているところ」なんですよ。普通はあそこまで両立できないですから。しかも、人物と一致していない。本当にすごいことですよ。

――「人物と一致してない」というと?

藤本 宮粼監督って世間的には「芯を曲げない堅い人だ」と見られていると思うんですよ。でも、作品はめちゃくちゃお客さんに寄り添ってるんですよね。そうして観客の側に寄り添いつつも、ちゃんと監督本人が伝えたいことが伝わってくる。あんなこと、普通はできないです。

――高畑勲さんの背中を見ていたからこそ得られた、奇跡的なバランス感覚なのかもしれないですね。

藤本 高畑さんは本当に大きな存在ですよね。すべてが一流ですから。なので、僕は「新作『君たちはどう生きるか』は高畑勲さんに向けた映画になるんじゃないか」って思ってます。そこまでの動機がないと「長編映画を再び作ろう」という欲求は生まれず、短編映画で間に合っていたような気がするんですよ。そこら辺も含めて、新作はすごい楽しみですね。

――『君たちはどう生きるか』は宮粼監督にとって何度目かの引退撤回を伴う新作ですけど、藤本さんはクリエイターに本当の引退ってあると思いますか?

藤本 うーん。ちょっとわからないですけど、『推しの子』原作の赤坂アカさんが「自分では絵を描かない」と宣言したじゃないですか。あれは「いいな」って思いました。「俺もそうしたい!」って(笑)。

――(笑)。

あれは「原作で行くぞ」っていう覚悟を感じてかっこいいと思いましたね。

藤本 その後にやっぱり絵を描き始めてくれてもうれしいし。

――藤本さんの中では「話をつくることに集中したい」という思いもあるということですか?

藤本 はい。絶対そっちのほうが楽しいと思います。

――逆に、絵だけを描く方向に行ってみたいという気持ちは?

藤本
それはないですね。話と絵を両立させる楽しさはもちろんあるし、話だけの楽しさもあると思うんですけど、絵だけとなると、僕の場合は皆さんに届けるときに狭い世界になっちゃうと思うので。

「本当にすごい」。お約束を破壊する、
『もののけ姫』と『千と千尋』の作劇

――最後にあらためて『もののけ姫』と『千と千尋』に話題を戻したいのですが、この2本は作劇が変わったという点で、宮粼駿監督のフィルモグラフィーにおいて最もエポックメイキングな作品だと思います。

藤本 はい。それまでの作品はどれも『天空の城ラピュタ』みたいに本当にきれいにお話としてまとまっていましたよね。でも、『もののけ姫』と『千と千尋』には、そうじゃない魅力が生まれていると思います。

――『スタジオジブリ物語』の中では、『もののけ姫』の頃から宮粼監督は「解決不能な問題」をテーマとして取り組むようになったと書かれていますね。

藤本 本当にそうですよね。僕が自分で『もののけ姫』の物語にどうオチをつければいいか考えると、すごく難しいです。実際『もののけ姫』フォロワーの作品っていっぱいあるんですけど、どれも「自然と人間が手を取り合いました」っていう、現実的に無理がある着地をさせてしまっていて、嘘くさくなっちゃってるんですよね。「作品にする」ということを考えると、それが普通のまとめ方なんですけど。

――よく言えば「理想を託す」「願いをかける」みたいなことですよね。

藤本 でも、『もののけ姫』では、森も人間も憎しみ合ったままだし、アシタカはサン個人とは分かり合えたけど、森とは分かり合えていない。そして「徐々にあの森はなくなっていくんだろうな」と感じさせる終わり方でもありますよね。

――はい。

藤本 だから、一般的に「作品としてまとまっているか」を考えると、『もののけ姫』はそうじゃない。でも、それなのに「いいものを観た」と感じさせるものになっている。それは本当にすごいことだと思います。僕だって子どもの頃は全然そんなこと考えずに『もののけ姫』を観て、単純に「よかったー」って感じましたし。

――子供の視点からすると「森は救われた」って話にもなりますよね。

藤本
『千と千尋』だってそうですよね。千尋っていうか弱い女の子が、両親から離れて、異世界でいろんな人と出会って、仕事をして、明らかに後半では人間的成長をしていると思うんです。最初はすごい高い階段から恐る恐る下りてたのに、後半はもうスタスタスタって感じだったし。ハクを助けるためにがんばるのも、最初の千尋からするとすごい成長ですよね。

千と千尋の神隠し 劇場版ポスター © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

――もはや別人のように強くなってますよね。

藤本 観てる僕らも、そんな成長した千尋を見て「すごくいろんなことがあったな」と思うわけじゃないですか。でも、最後に千尋が現実世界に帰るとき、またトンネルの暗さを怖がって親に抱きつくんですよ。そこで「あれっ?」と思って。「千尋はこの映画で起こったことを全部忘れちゃうのかな……」って、すごく悲しかったんですよ。

――うんうん。

藤本 でも、きっとそんなことはなくて。銭婆が「一度あった事は忘れないものさ。思い出せないだけで」って言ってましたけど、本当にそう。


――屈指の名言ですよね。

藤本 あれって僕は「手癖」の話だと思ってるんです。手癖とか、息の仕方とか、歩き方とか、自転車の乗り方とかって、最初にどうやったのか覚えてないじゃないですか。

――大きく言えば、生き方。

藤本 そう。宮粼駿監督の作品にはどれも、ずっとそういう意識があると思うんです。彼が『千と千尋』の中でメインテーマのように語っていた「仕事の大切さ」も結局はある程度のフックでしかなくて、本質は“そこ”にあるんじゃないかなって。だって、千尋は帰った途端に、あれだけやった仕事のやり方とかも、きっと忘れてしまっているじゃないですか。


――そうだと思います。

藤本 それだけじゃなく、またナヨナヨした千尋に戻っているんですよね。ただ、髪留めが表すように、あの異世界であったことがなくなったわけではない。あれは他の映画にはない感覚だと思います。他の映画だったら「いじめられっ子が異世界へ行って帰ってきたら、いじめっ子に対して言い返せるようになってました」みたいな終わり方になると思うんです。

――普通はそのパターンですよね。「異世界の冒険で得た成長で、現実世界を変える」っていう。

藤本 そのほうがきれいに着地できますからね。ただ、それをやっちゃうと嘘になると思うんですよ。

――いろんな疑問も浮かびますよね。「異世界での記憶を持って秘密にしたまま、現実社会をまともに生きられるの?」とか「異世界での冒険の間、いじめっ子だって現実で何かしらの経験を得ているのでは?」などなど。

藤本 『千と千尋』も、観ていた人のほとんどが「千尋は現実世界に帰らないでいいのに」って考えたと思うんですよ。だって異世界でのほうが生き生きしてるし、人としての徳を積んだし、周りからの評価もあるじゃないですか。

でも、あの異世界に登場する神様たちはじめ、不条理なものとか理解できないものの感覚が作中で描かれていて、それが僕らに伝わってくるから、千尋としても物語としても最終的には自分の世界に帰る方がいいことが納得できるんですよね。そして、それが最後の”喪失”に繋がるっていう。

――しかも、千尋はあの後に、転校生として新しい学校に行くことになるんですよね。

藤本 そう。もっと言えば、お父さんの車の上に落ち葉や埃が溜まっている描写があるから、現実では何年か経っているんじゃないかとも考えられるんですよね。だから、リアルに考えると結構つらい展開だとも思うんです。

――現実では「家族3人が神隠しにあった」と騒ぎになっていた可能性もありますよね。

藤本 でも、最後まで映画を観た僕らは「それでも大丈夫だろうな、この後の千尋は」って思えるんですよ。

――まさに「一度あった事は忘れない」ですね。

藤本
…なんか、本当にすごいですよね『千と千尋』って。

――それって「映画を観ること」それ自体の話でもある感じがしますね。「子どもの頃に『千と千尋』を映画館で立ち見したときの感覚は残っているけど、細部の記憶はない」という藤本さんの体験も、藤本さんにとって血肉になり過ぎて逆に分析できないという状態も、みんながジブリの作家性に気が付かないというのも、全部ある意味では千尋と同じという。

藤本 そうですね。まさにその通りだと思います。

――観たことは忘れてないし…

藤本
「思い出せないだけ」。めっちゃいい言葉ですよね。

構成・文/照沼健太

スタジオジブリ物語

鈴木敏夫

2023年6月16日発売

1,760円(税込)

新書判/544ページ

ISBN:

978-4-08-721268-6

「宮さんに『大事なことは、鈴木さんが覚えておいて!』と言われた記憶をたどるとしたら、今しかない!」

【おもな内容】

『風の谷のナウシカ』がきっかけで誕生したスタジオジブリ。

長編アニメーション作品を作り続けてきたその軌跡は、波瀾万丈の連続だった--。

試行錯誤の上に生まれる企画から、スケジュールと闘う制作現場、時代を捉えた宣伝戦略、独自の経営法まで、その過程のすべてを、最新作までの27作品ごとに余すことなく網羅した。

鈴木敏夫責任編集で、今明かされる40年の物語。

【目次】

第1章 マンガ連載から映画へ。『風の谷のナウシカ』

第2章 スタジオ設立と『天空の城ラピュタ』

第3章 前代未聞の2本立て。『となりのトトロ』と『火垂るの墓』

第4章 『魔女の宅急便』のヒットと社員化

第5章 新生ジブリと『おもひでぽろぽろ』

第6章 『紅の豚』『海がきこえる』と新スタジオ建設

第7章 『平成狸合戦ぽんぽこ』と撮影部の発足

第8章 近藤喜文初監督作品『耳をすませば』とジブリ実験劇場『On Your Mark』

第9章 未曽有の大作『もののけ姫』

第10章 実験作『ホーホケキョ となりの山田くん』への挑戦

第11章 空前のヒット作『千と千尋の神隠し』 など